第1話 聖女様の秘密の恋

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 そうしてパメラは、次の日には聖女様が住む()()(じょう)に出仕した。まずは試用期間のみではあるが、離小城内の使用人用の狭い部屋に住まわせてもらい、朝から晩まで働くことになった。 「初めまして、聖女様。パメラ・カラパスと申します。今日から聖女様にお仕えさせていただきます」  聖女様の私室に連れてこられたパメラは、侍女服のスカートの裾を持って頭を下げ、丁寧に挨拶をした。しかしソファに腰掛けている聖女様は何やら戸惑っているようで、パメラのつむじをじっと見つめたまま何も言わなかった。 「見てのとおり、パメラは聖女様とほぼ変わらない子供ですが、わたくしどもと同じ、あなた様に仕える者です。些細なことでも、気兼ねなく用命していいのですよ」  三十代後半の侍女が、パメラの背後からそう声をかける。  自分に近い年齢の侍女の存在に聖女様はかなり戸惑っていた。これまで大人としか接していなかったため、自分と似たような背の低い子供にどう接してよいのかわからないようだった。 「そのとおりです、聖女様。まだ子供なのでできることは限られてしまうかもしれませんが、気軽になんでもお申し付けてくださいませ。あっ、今日は日差しが眩しいですが風は意外と冷たいんです。お寒くはないですか? 何か羽織るものをお持ちしますか? それとも、温かいお茶でもお淹れしましょうか」  座ったままの聖女様に、パメラは矢継ぎ早に問いかけた。あまりにも連続で飛んでくる質問に混乱したのか、聖女様は露草色の目をまん丸に開いたまま固まった。しかししばらくすると、おずおずと小さな声で答えた。 「膝掛けを……」 「膝掛けですね! 畏まりました、少々お待ちくださいませ」  聖女様から用命されたことが嬉しくて、パメラはパァッと花が咲いたような眩しい笑顔で頷いた。それから、先輩侍女に膝掛けのありかを尋ねて、毛糸で編まれた膝掛けを持って聖女様のもとに戻る。  それからもしばらくの間、聖女様は歳の近いパメラのことを少し警戒しているようだった。しかしそんなこと、パメラは露ほども気にしなかった。聖女付きの侍女として、とにかく聖女様が快適に過ごせるように常に頭をはたらかせた。もしかしたら聖女付きの侍女としては不適格と判断され、試用期間終了後には離小城を追い出されるかもしれない。そうなったら仕方がないが、できればそうならないようにと、パメラは毎日必死に働いた。 「聖女様、お疲れでなければお庭を散歩してみませんか? きれいな花が咲いたんですって。あ、でも、なんという名前の花だったかは忘れてしまいました」 「ふ……ふふっ」  パメラが馬鹿正直にそう言うと、聖女様は片手で口元を隠しながらこらえるように笑った。「聖女」という身分を意識しているせいなのか、聖女様はこれまで感情を表情に出すことはほとんどなかった。その聖女様が我慢しきれずに自然と出してしまったその控えめな笑顔を、パメラはとてもかわいいと思った。 「グントバハロン国、首都はエンフェリダクス。グントバハロン家が宗家として国を治めていて、国民すべてに労働の義務があります。同盟国が多く軍事力が高いけれど、その歴史上一度でも他国を侵略したことはありません」 「わあっ! 聖女様、すごいですね! 私より難しい言葉も知ってるし、ほかの国のこともよくお勉強されていますね!」  ある日、聖女様は離小城を訪れた家庭教師から他国について教わるというので、パメラも僭越ながら聖女様と同じ生徒として同席した。そして「グントバハロン国とはどんな国ですか」という家庭教師からの問いに、聖女様はすらすらと答えてみせたのだ。 「祈りや儀式がない日は……本を読んだりしているから」 「今はまだご経験がありませんが、聖女様は他国を訪問されることもあります。