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年季の入った白い壁に、青黒い屋根。いくつもの塔を持つウラヴォルペ公爵城は、戦時には要塞として使用できるよう堅牢な造りの城だ。
その中でも伝説の土地である『剣の庭』は四方を壁に囲まれた中庭にある。中庭とは言っても、広すぎてまったく閉塞感はない。
半分は青空、半分は曇天の空の下、聖剣リ・レマルゴスを手に、ゴウシュ・フォン・ウラヴォルペは『剣の庭』の見渡す廊下に佇んでいた。身にまとっているのは銀色の鎧だ。裏地が銀色の黒いマントが風にはためく。
歩み寄ってきた人影は、ウラヴォルペ騎士団副団長のひとり、リーデル・フォン・パルマン伯爵。主君と同じ銀色の鎧に身を包んだ、褐色の髪と暗緑色の瞳を持つ壮年の貴族で、息子のミラーノに比べると柔らかい雰囲気の持ち主だ。
「今年も自ら出征なさるのですね。毎年の討伐が義務とは言え、部下に任せても良さそうなものですが」
ゴウシュは返事をしなかったが、主君がもともと口数の多い男ではないと知っているリーデルは気にせず続ける。
「ここ首都に残れば面白いものが見られるかもしれません。なんでも、あの砂漠の女獅子が弟子を取ったとか……閣下もご興味がおありではありませんか?」
ゴウシュはゆるく首を振った。
「あれも修練を積めば、上級騎士ぐらいにはなれるだろう。しかし、烈風級を超える日が来るとは思えん」
烈風級とは、上級騎士の中でも一定の境地に達した一握りの武人を指す。
「そうかもしれません。そうでなくては価値がないとお考えですか?」
「……あまり待たせてはいかん。行くぞ」
本日は、騎士だけでなく有志の戦士たちも広場に集結している。毎年行われる魔境討伐に出陣するためだ。
歩き出す主君の後を追いつつ、内心でため息をつく。
長女アルナールが武芸者の資質に秀でていたことは、ウラヴォルペ公爵家にとっては僥倖なのだろう。家臣としても後継者が定まっていることは安心である。しかし、それがレオニアスの置かれた状況をより複雑にしている一面もあった。
今から10年以上前。当時5歳だったレオニアスに、息子ミラーノを紹介したのはリーデルだ。以来、稽古に励んできたレオニアスを見てきたし、ミラーノが不満を言ったこともない。
努力が必ず報われるなら不幸になる人間はいないだろうが、それでも費やした時間が無駄でないことを祈りたくなる時があるものだと、晴れ渡った秋の空を見上げながらリーデルは思った。
* * *
10本のうちの1本。
それは、1割の確率で勝利することを意味する。
「……ダメだ、100回やったって勝てない、今のままでは」
レオニアスはやわらかな金髪に指を差し入れて搔きまわした。ここはレオニアスの私室で、周囲には誰もいないのだから少しぐらい行儀が悪くても構わない。
そう思って、ソファーにどすんと寝転がる。
「1本、そう、100本のうち99本負けてもいい。1本の勝利を最初に持ってくることができれば……」
奇襲だろうと奥の手だろうと、1本だけ相手の意表を突くことが出来れば――悶々と天井を眺めていたが、ふと時計を見ると午後3時の訪れを知らせようとしている。
ガロテ姉妹と約束していたことを思い出したレオニアスは、慌てて外套を手に取り、部屋を飛び出した。
時計塔広場に駆け込むと、木製のベンチに腰かけた栗色の髪の姉妹が手を振って迎えてくれた。
こうして明るい陽の下で髪の色を見比べてみると、姉はややウェーブがかかっていて、妹のほうはさらさらで赤みを帯びている。
レオニアスは潔く頭を下げた。
「遅れてすまない。待たせたな」
「そ、そんなに待ってないから大丈夫だよ!」
妹のフレジアが、首と手を同時に振った。なかなか器用な動きをするものだ。
姉のユーフォルビアも、笑って「気にしないでください」と立ち上がる。
「今日は、恩人の騎士さまにお礼がしたくてお招きしたんですから」
「気遣いありがとう。レオニアスと呼んでくれて構わないよ。改めて、エアルヴィオニー師匠に弟子入りしたレオニアスだ、よろしく、ユーフォルビア」
ユーフォルビアは、妹より少し大人びた笑顔で「ビアって呼んでください」と右手を差し出した。
