序章 最期の元老

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序章 最期の元老

 1940(昭和15)年11月24日午後9時53分。  原田熊雄は静岡県興津にある坐漁荘(ざぎょそう)のとある一室にいた。 彼の眼の前に横たわるは一人の老人。  原田は微動だにしないその老人の静かな寝息を聞いて、つかの間の安心を得ていた。 崇拝する主の容態は思わしくないもののその静かな寝息はまるで悠々自適な生活を送るの老人と代わりはなかった。 (少しだけ休むか。)  原田が椅子から立ち上がろうと腰を上げた、その時だった。  主の目が徐ろに薄っすら開き、原田を捉えた。そして何か言いたそうな表情で、悲痛そうな表情で、口元を動かした。 「閣下…!どこか痛い所が‥」 原田はそっと主の口元に耳を近づけた。  主はかすれた声でつぶやいた。 「一体この国を何処へ持って行くのや。」 言い終えると主は静かに目を閉じ、息を吐いた。  原田は震える声で医者を呼ぶ。客間に控えていた医者は走ってきた。 医者は死亡確認という事務的な作業を震える手で行う。原田は終始主の顔を見つめていた。 「午後9時54分、ご永眠です。」 医者が時計を見て涙ながら宣告する。原田も静かに涙を流した。    次の日の朝、坐漁荘前には大勢の記者と興津の住民が集まっていた。 坐漁荘の中から姿を表した執事の熊谷八十三は震える声で発表した。
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