当直室の悪夢

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当直室の悪夢

――― 年末。 冬と今泉、子供達は日本へ戻って来ていた。 呼ばれても居ない春も、やってきて相変わらずの騒がしい家になり、小鳥遊は上機嫌だった。 「藤田麻酔科医局長の奥様に、お子さんが出来たそうですよ。」 小鳥遊は、病院から遅くに帰って来て、玄関で待っていた冬にコートを渡した。 「あら♪でも藤田蓮医局長って…。」 「ええ。僕よりだいぶ上ですし、奥様もあなたよりも随分上ですね。」 今日手術で一緒だった時に、小鳥遊は蓮に聞いたばかりだった。 「…ですよね。きっとお年を取ってからのお子さんだと、とても可愛いでしょうね。」 コートをハンガーに掛け、いつものように冬が、小鳥遊のネクタイを外した。 「藤田蓮医局長は、恥ずかしがっていましたが、それでもとても嬉しそうでしたよ。」 小鳥遊は玄関で靴を脱いた。 「家に小さな子供が居ると、それだけで明るくなるもの。」 ダイニングには、いつものように夕食の支度がしてあった。 今泉が子供に本を読んでいる間、冬は小鳥遊の前に座り、食事の様子を眺めるのが日課だった。 「…もう一人ぐらい欲しいですか?」 小鳥遊が、優しく笑ったが、冬は驚いた。 「えっ…ガクさん。もう一人欲しいの?」 「僕は、あなたさえ良ければ、何人でも構いませんよ?…特に作る作業は、好きですね。」 美味しそうに、みそ汁を啜りながら、小鳥遊は笑った。 「ええ…言われなくても知ってます。」 いつの間にか、今泉も部屋に戻って来ていた。 「僕も、何人でも構わないよ。」 「考えておきます…けど、外科の藤田隆先生は、大丈夫かしらね?」 華と夏で、充分だと思っていた冬は、強引に話題を変えた。 「きっと喜んでいるんじゃないですかね。」 小鳥遊は、ご飯をゆっくりと食べながら言った。 「だと良いですけれど…ね。」 冬は、繊細な隆の事を考えると、少し心配そうだったが、今泉は、黙ってそれを聞いていた。 🐈‍⬛♬*.:*¸¸ 「トーコさん!…病院にすぐ来られますか?」 その電話は、深夜近くに当直中の小鳥遊から、掛かって来た。 「ええ。どうしたの?」 小鳥遊の声は、緊迫していた。 「タオル数枚と、取り合えずお金を持って。すぐに病院に来てください。外科の当直室です。誰にも見られずに、来れますか?」 冬の隣で寝ていた今泉は、すぐに起きて傍で話を聞いていた。 …外科。やっぱり。 冬と今泉は、起こるべくして起こったことだと思った。 慌てて春を起こし、一声掛けて、洋服に着替えた。 「僕も行くよ。僕が運転する!」 ふたりは荷物を纏めて、家を飛び出し病院へと向かった。 病院の受付で、夫の着替えを持ってきたのだと伝え、外科当直室へ向かった。 ドアをそっとノックをし、声を掛けると、小鳥遊の声が聞こえた。 「助かりました。思っていたよりも早く着いて。」 ドアを開けた。 「あっ!」 その様子に、思わず冬も今泉も声をあげた。外科医の藤田隆が青白い顔で、ぐったりとソファの上に横になっていた。 近寄ろうとして、再びふたりははっとした。床には血だまりが出来き、小鳥遊の靴を赤黒く濡らしていた。 「意識が朦朧とされてますが、大丈夫そうです。ちょっと僕の代わりに血圧を測って下さい。手を離せないので。」 素早く見回すと、テーブルの上には切開セットや局所麻酔薬などが転がっていた。 藤田の股間は暗赤色の血液でぐっしょりと濡れていた。その出血の多さに、冬は息を飲んだが、小鳥遊は手袋をした大きな手で、しっかりと圧迫していた。 