握手ののち、レオニアスはユーフォルビアに席を勧めた。
彼女は右足が不自由だ。今日も杖をついている。レオニアスが紹介したものだが、金銭を払ったわけでないので改まってお礼を言われるほどのことではないと思うのだが、姉妹にぜひお礼をと誘われてここへ来た。
「杖のことも感謝していますけど、妹に良い友達ができて、母にしごきがいのある弟子が出来て、嬉しかったので」
「あぁ、うん、そうだな。ふたりにはすごく世話になっているよ」
聞いていたフレジアがくすくす笑った。
「お母さん、毎日楽しそうなの。昔っから言ってたもんね、息子が出来たらしごきたおしてやるって」
「……しばき倒すの間違いじゃないのか?」
実際、剣術の訓練では負け通しのレオニアスである。
いっしょに笑っていたユーフォルビアが、バッグから小さな箱を取り出した。黒い箱に、銀色のリボンがかかっている。ウラヴォルペ騎士団の制服をイメージしたのだろうか。
「公爵家の方にこんなものって思ったんですが……私と妹から、感謝の気持ちを込めて。どうか、一度ご覧になってください」
受け取ったレオニアスは、リボンをほどいた。蓋を開けると、白い緩衝材の上に置かれていたのは留め具※だ。緩く円を描くようなフォルムで、丸まった枝葉のようにも翼を広げた鳥のようにも見える。艶消しの黄金色の金具で全体を形作り、ところどころに薄紅色の宝石のようなものが埋め込まれている。葉の雫か鳥の尾をかたどったものだろう、チェーンに真珠の飾りもある。なかなか手の込んだ細工だ。
「これは……美しいな。ひょっとして、君の手作りか?」
姉妹は、栗色の瞳を見合わせて微笑んだ。
「ふふふ、ふたりの合作ですよ」
「デザインしたのはお姉ちゃん、素材を選んだのは私! 仕上げはふたりで!」
ふたりで構想し、細部のデザインはユーフォルビアが担当。デザイン画をもとにフレジアが素材を調達し、ふたりで地道に金属パーツと宝石を繋ぎ合わせて作ったのだそうだ。
「ありがとう。この石、ロードクロサイトかな。僕の瞳の色に合わせてくれたんじゃないのか?」
「せいかーい! この石は色んな色があるから、レオニアス様の瞳の色に一番近い、キレイな薔薇色のを探したのよ。真珠は、ディビエラ公爵領の真珠をお取り寄せしました!」
三大公爵家のひとつであるディビエラ公爵領は、山岳地帯、森林地帯、草原地帯、穀倉地帯、大小の湖と湿地、海など自然豊かな地域で、淡水真珠の養殖産業は有名である。
贈り物を手のひらに乗せて、レオニアスはしみじみと感心した。
宝石の爪留めにばらつきが見られるものの、角度が計算された美しいフォルム、色使い、丁寧な彫金は、作り手の誠実さを感じさせるものだった。
「これは……本当に嬉しい。ありがとう」
今日のレオニアスは私服で、黒いシャツとズボンの上にグラデーションがかった灰色の外套を羽織っていた。シンプルなZピンを留め具代わりに使用していたが、いそいそと外して付け替える。
「……どうかな?」
微笑むレオニアスに拍手する姉妹。
「よくお似合いです! やっぱり銀より金だわ」
「レオニアス様素敵! 最高! 男前!」
「……フレジア、元気な時は、口調がお母さんに似ているね」
慌てて口を押えたフレジアの反応を見て、ユーフォルビアとふたりで笑う。
(帰ったら姉上に……いや、宝飾品に興味はないな。騎士団の仲間や乳母たちに自慢しよう)
レオニアスは心に決めた。
正直なところ、ロードクロサイトを貰うことには慣れていた。薔薇色の宝石の代表格であり、ウラヴォルペ領は産出量も多い。品質が良いほど透明度が高く、今日貰った者より透明でキラキラと輝く宝石を、社交界の女性たちは提示してきた。
だが、豪華なシャンデリアの下で輝くそれらを、それほど美しいとは思わなかった。というより、贈り主の心情を加味した時、それらの宝石は曇って見えたのだ。受け取りたいと思わなかったし、付き合い上受け取らなくてはならないものは、すべて公爵家の所有にしている。レオニアスの個人的の所蔵品として受け取ることはごく稀だった。
素敵な贈り物のお礼に、姉妹をあるカフェに招待することにした。
※フィブラ…マントの留め具のこと
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