二人

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二人

オオミ 「食堂に行く前に一旦部屋に寄って良いですか? さっきは慌てて荷物を投げ込んでしまったから。ちょっと片付けてきます」  本当にさっきは何も考えず放り投げたので、休暇中に確認しようと詰め込んで来た仕事のデータも心配だし、部屋の鍵もかけていない。 「わかった、俺も一回戻るよ。十分後に食堂で会おう」  アオチさんも直ぐに同意したが、オゼさんは珍しく落ち着きなく周囲を見渡している。さっきから突然後ずさりをしたり、変だ。  オゼさんへの怖い印象は払拭されてきたけど、やっぱり変わった人だとは思っている。僕たちとは違った種類の人だ。 「オゼさんはどうします?」 「俺はここから直接食堂に行くよ」  独りにはしたくなかったけど、我ままなやつだと思われたくないので、黙ってアオチさんと自分たちの部屋に向かうことにした。 「個室なんて本当は必要なかったんじゃないでしょうか。せっかく用意してもらってなんですが」  船上で過ごすのもたった一晩だけだ。三人一部屋でも良かったし、何なら寝なくても構わなかった。 「それもそうだな。こんな時期に乗せてもらっただけでありがたいのに個室までだもんな。回収人みたいなやつが一緒に乗ってる以外は最高だよ」  そう言ってまた胸を押さえた。 「気分が悪いですか」  それとなく寄り添って聞いた。 「うん……やっぱり腹が減ってるのかな。オゼの言う通り、船が動き出す前に何か腹に入れなきゃ」  無理をしている顔だ。胸を押さえて腹が減ってる、と言うのもおかしい。やっぱり僕は今夜、寝てなんていられない。ずっとアオチさんを見張っていなければ。 「じゃあ、荷物を簡単に片づけたら迎えに行きますから。アオチさんは部屋に居てください」 「まるで母さんだな」  嫌そうな顔をされなくて良かった。微笑むアオチさんを見て、とりあえず安心し、自分の部屋に入り込んだ途端、心臓が止まるかと思った。  さっき見た心臓回収人がましに見えるほど、病的に白い顔をした男の子が床に座りこんでいた。今閉めたドアから逃げ出そうと、その子に背を向け、ノブに手をかけた時、今度は呼吸が止まりそうになった。  耳元で「待って」と女の人の声がした。 「ごめんなさい!」  何で謝ってるかなんて全然わからない。とにかく叫んだ。 「こっちを見て」  また女の人の声がする。やめてくれ、やめてくれ、やめてくれ。見れるわけない。  駄目だ、背中に子どもと女の人の視線を感じる。親子でこの部屋で心中したとか? それとも歳の離れた姉弟が水難事故に巻き込まれたとか? たまたま同じ部屋で死んだ他人か? どれもやだ――。  ゆっくりと、自分がこんなにゆっくり動けたんだと驚くほどの時間をかけて後ろを向いた。  次の瞬間、声も出せずにドアに背を付けたまま、ずり落ちた。くっつきそうなほど近くに女の人の顔があったからだ。 自分の心臓が凄い早さで冷たく鳴っているのが聞こえる。 女の人の顔が近すぎて、逆にどんな顔かわからなかった。床の上に尻をついて息を止めると、また恐ろしいことが起こった。女の人の足元から突然さっきの男の子が現れ、僕の頬に触れたのだ。うらめしそうな顔をしている。やめてくれ、僕が何をしたって言うんだ。  背中に振動を感じた。分厚いドアが波打っているのではないかと思うくらい激しくノックされていた。 「オオミ、大丈夫か?」 「アオチさぁん」  耐えきれず、何だか変な声を出して部屋の外に飛び出した。扉の真ん前にいたアオチさんが、勢いよくぶつかった僕を吸収するように受け止めた。全く理解が追いついていない顔をしている。 「……誰かいたのか?」 「いいえ誰も」  かなり食い気味に答えてしまい、肯定しているのと同じになってしまう。僕の悪い癖だ。 「お前、また見えたのか」  アオチさんがぼくの肩を掴まえた。 「わからない、わからないんです……」  僕を押しのけてアオチさんが部屋に入っていった。ドアが勝手に閉じる。追いかけて中に入ろうとして躊躇する。  ――しっかりしろ、アオチさんを守るってさっき宣言したばかりじゃないか。アオチさんは僕の見えているような者が苦手だ。つまり、間もなく死ぬ人と、死んだ人が。  僕のさっき見たのはどっちだろう。そんなことより、アオチさんは僕のために恐怖を押し殺して部屋に入って行ってくれたんだ。僕だって勇敢にならないと。意を決してノブを握った。  カラカラの口のままそれをまわして押し込んだ瞬間、ドアが凄い勢いで部屋に向かって開いた。室内に前のめりで突進する。 「危ないな、やめろよ」  アオチさんが倒れかかった僕を乱暴に廊下に押し戻して、後ろ手にドアを閉めた。前後に激しく揺らされ、首が丈夫じゃない僕は船が動き出す前に酔いそうだ。 「そ、それで――」 「中には誰もいなかったよ。俺に見えないってことは――」  ということはあの二人はやっぱり死人か。急に外気とは違った寒さに背筋が凍り、僕はアオチさんの手を取って走り出した。  食堂はがらんとしていて、オゼさんの姿はなかった。まだ甲板にいるのだろうか。息が整ってからも、しばらく言うべき言葉が浮かばなかった。 「で、お前は何が見えたんだ」  アオチさんの方が先に口を開いた。 「女の人と男の子が……」 「親子か?」  死人が見えないアオチさんが聞いてくるのは当然だ。会社でも良く死人を見て怯える僕を、病気だと思って優しくしてくれていたのは知っている。だから苦手だったんだ。でも、やっと信じてくれるのか。 「一瞬しか見てないのでわからないんです。怖くて目をそらしてしまいましたから」  その時、どたどたと騒々しくオゼさんが食堂に駆け込んできた。そのままの勢いで僕たちの近くの椅子に腰を下ろす。  いつも冷静なオゼさんらしくない。乱暴に扱われた木の椅子が、この場にそぐわないくらい優雅な作りだなと眺めていた。  例によってぼんやりしている僕より先にアオチさんが言う。 「何があった。そんなに動揺して」  オゼさんが答えるまで空けた数秒が、何故か何倍にも感じた。 「この船、死人が乗ってるよな?」
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