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ロリキャラ失踪事件
どうやら和田成は憧れていた探偵助手になれたらしい。
それも、仙台はもとより街の外にも名声が轟く日本唯一の私立二次元探偵、複家紗流の。
彼女の真似をした同業者は幾人もいた。
現実離れした才能を持つ二次元出身の探偵も何人か実体化していたが、彼らは、〝基本設定が現実と同じ作中でなぜか自分が歳をとらないことに気づけなかった〟り、〝作品内では正体を隠さねばならない立場なのに頻繁にそれが露見しかけて幸運に救われてばかりだった〟りする人物たちだ。実体化するとそういうおかしさに感づくこともあるが、簡単には慣れられずにどこか抜けたままで、三次元世界での二次元探偵としては活躍しきれなかった。もちろん三次元人の探偵も、二次元の特異性には対応しきれなかった。
故にことごとく潰れ、結局、どういうわけか他を寄せ付けない類い稀なる能力を有する紗流だけが二次元関連専門の探偵を存続できている。
彼女は大富豪複家家の娘で白人と日本人のハーフ、優秀な頭脳を持つ才女とされる。家族は全員、二次元強制実体化事変で死亡。
天涯孤独の身となって以降は、二度と悲劇を繰り返さないよう二次元と三次元の明るい未来のため生涯を尽くすと決意し、探偵事務所を興したという。
受け継いだ複家財閥の遺産は仕事に使うため、自分の生活は小さな事務所で抑えているそうだ。これまで人も雇わなかった。依頼料も〝気持ち〟を受け取る程度で貧しい客からは無料でも受ける。あらゆる業務を一人でこなし、外見上はせいぜい小学生なのに経歴上は二〇代後半という不可思議過ぎる女性探偵。
現実離れした存在感は、自身が二次元なのではないかという伝説さえもたらしている。
こうしたことを和田が知っているのも、疑念を持ったマスコミが周辺を調査して報じた例があったからだ。結果、不審なところはなかったそうだが。
こんな彼女が、ちょうど和田が高校へ進学しようという時期に助手の求人を初めて募集した。バイト扱いで高校生からでも応募できるというので、彼は飛びついたのだ。
なにせ日本唯一の二次元探偵。二次元に憧れる者は、たいがい彼女の仕事にも関心を持っている。
とはいえ定員は一人。紗流も著名だ。
半ばダメもとだったが、それがうまくいった。
幸先の良すぎる新生活といえた。
なにせもう一つの憧れ、理想の高校にも通えるのだから。
仙台は、世界一にして唯一の二次元閉鎖都市。だからこそ、そうしたことに特化した学校も青葉区の台原森林公園内に創設されている。
『国立仙台次元高等専門学校』。
新ホログラフィック宇宙論の証明で新設された学問、〝次元物理学〟を主に勉強できる学び舎だ。
二次元科と三次元科に分かれ、強制実体化事変以降は、二次元人と三次元人が共に通学できる史上初の高校となった。
本来、学科のくくりは次元物理学をどちらの次元の方面から学習するかの違いだったが、二次元と三次元の様々な差異や名称の響きも相まって、共学は名ばかりで二次元科には主に二次元人が、三次元科には主に三次元人が通うようになってしまっている。
そんな中にありながら、和田成は二次元科を選択したのだった。
「で、こうなるわけか」
入学式を終え授業が始まる初日朝の教室で、窓側一番後ろの席に着いた和田成は、誰にも聞き取れない小声でぼやくはめになった。
全員二次元らしきクラスのみなは、それぞれ昔からの馴染みや新たな友達と交流しだしていたが、和田の周りには誰もいなかった。
ある程度は予想していた。
たまに、離れながらもちらちらと彼を窺う二次元人から感じとれるのは、警戒だった。迂闊に近づきがたいほどの。
中学時代、濃い非リアの二次元オタクたちだけで集まって、リア充のクラスメイトたちを遠巻きに眺めていた自分を想起させられる。
どうやら、次元の海溝は想像以上に深いらしい。
正直、和田も外面的には平静を装っていたが内心はビビりまくりだった。
(なんだあれ、顔も手足もないスライムがどうやって授業受けんだ? あの巨体を前の席にしたら後ろの人が黒板見えないだろ! 校庭にいる五〇メートル級の巨人にいたってはどうやって学ぶんだよ!! あそこの席は無人なのに椅子とか勝手に動いてるけど、透明人間でも座ってんのか!? あっちの婆さんと幼女はいったい何歳なんだ! あいつどう見ても魔界の帝王だろ!! っていうか向こうは景色が崩壊してるけど、いったい何がいるんだ?!)
