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「お前、剣の才能ねぇなぁ。凡人じゃねぇか。え、マジでこの家の息子かよ?」
5歳で聖剣リ・レマルゴスと初対面した際、こんなひどい言葉を投げかけたのは誰か。
書斎の主である父ゴウシュでもなければ、腕組してこちらを見下ろしていた姉アルナールでもない。同じ部屋で様子を見守っていた騎士団長でもなければ使用人でもない。
聖剣リ・レマルゴス、そのものが下した評価であった。
その後も出会う度、
「よう、いつ見てもひょろひょろしてんな。もっと飯を食え。まぁ食ってもまともな剣士にはなれねぇだろうけどな」
「お、背だけは伸びたな。けど、転職先探しておけよ」
「お前も成人かぁ……俺さまがお前の幸運を祈ってやるぜ。なに、剣士だけが生きる道じゃねぇさ」
などと、いちいち失礼なことを言ってくるのがリ・レマルゴスだった。
何故、世間ではあんな口の悪い剣がちやほやと敬われているのか……と子供心に思っていたレオニアスだったが、ある程度の年齢になって訓練で聖剣を使用した際、理解した。それは使用者の能力を最大限に引き出す指導者のような存在なのだ。つまり、使用者に才能がないことにはどうしようもない。
「俺さまの祝福は、持ち主の体を一定時間強化する。その間は魔獣の牙なんて屁でもねぇ。けどよ、よく考えてみな。その状態が一生続いたとして、それはもう人間と呼べる代物じゃねぇだろ。物事には領分ってものがある。それを越えても、なんもいいことはねぇよ」
それが、レオニアスが成人した日にリ・レマルゴスと最後に交わした会話だった。
レオニアスにとって、最も身近にある芸術の虹が聖剣である。従って、フレジアの言う「大好き」は理解しがたい。
しかし。
(大好き、という言葉で、人はあんなに輝くものなんだな)
空の盃を山盛り押し付けられているフレジアを遠めに見ながら、しみじみと思った。
レオニアスは聖剣も剣術も好きではない。家族には親しみを覚えるが、長じるにつれ義務感が重くのしかかるようになり、最近ではあえて近寄らないようにしている。騎士団の仲間とは良好な関係だと思うが、特に親しい人はいない。付け加えるなら、恋人もいない。
(大好きって、なんなんだろうなぁ)
この日、居酒屋で結局フードも取らないままに飲み続けたことに、レオニアスは気付いていなかった。
ほろ酔いの思考回路で聖剣を見たくなり、レオニアスは珍しく公爵邸の本邸に立ち寄った。ちょうど日付の変わる時刻だった。私服姿の執事がやや慌てた様子でやって来たが、手を一振りして帰した。聖剣のある場所は把握している。
今夜の聖剣は、『剣の庭』の岩に突き刺さっていた。この庭を覆うように、公爵邸は造られている。公爵邸において最も由緒ある場所は、公爵の執務室でもなければ練兵場でもない。『剣の庭』と呼ばれる、かつて女神の武器庫があったと言われるこの庭である。
聖剣は、月光の中に静かに佇んでいた。岩の周囲には装飾のある円柱が五本あり、結界の役割を果たしている。万が一盗人がこの庭に辿り着いても、聖剣に触れることはできない。この結界を通り抜けられるのはウラヴォルペの血筋だけなのだ。
「よう、今夜は酒の匂いがするな。あのチビが酒を飲めるようになるなんざ、人間の時間の流れってのは速いもんだな」
聖剣はレオニアスが来たことに、最初から気付いているようだった。
大きさこそ一般的な長剣を変わらないが、月光を浴びて淡く輝く刃、黄金の柄に嵌め込まれた大粒の虹の貴石。闇夜に閃く極光のごとき輝きは、一振りで百の敵を斬り払うと呼ばれる剣の王者の威厳を確かに感じさせる。