「トーコさん僕は車いすを持って来ますから、●●病院へと運んで下さい。全て手筈は整っていますから。」 冬が血圧を測り、体の下にタオルを敷いた。状況よりも状態は落ち着いていた。 今泉が戻ってくると、冬は車を裏口に持ってくるわと言って鍵を受け取ると、暗い廊下を走って出て行った。 「止血しておいてください。傷が少し深いんです。」 藤田の股間を、ズボンの上から小鳥遊に代わって今泉がしっかりと押さえた。 …すみません。 血の気が引いた藤田は、小さな声で言った。 「自分で…切断しようとしたみたいです。」 小鳥遊は、今泉にそっと告げた。 「どうして…こんな無茶なことを…。」 今泉は、思わず口を開かずにいられなかった。 「…ご迷惑おかけして、済みません。」 消え入る様な声で、隆は言った。 「少し痛み止めを、足しておきましょうか。」 それでも小鳥遊も今泉もテキパキと動き、藤田を毛布で包み、ふたり掛かりで車いすに乗せて、静かな長い廊下を走った。 「ここの片づけはしておきます。藤田蓮麻酔科医局長は、学会で東京を離れているので、すぐには戻れないそうです。外科の救急受け入れは、僕が藤田隆先生の急な体調不良って事で、止めてます。」 「大丈夫です。春さんが居たので本当に良かった。僕とトーコさんで藤田先生のことは見るから心配しないでって、麻酔科医局長に伝えて下さい。」 「それと奥様には、伝えないで欲しいと麻酔科医局長から言われました。」 今泉は小鳥遊の顔をじっと見た。 「彼の…言う通りに僕たちは今は動きましょう。明日には麻酔科医局長が戻り、まっすぐに病院へ向かうそうですから。」 「わかりました。」 今泉は玄関まで来ると冬が丁度車を止めて降りバックドアを開けたところだった。 「このまま後ろに乗せましょう。●●病院には伝えてあるのでお願いします。この病院では、噂になってしまいますから。」 冬はそのまま後ろに乗り、出血部位を抑えていた。 「血圧は大丈夫そうだから。藤田先生痛みますか?」 藤田は力なく首を横に振った。 「夜だから10分程で着きますから。」 小鳥遊はそれを見届けて 「こちらは何とかしますから、くれぐれもお願いしますね。」 そういってバックドアを閉めた。 病院へつくと、スタッフが待ち構えていた。 「事情は伺っていますから。」 医師と看護師がバタバタと迎えに来て、そのまま処置室へと藤田を連れて行った。 「家に戻ってとりあえず入院に必要そうなものを持ってくるわ。」 冬は車を飛ばして家へと戻った。今泉は、長い時間待たされた。どうやら緊急手術になったようだが、手術自体はとても短かった。 「薬が効いていますから…。」 看護師に説明を受け、今泉は暫く藤田の傍に付き添った。冬は着替えを持ってきた。 「奥様でいらっしゃいますか?」 冬と今泉は目を合わせた。 「えっと…ええ。内縁の妻です。」 冬は咄嗟に嘘をついた。では書類の手続きなどがありますのでと、呼ばれて説明を受けていた。うっすらと隆が目を開けた。 「ご気分は如何ですか?」 今泉は静かに聞いた。 「ええ…少しボーっとしていますが、大丈夫です。ご迷惑をおかけいたしました。」 隆は、視線をそのまま天井へとうつした。 「蓮先生は、明日にはこちらに来られるそうですよ。」 隆が、ベッドの上で少し動くと、モニターのアラームが鳴った。 「そうですか…。タエさんには…?」 今泉は、そっと立ち上がりアラームを消した。 「いいえ。蓮先生が連絡しないようにとのことでしたので、トウコさんが内縁の妻ということで、代わりに手続きをしています。」 担当看護師が来て、ルートなどの確認をしながら、ちらちらと今泉をみたので、いつもの人懐こい笑顔を看護師に浮かべた。 