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轍の青女【8】
生まれてきたばかりの子・さやかを失ってしまったからこそ、家族の誰も彼もわたしを何よりも大切にし、ひたすらに愛情を注いで育ててくれた。
山林に泊まり込んで建物をつくるため父が何日か家を空けていたり、母がどこかに行ってしまって不在だからといって、わたしは両親から無視され、虐待されていたとはいえなかった。
わたしには、母の妹と祖父母がいてくれた。
これほどないほど、わたしを可愛がってくれた。
この子が困らないようにしたい……これがわたしの周りにいた年上の者たちの合致した思いだった。
…………嬉しく、ありがたいと素直に感じながらも、心のどこかに靄がかかっている。
何故かというと、誰もが魂の選択と魂の契約を把握できていないために思える。
……その者が生まれつきに背負っている業はなんなのか、妹・さやかの魂の選択・契約は何だったのか……魂には二元論でいうところの善も悪もないのか、などと……心の深層から浮かび上がってきては爆ぜてゆく泡の数々や、各々の形に未知のつながりがあるとしか思えないわたしは考えながら、車を高速道路から別の道へ進ませた。
降り続く湿った雪はますます多くなってきていた。
ワイパーがぼたぼたとぶつかってくる大小の雪を払いのける。
車のフェンダーから落ちたのであろう茶色い雪と氷の塊をばきばきと、タイヤで踏み潰す。
除雪が行き届いてはいない、細いくねくねした道をごりごりとタイヤで突き進むかのように車を走らせる。
……雪道に突っ込んでいく、と表現してもいい荒っぽいドライブになっているが……この車に乗り換えて、正解だったのかなぁ〜……なんて、ひとりごちた。
甘美な恋愛や男女間の行為の記憶は薄れて途切れ、別の記憶が再生される。
それは排ガスの臭いから想起される輪郭のはっきりとしたものだった。
…………わたしの父は当初、エックスセブンという車を運転していた。
わたしが生まれる前のこと、父と母が交際している期間はこの車でデートへ行き、夫や妻になる前の二人はドライブを楽しんでいた。
その用途には優れていたが、ロータリーエンジン搭載のスポーツカーであるエックスセブンは彼の職業には適していなかった。
二人が夫婦になってから、母の父親は退職した。
母の父親・母親は、エックスセブンに大工道具を載せていた若者と腹ぼてになった娘と話し合い、得た退職金でオヴィスという四輪駆動車を彼へ贈ることにした。
車のボディカラーはグレーだった。
ボディカラーがホワイトの同車には、わたしの祖父が乗っていた。
そこに家を建てるんだ、と決まったのなら、どこにでも行かなければならない父には、ぴったりの車種だったろう。
義父・義母からの贈り物を父はたいへん喜び、建築に用いる工具をオヴィスの後部へ満載した。
何かに付着してきた木片が、車のどこにでもあったのを憶えている。
バブル期の建築士がどんなふうに扱われるのか、知っているだろうか?
建築士は引っ張り凧である。
山の中に父は、ログハウスをいくつもいくつもいくつも……建て続けた。
父の職業は入ってくるのも大きかったが、出ていくのも大きかった。
冬期はあまりやることがなくなってしまうのに父は困っており、己の技術を活かして木製の棚や家具、神棚を拵えたりしていたが、母といちゃいちゃし、家の中で遊んでいたので、特にいらいらしてはいなかった。
このとき、母が「カメラを持った小さな旅」に出るといったことはなかった。
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