口には出さずにツッコみまくっていた和田成に、初めて声がかけられたのはそのときだった。
「二次元たちが気になる?」
声音の発生源たる横に目をやると、いつのまにか女子生徒がいた。
二次元じゃない、三次元の女子だ。
ブレザーの制服は同じ一学年のものだが勝手にいくらかフリルやレースをつけている、スカートもかなり短め。編み込みとリボンでアレンジした茶色の長髪。薄っすらと化粧を施した、見るからに地雷系の少女。顔立ちやスタイルはいい。
「あたしも、こんな状態でどうやって勉強するのか不思議よ」返答も待たず、彼女はしゃべる。「二次元科は教師も相応の設定を持つ二次元だからどんな生徒にも対処できるそうだけど」
「き、君は三次元なの? ぼく以外にもいたのか」
突然の出来事にやっと和田が尋ねると、少女はきょとんとして答えた。
「御覧の通りでしょ、あたしは三次元人の紀野咲麗美花よ。学校初日の恒例でみんな自己紹介したはずだけど、あんときもぼーっとしてたわけ? こっちはあんたの紹介ちゃんと憶えてんだけどな、和田成くん」
「あ、ごめん。外から来たばっかだったから、ちょっとしたカルチャーショックで」
「それも自己紹介で聞いたけど、すごいわよね。県外からでしょ? 三つも試験をパスするなんて。あたしなんて生まれも育ちもここよ」
「三つ?」
確かに学校への入学試験以外に、閉鎖都市である仙台に住むには二次元が溢れる環境でちゃんとやっていけるかを審査する〝入市試験〟もあった。
二次元との共存という特殊な状況なため、この街では〝三次元社会の新たな問題に対応する余裕はない〟とされ、あらゆる文明文化を意図して基本的に外部より一世紀遅らせている。いったん強制実体化で瓦解した街並みまで大部分が二一世紀前半を再現して修繕されたため、外の世界に慣れていると二次元抜きでも暮らすのが難しいのだ。
和田はどちらの試験もパスしている。
そんな高校生は数えるほどしかいないが、一番乗りではないし、決めたことには懸命に取り組むも他のことはおざなりになる性質なので天才というわけでもない。むしろ全体的には成績が中の下だ。
そこのところを誤解している周囲は、誰もがどうせ入市も入学も無謀だろうと高を括っていたので、予測を覆してやったときは痛快だったが。
ともかく試験の心当たりは二つで、三つではない。
「やっぱりそれもあんたが自称してたんだけど」麗美花は半ば呆れたように、回答を示した。「二次元探偵のバイトにも、合格したんでしょ?」
「ああ~、そっちか」思わずそんな返事をする。「あれは、受かったというかなんというか」
「なによ、すごいじゃないの。どうせ上の空だったんでしょうけど、二次元人たちも感心してたわよ!」
探偵に名前が気にいられただけとは白状できない雰囲気を作られた。
あれから数日。学校が始まるまで何度か探偵社には通ったが、今のところ紗流のコーヒー作りや書類整理、掃除などといった雑用的な業務をやらされているだけだ。
紗流自身三次元でありながら二次元関連の依頼しか受けないという特殊な姿勢なためか、依頼人も多少抵抗があるらしく、頼ってくるのは複雑な事情を抱えた限られた客だとは彼女自身の談だった。
リアルな探偵にありふれた浮気調査だのいなくなったペット探しだのの軽めの依頼はほぼなく、あったとしてもそんな簡単な仕事に和田の助けはまず不要という。
もっともそれらも二次元事件なので、浮気から壮大なトリックを駆使した密室殺人に繋がったり、ペットが地獄の番犬ケルベロスだったりすることもあるそうだが。幸か不幸か、今のところは平穏だった。
なにより、「最初は、君に相応しい事件を担当してもらいたい」と、彼女は希望していた。そういう仕事はまだないのだろう。