「そうですか…。」 隆は、天井を見つめたまま静かに言った。 🐈‍⬛♬*.:*¸¸ 「全く隆先生は、面倒なことをしてくれたものだよ。」 外科医局長の山田が不機嫌そうに言い、それを見て小鳥遊は眉を顰めた。 …自分の部下の事なのに、面倒だなんて。 「取り合えず、他の病院へ送ってくれたことを、感謝します。あなたには借りが出来ましたな。ここで手術をしてたら、大変な騒ぎになっていましたよ。」 …嫌な男だ。 「いえ。お互い様です。藤田先生は、独身だとお聞きしているので、僕の妻が、藤田先生のお世話をすることにしました。」 山田が来る頃には、血だらけになっていた部屋は、小鳥遊によって、綺麗に片付けられていた。 「ああ…助かりました。院長には私から伝えますから。」 そういうと、さっさと出て行ってしまった。 ――― 翌日。 隆は体調不良とのことで、暫くの間、休職することになったが、もともと気難しく、メランコリックな性格から誰も、驚かなかった。 小鳥遊は、当直明けも勤務であった為、藤田の事が気になってはいたものの、病院から離れることが出来なかった。 (術後の経過も良く、安定してます。) 今泉から、メールが入りホッとしたのもつかの間、院長から呼び出だれた。 …やれやれ。 「院長室に、行ってきます。」 小鳥遊は、昨夜のことを、詳細に報告しなければならなかった。途中から、スクラブを着た外科医局長もやってきた。 「小鳥遊先生が、うちの藤田と、仲が良かったとは知りませんでした。」 欠伸を堪えながら、山田外科医局長が言った。昨日は夜中に呼び出され、隆の代わりに当直を務めていた。 「ええ…何度か麻酔科医局長と連れだって、うちに来たことがあってから、時々食事を食べたりしていました。」 「容態は、どうだね?」 3人とも、立ったまま話をしていた。 「先ほど妻から連絡があって、術後の状態も落ち着いているそうです。」 院長は、眉を顰め考えて居るようだった。 「そうですか。」 「仕事復帰は、暫くかかりそうですね。このことは内密にして頂きたい。判りましたね。お願いしますよ。」 院長は、ふたりの顔を交互に見ながら言った。 「はい。」「ええ。」 「では、暫く休職扱いのままという事で。」 院長と山田は、細かい話し合いをしていたため、小鳥遊は失礼しますといって部屋をでた。 …とても長い一日だった。 病棟へと小鳥遊は戻りながら、大きく伸びをした。 「全く外科医局長が、あそこまで酷いとは思わなかったです。」 小鳥遊は、珍しく今泉に、愚痴を言った。 「ああ…あの人は、いつも大雑把ですよ。女性に関しては、まめなようですけれど。」 冬は一度家に戻って来てから、藤田の入院準備の為、ばたばたしていて、一日中買い物へ行っていた。 「春さんも、静さんも本当にすみませんでした。」 小鳥遊は、部屋着に着替えると、リビングへとやって来た。 「あら良いのよ。なんでガクさんが謝るの?お友達が大変な時は、お互いさまよ。藤田先生でしょう?」 春が、重たくなった夏を抱き上げると、嬉しそうに足をバタバタさせた。 華は、帰って来たばかりの小鳥遊に抱かれて、にこにこしていた。 冬が、病院から帰ってきた。 「どうだった?」 子供達は、冬の声を聞くと、慌てて玄関へと走っていった。 「うん…多分、暫く療養が必要じゃないかなぁ。2-3週間で退院は出来るって。」 冬の顔は、少し疲れていたが、ふたりにただ今。良い子にしてた?と優しく微笑んだ。 「あなたも疲れたでしょう?お風呂湧いてるわよ?」 春が、冬の食事の準備をしたが、先にするわと言って、華と夏の寝る支度を手伝った。 「もし、藤田先生さえよければ、退院後、うちに少し居て貰ったら?