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轍の青女【10】
周辺には人間どころか、犬も猫も鳥もいない。
雪に覆われた車はあるので、両親は家の中にいるのだろう。
……まだ、これに乗っているんだ。
わたしが子供の頃、何も言わずに手を握り合い、抱きしめ合っていた二人の姿が思い出される。
心と心で会話をする……そんな芸当をわたしの目前で両者は行っていた。
父は母に、母は父へ熱烈な恋をしていた。
さやかが亡くなったことによって、二人の結びつきがさらに強まったのは相違無い。
……好きなのだ、恋しているのだ、愛しているのだ、その想いをどのようにするといいのか、当人たちも思案に余ったので、結婚したようなところが父と母にはある。
それからというもの、二人は終わらぬ熱愛であって、実の娘から見ても感心するときが多々あった。
……一歩あるくごとに、雪はギュッギュッとなきさけぶ。
冷気と弱い風にふわふわと舞い散る降雪の静寂が、わたしに白い息を吐かせる。
…………はぁ……戻ってきたものの、ここにはわたしが好きだった彼はもういない。
仮にひょっこりと現れたら、わたしはどんな顔をすればいいのだろう?
……ふふっ……もはや好きでもなんでもない故郷へわたしは帰ってきた。
罪を犯し、逃げたわたしは罰を受けようとして、ここへと戻ってきたのか?
……どうして、皆、去っていってしまうのか。
もしくはこちらを切り離そうとする。
仲良しな両親から生まれた娘はここで独りになっている。
人間が好きなのに独りになってしまっている人間がここにいる。
どうして、人間は失うとわかっているものしか、愛せないのだろう?
さまざまなものを喪失して、わたしは家の外にいるではないか。
独りぼっちになるのは「仕方ないのだ」と、常に何かから逃げているせいなのか。
思考を放り出したくなったわたしは氷塊をガツッと、蹴り飛ばした。
体験を望んでは愛に飢えて、気晴らしと快楽を求め、不安定な心身に翻弄され、与えられた虚構とつくられた現実の狭間に幸福を探し、大事なものと大好きなものを失っても、空から降ってくる六花みたいに容易には溶けられない、そんなわたしが白く覆われた地面の上にいる。
雪のかけらに翻訳されて、精妙な天使の声は弱い風の音に混じる。
『…………ねむりなさい、無垢なるあなた…………すくわれなさい、地上の老若男女…………どんなに魂が、かけがえのない経験を望むか、知っていますか? …………すべてのわたしとあなたたち…………ふわりふわりと舞い落ちる、天華のごとく、それぞれが、それぞれとなり、許しては忘れなさい…………本来、誰にも罪はないのだから、罰を与えたり、裁いたりはできない…………分離は幻想です…………恐怖も幻想です…………あなたはわたしで、わたしはあなたでもあったのだから…………大海へ落ちて露と消えるのも、雪山へ降りて大山の一部を成すのも、皆おなじところから生じたでしょう…………あなたとわたしたちは雲の中では一緒だったでしょう…………知っているでしょう? …………あなたとわたしは同じだったと…………』
…………はぁ〜……そう、その通り……。
わたしは白い息を吐き出しつつ、ポケットの中から古びた鍵を取り出した。
鎮魂のためか、浄化のためか、ちらりちらりと雪は降り続いている。
天から堕ちてしまった気がするわたしは、空を見上げた。
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