「ひょっとして、うまくいってないの?」
相手の浮かない顔で、麗美花は残念そうに口にする。
「せっかく、あんたを通して依頼したいことがあったのにな」
「えっ?」
和田が衝撃を受ける間もなく、チャイムが鳴った。
「じゃ、後でね」
馴れ馴れしく、麗美花はウインクして自分の席に戻っていく。どうやら景色が崩壊している一角が彼女の居場所らしい。そこに近づくと姿が掻き消えた、どおりで感知できなかったわけだ。
教師が入ってきた。
「さてみなの衆、席に着きなされ」
呼び掛けた担任は、クレオンブルクといった。
高位聖職者のような身なりの痩せた若々しい老人で、世界樹の枝から製作した杖を持ち、灰色の長髪と、床まで届くほど伸びた同色のひげを蓄えている。
西洋ファンタジー系のMMORPG『ファイナルクエスト』から実体化した偉人だ。
出身世界では、邪悪な真魔王を封印している大賢聖という七人の最高位知識人の一角にして善を象徴する最大級魔法使い。善悪に対する厳格な姿勢からの通称は、〝峻厳のクレオンブルク〟。
作中では設定こそ大賢聖のうちで最も乏しかったが、唯一実体化を確認されていた。
彼が杖で床を突くと、和田には教室が三次元のありふれた学校になったと感じられた。中学までの慣れ親しんだ風景だ。ただし、ここの授業道具は二一世紀前半だが。
ともあれ、いかなる二次元たちも普通の三次元人のように捉えられるのだ。五感の全てに違和感がない。二次元たちにとっても、「それぞれの主観で授業が受けやすいよう変化させておる」とクレオンブルクは説明した。
高名なこの賢者は、独自の二次元化能力も広く認知されている。
〝夢想現前〟。
知覚できる範囲にいる他者の、心中にあるものを現実にする二次元化だ。一説によれば、実体化した二次元人内でも十本の指に入る強力な二次元能力の持ち主だという。
これにより彼は、生徒の個々に見合った世界を構築し、授業を受けさせるそうだ。
二次元科の全学年、全授業の教師さえ一人でこなせている。あまりに万能なため、最近の校外では二次元側の軍や警察の重役さえも任されていた。
こうした効能をもたらす二次元の奇天烈さについては、次元物理学の授業でもその口から解説された。
「黒瀬東智の新ホログラフィック宇宙論により、三次元世界も事象の地平面という二次元から投影されたホログラムのようなものと証明されたのは存じておろう。それが発展し、二次元世界――かつて三次元では空想の産物とされたフィクションの世も、多元宇宙論の新虚構実在論で別な事象の地平面として実在することが確認されたわけじゃ。
黒瀬の発明せし二次元実体化装置は〝別宇宙の事象の地平面情報〟を〝この宇宙の事象の地平面〟に記録し直すことで、二次元を実体化させるものじゃった。我々も二次元世界に実在しておったわけじゃから、虚構だの実在だのという見方も三次元側に偏った視点に過ぎないとして、異論もあるがのう」
そこからも授業は継続したが、和田はほとんど上の空だった。
二次元だけかと構えていた教室で三次元の同級生に声をかけられ、いきなり仕事の依頼をされて混乱していたのだ。はたしてうまくやっていけるのだろうか、と。
「――和田くん、黒瀬方程式を黒板に記述してみてくれんかね?」
「へっ!? あ、いえ。すみません、わかりません」
もっとも大賢聖には察知され、叱る代わりに出題されて和田は答えられず、初日からさっそく失敗した。
仲良くなれるか心配だった二次元の同級生たちに、ささやかな笑声をプレゼントできたのは収穫だった。
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