やっぱり奥さんの妊娠のことじゃないかと思うの。」 子供達を連れて行くと、入れ替わりで小鳥遊が、絵本を読みに子供部屋へと向かった。冬はため息をついた。 「…でしょうね。」 今泉が、静かにお茶を飲んだ。 「隆先生は、寡黙な方だし、なかなかご自分の気持ちとか蓮先生に言えなかったのかも知れない。」 似たような境遇の二つの家庭は、皮肉にも、少しづつ結束を固めているような気がした。 「難しいですね。でも彼が、家に来てくれるのなら、丁度、あなたたちも、居なくなってしまうし、僕は寂しく無くて良いです。」 小鳥遊が、暫くしてから戻って来た。 「あ…でも隆先生と、浮気しないでね。」 冬が、真面目な顔で言ったので、今泉が笑った。 「僕は、男性に興味はありませんよ。」 小鳥遊が、ムッとしていった。 「ガクさんが無くても、相手があったら困るわよ?」 小鳥遊は呆れた顔をした。 「それは絶対にありません。」 冬が気にしているのは、小鳥遊が上半身裸で風呂から出てきたり、水を飲んだりするからだった。 「そう…なら良いけど。」 …相手にとっては、大問題なのよ。 「僕は、平気ですから。」 「相手を刺激するようなことしちゃ駄目よ?目の前を裸で歩いたりとか、ガクさんいつもするでしょう?」 「今日のあなたは、ちょっとしつこいですよ。」 小鳥遊が、ちらりと冬を見ながら言うと、冬は眉を顰めて反論しようとしたときに、ほらお風呂に入っておいでよと、今泉は冬をせかした。 こんな時は、決まって言い合いになるからだった。 「ええ。そうですね。でも…しつこく言っても駄目でしたけど…ね。」 小鳥遊は、夕食を食べ終わり、茶碗や皿をキッチンへと運んだ。 「嫌な言い方しますね。」 ああ、本格的に始まっちゃったと、今泉は春に笑うと、もうほっときなさいよ。似たもの夫婦なんだから…と言いながら、今泉が座っているソファに、腰かけた。 「…。」 冬は、無視して風呂の準備をしていた。 「僕は、あの時の事は、本当に申し訳ないと思っていますよ?」 「ええ。私、今日は、特にしつこいですもんね。」 さっさと風呂に入ってしまった冬を、追いかけて入ろうとしたが、鍵を閉められ失敗に終わった、小鳥遊をみて、今泉と春が笑った。 「先を越されちゃったのね」「今日は失敗したんだ。」 小鳥遊はそれを聞くとイライラした口調でふたりに言った。 「あなた達はいつもそうやって…。他人事だと思って楽しんで。趣味が悪いですよ。」 小鳥遊は怒って自室へと籠ってしまった。 「だってふたりを見てると楽しいんだもの。」 今泉が笑うと、あら嫌だガクさん怒っちゃったじゃないと言いつつも春もつられて笑った。 病院へ、藤田麻酔科医局長の代わりに、冬と春が着替えや必要なものを届けた。 「本当に、トーコさんと春さんにはお世話になってしまって…。」 冬は、汚れ物を詰めながら笑った。 「良いんですよ。もし隆先生さえ宜しければ、暫く小鳥遊のところに退院されたら来ますか?その頃には私も今泉も居ませんから、どうぞ好きに使って下さい。」 入院して少し落ち着いたのか、隆の険しさが和らいだ気がした。 「本当にありがたいのですが、僕は暫く療養したいと思っています。」 冬は、それを聞いて安心した。 「時任先生のところに、また通うことをえ蓮に約束させられました。」 隆は、弱弱しく笑った。 「そうですか…退院したらお祝いしましょうね。母が張り切ってしまって…隆先生が来て下さらないとがっかりしますから。」 隆は、突然むせび泣いた。 「隆…先生?」 冬は、ただ隆の傍に静かに座っていた。暫くすると落ち着つき、すみませんと小さな声で言った。 