民俗学者、京屋眞央には秘密がある。

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 保育園の庭でかくれんぼをしていたら、誰かに呼ばれた気がした。見つかってしまったのかとそっちへ顔を向けて、一歩を踏み出して。  そうしたら、幻のような世界に迷い込んだ。  目の前に広がる極彩色の景色は、本物に見えなくて。私の横をすり抜ける人たちも〝人〟には見えなくて。  そんな世界を彷徨い歩いて、どれだけ経ったのか。お腹も空いてきてふらふらし始めた私に、近くを通ったヒトがお饅頭みたいなものをくれた。  両手で持ってもはみ出すくらい大きなお饅頭は油紙に包まれていて、蒸かしたてのようにほかほかと温かく、湯気を漂わせていた。  お饅頭を渡してきたヒトは、用事は済んだとでも言うように雑踏にまぎれこみ、見えなくなってしまった。  どうしてこれをくれたのかという疑問より、美味しそうな匂いのするお饅頭を食べて良いのだということに、意識を持っていかれて。  かぶりつこうとした瞬間に、『冴紅ちゃん!』と叫ぶように名前を呼ばれて、お饅頭を叩き落された。  呆気にとられて、地べたに転がったお饅頭を目で追って、泣きそうになった時。  お饅頭を叩き落とした人に、眞央くんに抱きしめられた。  今では背の高い眞央くんだけど、小学六年生だった当時はチビだと言われることが多くて。  対して、今は背が低いほうだけど、その時の私は六歳にして背の高い子供だった。  そんな私は突然現れた眞央くんにびっくりして固まって、眞央くんの肩越しに極彩色の景色や行き交うヒトたちを見ているしかできなくて。 『食べちゃダメだよ、冴紅ちゃん。食べたらお家に帰れなくなる』  眞央くんのその言葉で、そうだ、私は迷子だったのだと、思い出した。 『無事で良かった。冴紅ちゃんが冴紅ちゃんのままで良かった』  抱きしめてくれる眞央くんは、どこか震えている声で、それでも安心したようにそんなことを言って、 『帰ろう、冴紅ちゃん。みんな待ってるよ。ずっと冴紅ちゃんを待ってる』  私の頭を撫でながら、今度はしっかりした声で言った。  近所のお兄ちゃんだった眞央くんは、いつも頼りなさそうで。何もない所でコケたり、忘れ物をよくしたりと、実際頼りないと思っていた。  その、頼りない眞央くんが、初めて聞くような強い口調できっぱりと言い切る。 『僕と一緒ならちゃんと帰れる。冴紅ちゃんを怖い目に遭わせたりしないでお家に帰せるから』  訳が分からなかったけど、知っている人である眞央くんがいるという事実に、涙がこぼれてきて。 『だから帰ろう。ここから帰ろう、冴紅ちゃん』  帰る。帰りたい。お家に帰りたい。  泣きながら言ったら、景色が変わった。  変わったというか、戻った。  そこは、極彩色で変な場所じゃなくなっていて。  私と眞央くんは、近所の神社の境内にいた。  夕暮れ時で、どこからかヒグラシの声が聞こえた。私が変な世界に迷い込んだのは、ミンミンゼミが合唱していたお昼前のはずで。  また訳が分からなくなっている私に『大丈夫だよ』と言った眞央くんは、私の手を引いて交番に行った。  そこで、私はびっくりした。  交番からの連絡で両親が泣きながら駆けつけてくれたことにも驚いたけど、私が一ヶ月も行方不明だったと知らされて。  だって、あの世界では昼も夜もよく分からなかったから、一日も経ってないと思っていた。それに、一ヶ月も経ってたら、普通、お腹を空かせるだけじゃなくて死んでしまうと思う。  私を見つけた眞央くんは、お巡りさんにこう説明した。  私を探して近所を回っていたら、神社で私を見つけた。神社からそのまま交番に連れてきた。  あの、極彩色の景色や人でないヒトたちの話はしなかった。  神社に設置されている防犯カメラの映像と、一ヶ月ずっと私を探してくれていたらしい眞央くんの行動を目にしていたご近所さんたちの証言で、眞央くんは特に不審がられなかった。  その時の私は、両親に会えた喜びと安心感でいっぱいで、最終的には泣き疲れて眠ってしまったから、あとからその話を聞いた。  コケたりしても怪我をしない眞央くんが擦り傷だらけになっていたのも、あとから気付いた。  両親にも友達にも、ご近所さんにもお巡りさんにも、極彩色の景色や周りにいたヒトたちの話をしたけど、誰も信じてくれなかった。  混乱したんだね、と。とにかく無事で良かったと。  そう言われるだけだった。  眞央くんにも、あそこはどこだったのかと聞いたけれど。 『あれは夢だよ、夢の世界。忘れられるなら忘れたほうが良いよ、冴紅ちゃん。また、夢の世界で迷子になっちゃうから』  困った笑顔で、そういうふうにしか言わなくて。  けど、眞央くんがいない時に、眞央くんのおばあちゃんの弓枝さんが、内緒にしてねと教えてくれた。 『冴紅ちゃんねぇ、神隠しにあったんよぉ。眞央がねぇ、自分のせいだって言っててねぇ。……ごめんねぇ、冴紅ちゃん。眞央を責めないでやってくれねぇ』  ウチは好かれやすくてねぇ、と申し訳無さそうに言われて、その時は弓枝さんにそんな顔をしてほしくなくて、言葉の意味をちゃんと理解できてなかったけど、分かったと言った。眞央くんを責めたりしない、もうこの話はしないとも言った。  けど。  今ならこう答える。  