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18.エピローグ
エレベーターから下を見下ろすと、スパンコールで飾り付けられたアーチに色とりどりの風船。否応にも目を引きつけられる。
ショッピングモールでは休日のイベントが開かれているようだ。
ピアノが置かれたステージの周りには人が集まっている。
ピアノとベース、金管楽器の音色が聞こえ、誰もが知るジャズのメドレーが始まる。
「早瀬様。こちらに受け取りのサインをお願いします」
店員さんから渡された用紙にサインを書き入れる。
「ねえ、樹くん。ステージ見に行ってみよう」
「ダメだよ。明日も仕事なんだから。今日中に買い物済ませちゃわないと、引っ越しの荷物が片付かないよ。カーテンの次は寝具売り場」
りっちゃんは少しだけ口を尖らせた。
ここが家だったら、小さくて柔らかい唇に絶対にキスしていた。
どんなに触れても、いつまでも触れていたい。
人目があるので彼女の手を握り、指を絡めて少しの接触で我慢しておく。
目的の寝具コーナーへ向うため歩いていると、角から飛び出してきた何かが僕の足元へぶつかった。
見るとわんぱくそうな男の子が尻もちを付いていた。
「ごめんなさい」
「大丈夫? こっちこそごめんね。痛いところない?走ってたら危ないよ、気をつけてね」
「うん。あ、やべ! 母ちゃんだ。ありがとう!」
男の子はおもちゃ売り場の方へ走っていった。
目の前をにぎやかな家族が追いかけていく。
「待ちなさい! 虎太郎。おもちゃは後でって言ったでしょ! あなた、まろん、虎太郎を捕まえて!」
「虎太郎、母ちゃん怒らせるなー」
「もう、わたし服を見に行きたいのにー」
にぎやかで仲の良さそうな温かな家族。
おもちゃ売り場に消えていく家族を見つめていると、彼女が呟いた。
「……なんかいいね。樹くん」
「うん。すごく。すごくいい……」
イベントホールからはゆったりした少し切ない馴染み深いメロディーが聞こえてきた。
「この曲、樹くんの好きな曲じゃない? ねえ、ステージ見に行こう」
「帰ったらCDがあるんだからゆっくり聴けるよ」
「生演奏を聴いてみたいの!」
男の子の母親がステージの方へ戻ってくることはなかった。
「ほら! 行こう」
僕の手を取る彼女は華やいだ笑顔を見せた。
あれから、やるだけやったけど、やっぱり彼女のことが忘れられなかった。
彩子さんのいうように、腹をくくれたか分からないけど、諦めなかったから今すごく幸せだよ。
色んなことを教えてくれた、悲しそうにこの曲を聴いていた人はもういない。
あの人がこの曲を忘れても、僕にとってはずっと大切な曲だ。
完
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