「いいえ…誰か蓮先生以外に、お話が出来るお友達はいらっしゃいますか?」 病室には、西日が差していたので、冬は隆の顔に日差しが当たらないように、半分程カーテンを閉めた。 「僕は、人と接するのが苦手で、友人は居ません。」 隆は、物静かだが神経質なところがあった。しかし、他科入院で、脳外科病棟に外科の患者が入院した時でも催促しなくても、すぐに外科病棟からやって来て指示をかいたり、朝晩は、必ず病棟に寄るなど隆はとてもマメな医者だった。 「でも小鳥遊とは、食事に行ったりしたと聞きましたけど?」 小鳥遊は鈍感なところがあるが、それがかえって気を遣わず楽なのかも知れないと冬は思った。 「ええ、似たような境遇なので、話しやすいですから…。」 「小鳥遊も、今泉も私も皆、隆先生のことを心配してますから、何かあったら誰でも良いので電話を下さいね。」 冬は隆に頼まれていた本を、床頭台の上にそっと置いた。 「本当にお世話になりっぱなしで申し訳ない。」 ドアが開き、看護師が入って来た。 「あら奥様いらっしゃっていたんですね。」 隆も、上手く冬が庇ってくれた事に感謝していた。 「ええ…いつも主人がお世話になっております。」 少し世間話をして冬は病室を出た。丁度、蓮がこちらへと向かって来るところだった。 面会時間がバラバラなので、冬とは合わないが、毎日のように来ていることは、隆から聞いていた。 「蓮先生。」 「トーコさん。あなたには本当にお世話になっています。」 麻酔科医の藤田連は深々と頭を下げると、冬は慌てた。 「いえいえ…それより奥様は如何ですか?」 「ええ順調です。」 少々複雑な表情をしていた。 「こうなることは、予測が出来たんです。」 蓮は、静かに話し始めた。 「あの…私が伺って良い話では、ないような気がするのですが…。」 冬は、じっと蓮を見つめた。 「そうですよね。」 蓮は、苦笑した。 「でも…差し出がましいことを申し上げますが、奥様と隆先生、ふたりには、きちんと何も隠さず伝えた方が良いと思います。」 冬は何となく、それぞれに蓮が隠し事をしているような気がしていた。 「少なくとも、大切なことは、3人で話し合われた方が…。」 蓮は、少し考えるような顔をしていた。 「以前、楽しさも2倍、辛さも2倍とおっしゃっていましたよね?今もずっと考えて居るんです。何でも自分だけで解決しようとすると、孤独じゃありませんか?」 蓮も、少し疲れているように見えた。 「あなたが言いたいこと…判りますよ。」 いつものように、おっとりした笑顔を見せた。 「奥様には、隆先生のことを伝えているのでしょうか?」 ふたりの間で、一番苦悩しているのは蓮自身だ。 「いいえ。心配を掛けますから伝えて居ません。出張に出ていると説明してます。それに隆が知られるのを嫌がりますから。」 蓮は、ガラスのように繊細な隆とは、全く正反対に見えた。 「家族だから、心配して当たり前じゃ無いんですか?迷惑掛けたり、喧嘩したり、家族なんですから。」 冬は、蓮の顔を真っすぐに見つめた。 「蓮先生が、思っていらっしゃるよりも、強い方たちです。だからきっと、本当のことを伝えても、ちゃんとそれぞれが、受け止めて、対応できるんじゃないでしょうか?」 「そうですね…あなたの、おっしゃる通りかもしれません。」 蓮は、ふっと優しい笑顔を浮かべた。 「先生達は、見ていてなんだか3人とも、相手に気を使い過ぎて、痛々しい気がするんです。だから…。」 昼食の時間を告げる病棟アナウンスが、冬の言葉を遮った。 「あっ…済みません。お時間取らせてしまって…隆先生がお待ちですよ。では…。」 