そのため、世界各国の知識は必要不可欠です。あなた……えっと、侍女のカラパスさんとおっしゃいましたか。あなたも聖女様に仕える身ならば、もっと学習なさい」 「はい! 聖女様に追いつけるように頑張ります!」  女性の家庭教師は眼鏡のフレームの位置を直しながら、やや嫌味っぽくパメラに言った。しかしパメラは家庭教師のちょっとした意地悪な言い方もなんのその、若草色の瞳をキラキラと輝かせ、太陽のように明るい笑顔で大きく頷いた。そんなパメラを見て聖女様は楽しそうにくすりと笑った。  そんな風に一ヶ月という試用期間はあっという間に過ぎていった。  そしてとうとう、パメラに雇用継続の有無が言い渡される日が来た。パメラは解雇されることを覚悟していたが、意外にもあっさりと、正式に聖女付き侍女としてこの離小城に勤めることを許された。 「侍女としての仕事ぶりはいたって普通です。むしろそそっかしくて騒がしくて、改善すべき点はおおいにあります。まだ子供なので致し方ないとはいえ、〝子供だから〟という言い訳が通用するのもあと一、二年ほどです。引き続き、聖女様に仕える者としてふさわしい言動を磨きなさい」 「はい。努力いたします」 「そんなあなたを今後も聖女様のお傍に置くのは、聖女様ご本人がそう望まれたからです」 「えっ!?」  離小城で働く使用人を統括する家宰の職にある初老の男性の言葉に、パメラは驚愕した。 「引き続きあなたに仕えてもらいたいと、聖女様がそうおっしゃいました。ゆえにあなたは聖女様の侍女として正式に雇われます。もう一度言いますが、聖女様の侍女としてふさわしい振る舞いができるように努力を続けるのですよ」 「はいっ! 不肖ながら、精一杯お勤めさせていただきます!」  パメラは大きな声でそう言うと深々と頭を下げた。  これで本当に、念願の聖女付き侍女に正式になれたのだと思うと嬉しくて仕方がない。今すぐに母の墓に行ってこの喜びを報告したいと思ったが、家宰の執務室を出たパメラはまっすぐに聖女様の私室に向かった。そして丁寧にドアをノックしてから入室し、歴史書を読んでいた聖女様に声をかけた。 「聖女様、ありがとうございます! これからもこのパメラ、頑張って聖女様にお仕えしますのでどうぞいつでも何でもお申し付けくださいね!」  あまりにもパメラが元気な声で言うので、聖女様はその声量の大きさに驚いたようだった。しかし手に持っていた本を閉じてテーブルの上に置くとしずしずと声をかけた。 「はい。これからも……よろしくお願いします、パメラ」 「わぁっ! 聖女様にお名前で呼んでもらえて嬉しいです! あ、そうだ、でも」  パメラは喜びに満ちた笑顔から一転して、あることを思い出して真面目な顔になった。それから、両手を身体の側面に伸ばすときっちりと腰を九十度に曲げて深々と頭を下げた。 「聖女様、ごめんない。私ずっと、聖女様に謝りたかったんです。聖女様は憶えていないかもしれませんが、二年前に私、母を()(わい)の儀に連れていったんです。でももう手遅れで……聖女様は『助けられなくてごめんなさい』って言って気遣ってくださったのに、私は聖女様を責め立てるようなことを言いました。本当に……本当に申し訳ありませんでした」  今ならわかる。家なき子になったパメラを雇ってくれたキャロリンの娘さんを助けられなかった時も、聖女様は泣いて謝ったという。きっと聖女様はこれまでに何度も何度も、あの悲痛な「ごめんなさい」を繰り返してきたのだろう。  神の力を使える聖なる存在として崇められ、期待されながらも、しかしその癒しの力は決して万能ではなく、助けられない場合もある。もっと幼い頃から聖女様は「聖女」として、何度も「ごめんなさい」を繰り返してきた。