ただいまおかえり殺人事件

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ただいまおかえり殺人事件

 苦痛だったのです。夫と玄関で、ただいま、おかえりと、挨拶を交わし合うのが。  夫の殺害容疑で逮捕された女は、取調室でそう供述した。  夕飯の匂いが外に立ち込める時間帯。夫を殺しましたという女本人からの通報を受け、玄関で血を流し、倒れている中年男性と、その側で血のついた包丁片手に呆然としている妻を発見。その場で事情を聞き、夫殺害の自供がとれたため、即日逮捕。動機だなんだという捜査の必要も特になく、よって刑事たちの出番はなかった。だが、ただいま、おかえりなどという、一見幸せそうにも思えるそんな夫婦のやりとりが、なぜこんな凶行へと繋がってしまったのか。興味を持って少し調べてみると、女の周囲の関係者のなかにあのの名前を見つけ、未だ刺された怪我で入院している彼の元を訪ねることにした。 「悪徳のくせに完全個室とはいいご身分だな」  まるでVIP扱いだ。加えて個室のドアには常に、見張りの警察官が二十四時間待機している。そんな同業者の姿が気の毒になったが、上からの命令なのだから、仕方ないことだった。  頭を殴られ腹を刺され。二度も襲われ、一度は生死をさまよったのにも関わらず、探偵は笑顔だった。 「さすがは助手の刑事さん。私の残したダイイングメッセージをすべて見抜き、犯人を見事、つきとめたのですから」  何者かに殴られ、間際に残した「あと一回」という言葉に隠された犯人の名前。  あといっかい、の言葉をアナグラムの手法でそれぞれ文字を並べ替えていくと、かいあつと。甲斐篤人という犯人の名前になった。  自室で何者かに刺され、またも間際に窓ガラスへと書き残した『山』という血文字があらわにした、犯人の名前。  ガラスにヤマ、と言葉を組み合わせると、カラスヤマ。烏山という犯人の名前になった。  今思い返してみると、どちらも文字を変えたりしなければ犯人の名前としては成立しないもので、探偵が残したダイイングメッセージにしては随分とお粗末なものだったが。まぁどちらも犯人に襲われ、怪我をした間際に、とっさに考え出したものなのだから、多少は大目に見てやるべきなのかもしれない。 「お前の助手なんかになったおぼえはない。それよりも聞きたいことがある」  さっさと探偵の言葉を遮り、例の女の顔写真を探偵に向かい、かかげて見せる。  それだけで、探偵は全てを察したようだった。 「あぁ。彼女、自分の夫を殺害してしまったんですってね」 「この女とは、どういう関係だ。まさか彼女の不倫相手です、とでも言うんじゃないんだろうな?」  探偵という自らの立場と警察の内部情報を利用し、事件関係者を脅迫するようなこの男なら、ありえる話だった。 「まさか。彼女とは、あくまで仕事上のお付き合いだけでしたよ」 「仕事上?」 「探偵という仕事柄、一番多い依頼の中心。彼女の殺された夫の、浮気調査です」  浮気調査。それもそうか。なにも探偵だからといって、殺人事件ばかりに時間を費やしている訳ではない。むしろ浮気調査やら人探しなんかが、本来の探偵業務の中心だと言えよう。 「それにしても、彼女はすでに逮捕されているのですよね。なのになぜ、刑事さんがわざわざ私のところになんか」  刑事は自らが疑問に思っていること。女の、ただいま、おかえり、を巡る夫殺害の動機について簡単に話した。すると探偵は納得したような表情で、 「それなら、答えはひとつです。これまで私の残したメッセージに気づけた刑事さんであれば、これを見てすぐにピンとくると思いますよ」  言いつつ、一枚の用紙になにかを書きつけ、それを刑事にむかって見せた。 『()() (まい)』『(おか) ()()』 「殺された夫の、浮気相手のふたりの名前です」  嫌でもピンときてしまった。 「このふたりの名前をひらがなにして表すと、、になります」
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