冬は蓮に頭を下げ、良い香りが漂うお昼時の廊下を、足早に歩いた。 🐈‍⬛♬*.:*¸¸ 「やっぱり…私、日本に帰ってくることにする。」 激しく愛し合った夜、小鳥遊と冬は一緒にシャワーを浴びていた。 「折角教授になれたのに?」 小鳥遊は冬に、優しく背中を洗って貰っていたが、振り返った。 「うん…。静さんもあと1年ぐらいでしょう?先に帰って来ても良いかなと思っているの。」 「あなたは本当にそれで良いのですか?」 シャワーヘッドを持ち冬に優しく掛けていた。冬の白い肌は、シャワーで温められてピンク色に染まり、お湯をはじいていた。 「うん。教授になりたいわけではなかったから。」 …贅沢な話だ。なりたくても慣れない万年講師は大勢いるのに。 冬は、そのことも知っているだろうに、何故帰って来たいと言うのだろうか? 「でも…僕は、とてもあなたに向いていると思いますよ?」 「ええ。でも、私は誰かに教えるより、まずは、自分がもっと勉強をしたかったの。」 冬はシャワーの湯でごしごしと顔を洗い、寒いと言いながら湯船に浸かった。 「僕だったら、数年はあちらで過ごすと思いますよ。」 「ガクさんだったら…でしょう?ビザも切れるし、丁度良いわ。それとも、私が戻ってきたら、都合が悪いことでもあるのかしら?」 冬は、意地悪く笑った。 「またそんなこと言って。僕はあなたと静さんが帰ってくるのを、一日千秋の想いで、ずっと待っているんですよ。早く帰って来て貰えればそれは嬉しいに決まってるじゃないですか。」 小鳥遊も湯船に浸かり湯がザーッと溢れ、 湯気が立ち上った。 「でも私が居ると煩いわよ?」 冬は、いつものように小鳥遊に背を向けて座った。 「ええ。それは覚悟の上です。」 水の中で冬を抱き寄せると、しっかりと胸と腰に手を回した。 …何よ。覚悟の上って。 先ほど愛し合ったばかりだと言うのに、小鳥遊はゆっくり胸に触れていた。 「僕は、あなたの背中ばかりを、見つめ続けてきたような気がします。」 伸ばしたふたりの足が、ゆらゆらと湯船の中で揺れていた。 「それって、好き勝手なことをして、ガクさんを振り回してってことよね。」 「それでも僕はあなたを愛していますよ。」 …否定しない…ってことはそう思ってるのね。 「だからあなたは、あなたがしたいことをすれば良いんですよ?」 小鳥遊は、大きな指で冬の乳首に優しく触れていた。 「じゃぁ…あと3年ぐらいアメリカに居ようかな。」 熱すぎないお湯は、ふたりで長めに入ることが出来た。 「えっ…あと3年?」 …ほらね。 小鳥遊が口ではしたいことをすれば良いというが、本当はすぐにでも帰って来てほしいことを冬は判っていた。 「うん♪そうしたら、経験も十分でしょう?」 …ちょっと虐めちゃえ。 「最低でも半年に一度は帰って来るし、平気よね?」 冬の胸の上で泳いでいた小鳥遊の手が止まった。 …変態エロ 激しく動揺中。 「…。」 冬が振り返ると小鳥遊は複雑そうな顔をしていた。 「嘘よ…冗談♪来年には必ず帰って来るわ。約束する。」 「もう…驚かさないで下さい。」 小鳥遊は冬の首筋に唇をそっとつけて笑った。 「華ちゃんと夏さんと一緒に帰って来るわね。」 「判りました。楽しみにしていますよ。」 再び冬の胸の上で小鳥遊の手がゆらゆらと動き出した。 「うん…でも病棟が良いの。出来ればガクさんと一緒に働きたい♪喧嘩いっぱいしそうな気がするけど。」 冬が笑った。 「ええ。僕もそう思っていたところです。どうぞお手柔らかに。」 小鳥遊は冬の下腹部にそっと手を伸ばした。 「ガクさん駄目よ明日早いんでしょう?それにさっきいっぱいして疲れちゃったの。」 「そうですか…じゃぁまた明日にします。」 …おっ…どうした変態。 「素直なガクさん…なんか違和感があります。」 「前立腺刺激で、判りましたから。」 …あらら…ミラクル発生。 では、お風呂をあがって寝ましょうと小鳥遊はゆっくりと立ち上がった。 🐈‍⬛♬*.:*¸¸ 冬達がアメリカに帰った後、藤田隆が訪ねてきた。小鳥遊とメールのやりとりなども頻繁にするようになっていた。 「あの時は本当にお世話になりました。奥様にも今泉先生にも。」 春が来ており、約束通り食べきれない程の料理を作っていた。隆はふたりに挨拶をした。 「母の(かず)です。」 スリッパを出しながら春が笑った。 「そうですか…どちらか分からなかったもので…済みません。」 「沢山お越し戴いたらそのうち見分けがつくようになりますから。」 春は、では…ごゆっくりと気を使って部屋にさがったが、隆に呼ばれて3人で食事をすることになった。 「あれから如何ですか?」 小鳥遊は静かに隆のグラスにビールを注いだ。 「ええ…お陰様で。蓮ともタエとも話し合ったんです。」 隆は静かに笑った。 「先生の奥様に蓮がアドバイスを貰ったよと笑ってました。」 「そうだったんですか?知りませんでした。妻は誰に対しても臆することなく意見を言ってしまうので、ご不快な気分にさせていたらすみません。」 冬は一言も言って無かったが、そんなこともあったのかと驚いた。 「ええ。僕にもタエにも隠し事をしないで家族なんだからと。」 春がビールを隆に注ぎながら、あらあの子ったら余計なお節介をというと、小鳥遊は思わず笑ってしまった。 …春さんだって同じぐらいお節介なのに。 「そうでしたか…。」 冬はまるで気にしていないようだが、ちゃんと人を観察している。時々読唇術でも出来るのでは無いかと思う程だった。 「僕よりも彼女は随分大人なんだなと蓮が苦笑いしていました。奥様と居ると、気分が落ち着きますね。本当にあなた達には救われたと思っています。」 寡黙な印象は変わらないが刺々しさが和らいだ印象を受けた。 「お子さんのことは…。」 小鳥遊は静かに聞いた。 「ええ。判っては居たものの、やはりショックでした。自分でもあの時はどうかしていました。」 少し寂しそうに微笑んだ。もしかしたら…冬が言った通りだった。 「今はどちらに?」 「蓮のところでゴロゴロしていますが、でもやっぱり少々気まずいですね。」 「あらじゃぁ家に来れば良いじゃない♪」 春が会話に割って入った。 「折角、少しお休みが貰えるなら家で過ごせば良いわ。私はここと葉山の家を行き来してるのよ。ゆっくりするなら丁度良いと思うわ。普段は私かお手伝いさんしか居ないし…。」 「でも…それでは…。」 隆は小鳥遊をじっと見つめた。 「ええ。そうですね。きっとゆったりと過ごせると思いますよ。ホテルや旅館より設備が整っていますから。」 春のところなら誰にも邪魔されず、過ごせるのではないかと小鳥遊も思った。 「少しひとりで考える時間も必要じゃないかしら?静さんもよく遊びに来ていたのよ。もう冬も寄り付かなくって、寂しいわ。」 春が溜息をついた。 「だから隆さん。もし宜しければ、いつでもお越しくださいね。プールもジムもあるから運動も出来るし、お手伝いさんが居るからご飯も心配無いし…。」 春はメモに住所と携帯番号を書いて、少々驚く隆に渡した。小鳥遊は春を見て笑いながら、ゆっくり出来ますよと隆に言った。冬の面倒見が良いのは、春に似たのかも知れないと思った。 「ええ…ではそのうちに…。」 隆も春の押しの強さに苦笑した。
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