その小さな身に背負わされた重責、それを果たせない無念さ、そして人々を癒してあげられないことを悲しむ優しさ。そんな誠実さを持つ聖女様に、自分は本当にひどいことを言った。もしもそのことで聖女様が自分を嫌うのなら、せっかく得たばかりの職だけれど今すぐこの場で雇用を撤回されても仕方がないと、パメラはそう思った。 「咳と熱が続く……あの病のお母様ですよね。憶えています」  聖女様はソファから立ち上がり、パメラに近付いた。そしてパメラの右手を両手でやさしく掴むと、ぎゅっとその手を握り締めた。 「いいんです。あなたの大事なお母様を助けられなくて……本当にごめんなさい」 「っ……聖女様! 聖女様こそ、もういいんです! もう謝らなくて……あの……母は亡くなってしまいましたが、でも、その……うまく言えないんですけど……」  パメラは顔を上げると、頭の中で懸命に言葉を探した。露草色の瞳に憂いを映す、自分よりも背の低い、まだ十にもなっていない子供の聖女様。それなのに自分の役目をきちんと理解して、自分の立場をしっかりまっとうしようとしている。そんな聖女様に自分がかけるべき言葉を。聖女様が少しでも心を穏やかにしてくれるような言葉を。 「聖女様に助けられた人はたくさんいます! でも聖女様のお力は万能じゃない……死んだ人を生き返らせることができないように……それは仕方がないことです。だって生きていれば、かならず死はやってくる……だからせめて正しく、善く、神が求める〝白き心〟を持てるように生きたくて……えっと、その、だから……聖女様は本当に素晴らしい聖女様です! ウォンクゼアーザ様が聖女様に力をお貸しくださるのも、わかる気がします! だから、あの……気にしないで、って言うのも変で……その……と、とにかく、これからはパメラがお傍におりますから! 何かつらいことがあれば、このパメラを頼ってください!」  しどろもどろになりながらも懸命に慰めてくれるパメラに、聖女様は嬉しそうに目を細めた。  それから十年間、パメラは聖女様に仕え続けた。十六歳で成人したパメラは離小城の使用人部屋から、城下町にある集合住宅へと住まいを移した。離小城に住み込みで務める者は老いた使用人や神官、あるいは未成年者などで、若くて健康な成人は城下町内の自宅から離小城へ働きに通うのが原則なのだそうだ。  パメラは聖女様と共に家庭教師の講義を受けて学を身に付けつつ、掃除や洗濯などほかの侍女の仕事も手伝いつつ、毎日勤勉に働いた。聖女様から「名前で呼んでほしい」と言われた際はそれほど信頼してもらえているのかと嬉しくて舞い上がりそうだったが、しかし「聖女様」と呼ぶことが規則なので最初は丁寧に断った。けれども、捨てられた子犬のようにしゅんとした表情で俯いてしまった聖女様を見てすぐに翻意し、「誰にも気付かれないよう、二人きりの時だけにお呼びしますね」と答えた。嬉しそうに破顔して「ありがとう」と涼やかな声でお礼を言う聖女様の、なんとかわいらしいこと。パメラは恋をしたわけではないが、三歳年下の聖女様の愛らしさにきゅんきゅんと胸をときめかせた。 「あら、またなの?」 「ええ、そうなのよ」 「心配ね。お身体でも悪いのかしら」 「体調に問題はないとご本人はおっしゃるのだけれどねえ」  ある日パメラがキッチンに向かうと、二人の侍女が残飯の乗った皿を囲んで困惑顔で立ち話をしていた。 「どうかなさったのですか?」 「え? ああ、聖女様がね……ここ数日、食が細いのよ」 「朝も昼も夜も、食事を半分ほど残されてしまうことが多くて……ご本人は大丈夫だとおっしゃるのだけど」 「心配よねえ。身体が弱い方ではないけれど、過去の聖女様の中には神の力を使うたびにひどく疲弊して寝込んでしまう方もいたそうよ。