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海水浴場となっている浜辺の向こうには岩場があり、自然のトンネルがあった。
「この辺ってみんな毒ガスで死んだ人の幽霊が出るって言うから誰も近寄らないんだよね」
「噂の一人歩きだな」
私も岩場の先ははじめてだった。
足を踏み入れるとひんやりと冷たい空気に背中を撫ぜられたような気がした。
「あれ。湯川今ビビった?」
「ビビッてない。かゆかっただけだ」
「うっそだあ」と私の肩を叩き、紙谷は先を歩いて行った。急いで追いかける。トンネルを抜けるとメタセコイアの森が広がっていた。
「こっち側もメタセコイアの木が群生しているんだな」
「ぐんせいって?」
「いっぱい生えてるってこと」
「ああー」と紙谷は手を叩いた。
メタセコイアの木々の先に古い建物が見えた。かつての軍事施設かとも思ったが、廃墟のようには見えない。道が私たちのいるところまで伸びており、車いすに乗った老女と、それを押す女性が歩いてきていた。
「こんにちは」
紙谷が声をかけると私たちに気が付いていなかったのか、驚いたように二人は目を丸くした。
「こんにちは。こっち側に若い人たちがくるのは珍しいわね。かなでちゃん」
「そうですね。妙さん」
聞くとメタセコイアの里という介護施設が先にあり、二人はそこから散歩で来たという。妙さんは百歳を過ぎているが、きれいな白髪をまとめた笑顔の優しい女性だった。仲良しのヘルパーのかなでさんと、この時間に浜辺に来るのが日課なのだそうだ。
「若いお二人は海が好き?」
妙さんがたずねた。
「そうですね。子供の時から慣れ親しんでいるし好きかな。むしろ海なしの生活なんて考えられないかも」
嬉々として答える紙谷に妙さんは笑顔の表情のままこう言った。
「そう。いい時代ね。私はこの海が嫌いで仕方ないの」
一瞬、空気が固まった。
じゃあなぜ、わざわざ毎日ここまで散歩に来るのか、そんな疑問が頭に浮かんだが何も言えなかった。
かなでさんが、じゃあそろそろ行きましょうと話を打ち切った。
「さよなら」
私たちは小さく「さよなら」と返し、目を合わせた。
「私なんかまずいこと言った?」
「いや、特に問題なかったと思うけど」
「だよね」
「まあ、もう少し先まで行ってみようよ」
シュンとして紙谷は歩き出した。
妙さんに突き放されたようで悲しかったのだと思う。
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