それと性格とはまったく別物だなと、レオニアスは思っているが。
「はーはっは! さっさと転職しねぇと、お前、爺さんになっちまうぞ。おツムはいいんだろ。しっかり考えな」
聖剣はレオニアスをバカにして笑っている。いつもならムッとして言い返すレオニアスだが、酒が思考を鈍らせたのか、今夜はケンカする気力が沸き上がってこなかった。
「なぁ、レマルゴス。ちょっと訊いてもいいか」
「うぉぅ。名前を略すんじゃねぇよ、意味が変わっちまうんだよ。ってかおとなしくて気持ち悪いぞ」
リ・レマルゴスという名前に意味があるのだと以前に当人が言っていたが、レオニアスの知る限りその由来が書かれた文献は公爵家にはない。
柱に寄りかかって両腕を組み、レオニアスは素直に尋ねた。
「お前はさ、口は悪いけど、嘘をついたことはない。だから、教えろよ。僕に転職しろって口うるさく言うんだから、転職先の目星はついてるんじゃないか?」
レオニアスは顔にかかった髪を掻き上げた。太陽の下では赤く輝く柔らかい髪も、月光の下ではまた異なる魅力を見せる。白い顔には青い影が差し、人間と剣との間には静かな沈黙が訪れる。
次に、口を開いたのは聖剣の方だった。
「……お前、酔ってんな」
「悪いか」
言って、腰を下ろすレオニアス。火照った体に、ひんやりとした石畳が心地よい。
革靴の先にある雑草を一本一本数えるかのようにゆったり、レオニアスは語る。
「僕に剣術の才能はないと、お前はあの日言った。その通りだ。僕は決して青騎士団長である父のようにはなれないし、姉上のような強い戦士にもなれない。実際に、家を継ぐのは姉上と決まった。ならば僕はどうすればいい? このまま公爵家のお荷物として、いつまでも別邸に引きこもっているのが、それが身の丈に合った生き方なのか」
聖剣は、ため息をついたようだった。何やらブツブツと小声で言っていたが、いきなり「俺さまが人間だったら、お前のこと斬ってるぞ」と物騒なことを言い始めた。
「なんだよ、急に」
振り向いたレオニアスの視界のなかで、聖剣はキラリと印象的な光を放った。
「ウジウジウジウジ、うっとーしい! お前は、酒に酔った勢いで人生を決めるのか。他人の言葉で、自分の歩む道を選ぶのか。顔洗って出直して来やがれ!」
じっと聖剣を見つめてるレオニアス。あまりにも真っ当なことを言われ、かえって混乱する。
「分からないから訊いているのに。お前、神話の時代から存在するって言うなら、軽く千歳を超えているんだろ? 哀れな人間になにか助言をくれてもいいんじゃないか?」
「けっ。そうさ、俺さまは偉大なるリ・レマルゴス、お前はちっぽけな人間だ。だから、人間は考え続けなくちゃいけねぇんだ」
さっさと寝るんだな、という一言とともに、結界の外にはじき出されたレオニアスは、外套についた土を払って、帰途についた。
とぼとぼ去って行く背の高い青年を見送りながら、聖剣はため息をつく。
「あいつ、まだ自分の才能に気付いてねぇのか……友だち一人もいないんじゃねぇよな。ったく、心配ばかりさせるガキだぜ」
こういう時に酒を飲むとよく酔うよな、と考えた聖剣だが、その記憶は千年の時の彼方で霞んでいる。しかし、確かにあった。仲間とともに酒を飲み、笑ったり泣いたりした「生き物」であった頃の記憶。
「ちゃんと自分の頭で考えな、レオン。この世界を創ったのは、女神の慈悲だけじゃないんだぜ」
レオニアスがここにいたなら、聖剣の意外と面倒見の良い一面に驚いたかもしれない。だが実際には、月影の中、聖剣の声を聞くものは誰もいない。小さな森のような剣の庭は、今夜も驚くほど静かだ。
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