眞央くんのせいだとしても、そうじゃなくても。  眞央くんを責めたりしない。  だって、眞央くんは私を助けてくれた。あの世界から助け出してくれた。  眞央くんが助けてくれなかったら、私は今、ここにいない。  眞央くんを本の山から救出していない。  眞央くんと話せていない。 「なんで本を読みだしてるの、眞央くん」  救出し終えて、本の山をビル群のように並べながら、床に寝っ転がったままで持っていた本を読み始めた眞央くんに言う。 「いやぁ、確認をね。この本で合ってたかな〜って」  ページをぺらぺらめくった眞央くんは、 「うん、これだ。合ってた、良かった」  へなっと笑って本を閉じる。  そして、私に顔を向けて、 「ありがとうね、冴紅ちゃん。何度も助けてくれて」 「……そんなこと言うなら、何度も本の下敷きにならないでよ」  見せた笑顔に、仏頂面を返した。  この家に来て、眞央くんの奇妙な帰宅を目の当たりにする羽目になった次の日。眞央くんはこの部屋で本の山に埋まって、私は慌てて眞央くんを助け出した。 『いやぁ、ごめん。いつもは気を付けてるんだけど。冴紅ちゃんがいるからって気を抜いちゃったかな』  救出し終えて無事を確かめて、ほっと息を吐いた時に言われた言葉に、泣きそうになった。  それから毎日のように本の山に埋まるから、加えて毎回ケロッとしてるから、慌てたり泣きそうになるより、呆れてしまうようになったけど。  でも、それでも。  私にできることがあるのなら。  何度でも助けるよ。何回でも助けるよ。  この程度のこと、眞央くんに助けてもらった一回と、到底釣り合わないんだから。  仏頂面の私を見て、眞央くんは苦笑した。 「ごもっとだねぇ、返す言葉もない」 「……今日さ、起きたら。弓枝さんからラインが来てたよ。眞央くんがちゃんとやってるかって。眞央くん、また私用のスマホ、ほっぽってたでしょ」  眞央くんは、大学関係や仕事用のものと私用とで、スマホを二台持ちしている。その上、私用のスマホは放ったらかしにしがちだ。  だから私は、ラインを使って眞央くんと連絡を取る時も、仕事用のアカウントにメッセージを送ることが多い。 「……あ……一週間くらい見てないかも……怒られる……」 「なら、早く確認して。弓枝さんを安心させて」  唯一の家族なんだから。  怒ったように言えば、「すみません……見てきます……」と、眞央くんは背を丸めながら立ち上がった。  東京の大学を受験するか迷っていた眞央くんの背中を、弓枝さんは押した。大学に受かった眞央くんは一緒に東京に出ようと提案したらしいけど、弓枝さんは地元に残ると話したそうだ。 『眞央にはねぇ、外の世界を見てほしいんよ。けど、私はここに残らなきゃねぇ』  私が残らないと、ここを守る人がいなくなる。  ご先祖様のお墓もあるしねぇと、弓枝さんは笑った。  眞央くんの家に遊びに行った時、また内緒にしてねと、眞央くんがトイレに行っている間に話してくれたことだった。  大学を卒業して大学院に進んだ眞央くんは、研究者になるために頑張っている。民俗学を学んでいた眞央くんの研究テーマは、そのまま民俗学をベースにしたものだそうだ。  高校生の時から警察の知り合いに相談事を持ちかけられて情報料だか謝礼金だかをもらっていた眞央くんは、大学受験や入学の費用をそこから出した。そして、大学に入ってからも、今も。研究したり論文を書いたりしながら、相談事を受け付け、仕事をこなしている。  その仕事内容も、守秘義務があったりして教えてくれないことが多い。  色々と、巻き込まれているらしいのに。  私を助けてくれた時以上に、大変な目に遭ってるらしいのに。  眞央くんは、色んなことを教えてくれない。 「眞央くん」  スマホを取りに行くためにだろう部屋を出ようとした眞央くんは、私の声に振り向いてくれた。 「ん? どしたの?」  床に座ったままの私を見ながら、軽く首を傾げる動作をする。  柔らかな光を湛えているその瞳を見上げながら、口を開く。 「弓枝さんも私も、眞央くんの味方だよ」  眞央くんはキョトンとしたあと、目をぱちぱちさせて、 「うん、ありがとう、冴紅ちゃん」  頼りない笑顔でそう言って、部屋を出ていった。  ……ねえ、眞央くん。  私、自分のために東京に出たいって言ったけどさ。  それ、眞央くんの力になりたいって意味なんだよ。  私を家に置いてくれるの、嬉しいよ。  家賃、全部持つって言ってくれたの、ちょっと悔しかったけど。そう言ったのに全然引いてくれないから、じゃあ代わりに家事全部するって言った時、ありがとうって言ってくれて嬉しかったよ。結局、半分くらいしかやらせてもらえてないけど。  初めてスマホを持った時、最初に連絡先を登録したのは両親だけど、次に登録したの、眞央くんだよ。その次は弓枝さんだよ。  眞央くんがコケたり忘れ物したりするの、あっちに引き込まれそうになったり物を持っていかれたりしてたからでしょ。  ねぇ、眞央くん。  今は教えてくれなくてもいいよ。  けどさ。  いつかは教えてよ。隠そうとしないでよ。  眞央くんが誰であっても、私の中の眞央くんは消えないから。  あの時、抱きしめてくれた眞央くんを消すなんて、誰にも出来やしないから。
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