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たとえ難攻不落でも
「奏風ぁ、屋内練習場の見回りしてくるから、モップかけておいてー」
「はぁい」
半月も経つと、仕事のルーティンは大体分かってきた。全体練習が終わると道具を片付けて、部室の掃除。床にモップをかけたら終了だ。屋内練習場で居残り自主練する人もいるけれど、マネージャーに付き合う義務はない。誰が残っているのかだけ部長に報告すれば帰宅出来る。
「お疲れー。お、山之辺1人か?」
「お疲れ様です! 京田先輩、自主練してたんですか?」
「まぁな」
ジャージ姿で現れた京田先輩は、まっすぐ自分のロッカーに向かうと着替え始める。僕は彼に背を向けて、モップを動かす。
「なぁ、山之辺。やっぱり、どこかで会ったことないか? 俺、顔と名前覚えるの得意なんだけどなぁ……」
「あの、他の人には言わないでくれますか」
「ん? ああ」
「僕、蓑嶋志弥の弟です。四方中の。兄が入院したとき、柾木先輩とお見舞いに来てくれましたよね」
「あー!! そうか、蓑嶋先輩の!」
「親が離婚して、先月再婚したんです。それで『山之辺』になりました」
兄ちゃんの弟だと知られたら、ヘンに気を遣われるかもしれない。僕は、“蓑嶋先輩の弟”じゃなく、ただの“後輩”として接して欲しいから。
「色々あったんだな、山之辺」
不意に、ポンと大きな手が肩に触れ、びっくりして振り向くと、制服に着替えた京田先輩がすぐ後ろにいた。
「もうひとつ聞くが、お前が初雁商に来たのは、偶然なのか?」
ジッと顔を覗き込まれて、思わず目を逸らした。
「あ、の……」
言ってしまっていいのだろうか。僕の正体を知った、この人に。
「あの、僕っ。柾木先輩に会いたくて! 柾木先輩の近くで、野球がしたかったんですっ」
ああ……気持ち悪いとか思われたら、どうしよう。柾木先輩の親友なのに。
「やっぱりなぁ……」
「え?」
「だって、お前、将真のこと、いっつも見てるもんな」
「えっ」
「アイツの前だと、真っ赤になるし」
「え、えっ?」
「多分、気づいてないのは、将真くらいだぞ」
「えええっ!」
「アイツ……鈍いからなぁ」
苦笑いすると、京田先輩は僕の両肩をポンポンと叩く。これ、励まされている?
「俺たち3年は、夏の大会が終わったら引退だ。難攻不落の険しさだけど、まぁ……短い間だから、後悔するなよ」
あ、ダメだ。なんだか凄く恥ずかしい。憧れだと思っていたけれど、この気持ちは、どうやら少し違うらしい。
「おい、信之介! まだ着替え終わんねぇのか?」
突然ガラリと部室のドアが開いて、あろうことか柾木先輩が現れた。
「わああぁっ……!?」
「あ、山之辺っ!」
「ん? どうしたんだ?」
驚きすぎて、頭が真っ白になった。タタタン、タタタン、誰かが胸の奥で軽妙なタップダンスを踊っている。タタタン、タタタン……ちょっと切ないのに甘くて、心地良いリズム。そうか、そうなんだ。この気持ちは――。
難攻不落? 確かにそうかも。だけど、もう僕はずっと前から登り始めていた。多分、三合目くらい。もう今更引き返せないよ。
【了】
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