これまでは平気だったのかもしれないけれど、もしかしたら儀式の頻度が多すぎるんじゃないかしら」 「神官様たちにも相談した方がいいかもしれないわね」 (聖女様、いったいどうされたのかしら)  パメラも日々聖女様と顔を合わせてはいるが、体調が悪そうに見えたことはないように思う。しかし思い返してみれば確かにここ数日、どことなく聖女様はぼうっとしている時間が多い気がする。体調というより、もしかしたら何か心労を抱えているのかもしれない。  そう思ったパメラは聖女様にお出しするお茶の用意をすると、ワゴンを押して早速聖女様の私室に向かった。そして部屋の中に聖女様と自分の二人だけになったことを確認してから聖女様――ルシリシアに尋ねた。 「ルシリシア様、もしかしてどこかお身体がすぐれないのでしょうか」 「え?」 「ここ最近、食が細くなったと聞いております」 「そう……かしら」 「はい。朝も昼も夜も、お食事を残されているそうですね。何か悩み事か、心配事でもあるのでしょうか。もしよければ教えてくださいませんか。このパメラ、不肖ながらお力になれるかもしれません!」  パメラがそう尋ねると、しかしルシリシアは首を横に振った。「特に何もない」と。だが何もないようには決して見えない。理由はわからないが、ルシリシアの周辺には隠しきれない憂いの空気がただよっている。  パメラは根気よく尋ねた。するとルシリシアはぽつりと教えてくれた。先日行った離穢の儀で目が合った黒髪の、体格のいい男性のことが不思議と忘れられないのだと。 「あの人のことをふと思い出してしまって……それだけじゃなくて、なぜか全身が熱くなるの」 「ん?」 「頭の中の……記憶の中だけのあの人に私……ふれてみたくて」 「んん?」 「どうしてかしら……あのお髭をさわってみたくて……。太そうな腕は……何か、こう……私を……どうにかしてほしいって」 「んんん?」 「そう思ってしまうと……お腹のあたりがきゅって締まるように疼くの」 「んんんん~~~……えっとルシリシア様、それは……えっと……」  特定の異性のことが忘れられず、自然と何度も思い出してしまう。おまけに身体が熱くなってその人にふれたいとか、あるいは自分にふれてほしいとか、疼くように思ってしまう。その状態はつまり「恋をしている」ということではないだろうか。 「あの、ルシリシア様……もしかしてその男性のことがお好きなのでしょうか」 「好き……?」 (っ……しまったああああ!)  聖女という存在は本当に特殊だ。レシクラオン神皇国を統べるファンデンディオル家の血筋からしか誕生せず、聖女の証である銀髪と露草色の瞳を持って産まれる。聖女として誕生した赤子はファンデンディオルの実の両親や兄弟から引き離され、家族の一員としてではなく完全に「聖女」としてこの離小城にて育てられる。血のつながった親や兄弟などの「家族」はいないものとして、ただ一人孤独に「聖女」という責務を負って生きなければならない。  そんな聖女は誰かと恋をすることも、ましてや結婚することも一切許されていない。この世界で唯一神と通じ神の力を使って人々を癒せる聖女は、死ぬまでただひたすらに「聖女」で在らねばならないのだ。 「い、いえっ……何度も思い出して気になってしまうのは好きってことなのかなと……あ、でも、全然別に、そうじゃないとも思いますし!」  パメラは必死に取り繕った。生涯聖女で在り続けるさだめのルシリシアに、恋心など自覚させていいはずがない。しかし残念なことにもう手遅れだった。 「好き……ええ、私……あの人のことが好きになってしまったのかもしれないわ」 (嘘おおおおおおどうしよおおおおおお!!!)  聖女様に仕え始めて十年。二十二歳のパメラは背中に大筋の冷や汗を流して人生で一番のパニックに陥ったのだった。
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