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【全てを捨てて】
◆
駆け出しながら、リオンはどうするべきかを考えていた。
まずはクラウディアを探し出すことが第一だが、無事に会えたところで何をどうすればいいのか。
公爵令嬢のイザベラが君を殺そうとしているから気をつけろ、とでも言うつもりなのか。
あまりにも突拍子もない話で、信じてもらえるとは思えない。
──それでも今できることはクラウに会うことだけだ
リオンはまるで向かう先が崖だと知りながら走っているような気分だった。
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時を同じくして、クラウディアは一足先に自宅へと戻っていた。
──今日はリオンと話せなかったな
そんなことを思いながら窓から空を眺める。空の色は昼と夜が交錯し、不思議な色合いをしている。光と闇の交差点。
この空の色は非常に短い間しか見ることができない。
クラウディアはふと父親のダグラスに話があったことを思い出した。大した用事ではない。ペンのインクが切れそうになったため、新しいものをもらうといった些細なものだ。
しかし──…
「……あら?」
ダグラスの部屋に行く途中、なんとなく廊下の窓から外を見てみると、庭に人影が見えたように思えた。目を凝らしてみると、確かに人影だ。誰なのかはよくわからない。空は刻一刻と暗くなっており、判別が難しい。
──泥棒?
ダグラスに伝えなければと思い駆け出そうとするが、その人影の形にどこか見覚えがあることに気づいた。
──ロミリアお義母様?
何か自分が見てはいけないものを見ているような気がして、クラウディアは息をひそめる。
そのままじっと見ていると、人影はもう一つ増えた。クラウディアはなぜ自分でもそうするかよくわからなかったが、何かに背を押されるように中庭に向かう。
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「そうなのですか、イザベラ様が? それでしたら私にはお断りなんてできませんわね。」
「──────」
「いえ、私はむしろ望む所なのです。これはイザベラ様にもお伝えしていただきたいのですが、あの女の母というのがなんとサルーム王国の出身なのです。つまり、あの女はサルーム人の血を引くということですわ……ええ、ええ!そうなのです。それにしても吃驚いたしましたわ。穢れた血の女がまさかよりによってリオン殿下に擦り寄っていたとは!」
「──────」
「あら、失礼あそばせ。それで私は一体どうすれば……なるほど、カウフマン商会に手紙を届けさせれば良いのですね。手紙の内容は……はい、はい、わかりましたわ。それにしても本当にせいせい致しますわね。もうあの女の顔を見なくて済むと思うと」
◆
クラウディアはそれなり以上に聡明だ。
だから、自分が父親からどのような役割を期待されているかを理解してしまう。
ロミリアが自分のことをどうしたいと思っているのかも。
──これまでロミリアお義母様には動く手段がなかった。でも……
クラウディアは布団の中で唇をかみながら震えていた。
聡明であろうが何であろうが、まだ成人していない少女なのである。
今この瞬間にも、ロミリアがカウフマン商会への手紙を届けろと言ってくるかもしれないと思うと怖くて仕方がなかった。
──そうなったら、私は……
クラウディアは死にたくなかった。
これまでは自分の人生に光明を見いだすことができなかった彼女だが、今はそうではない。
クラウディアの脳裏には一人の青年の姿が映し出されている。
自分とは一緒には絶対にならないだろうということは分かっているが、遠くから見ているだけでも心が温かくなるのだ。
たったそれだけのことなのに、死にたくない理由となる。
クラウディアは湿ったため息を漏らし、諦めるにはまだ早いと唇をかんだ。
窓の外で鳥の鳴き声がする。
クラウディアはビクリと肩を震わせ、夜の闇を見通すように2階の窓から中庭を凝視した。もしかしたら下手人が直接やってきたかと思ったからだ。
脳裏にリオンの姿を浮かべ、無理やり勇気を引っ張り出すクラウディアだったが……ほんの一瞬、雲の隙間から月の光が差し込んだ。
その瞬間、クラウディアは確かにリオンの姿を見た。
リオンもまたクラウディアの姿を見た。
◆
「こんな夜に済まない。で、でもまず話だけでも聞いてくれ……」
リオンは努めて冷静に、自分が知ったことの全てを話した。
そして、信じてほしいと懇願した。
クラウディアは、自分でも驚くほどに冷静であることを少し面白く思いつつも、ほんの少しだけリオンに失望した。
失望というのは少し違うかもしれない──がっかりしたというか、拗ねたというか、そんな感情だ。
──信じてほしいなんて。私がリオンの言葉を疑うって思ってるのかな
そんなクラウディアを見て、リオンはますます焦りを募らせた。
クラウディアがあまりにも冷静すぎるため、疑われていると思ったからだ。
リオンはクラウディアの両肩を掴み、「冗談じゃないんだ」と詰め寄った。
彼にしては珍しい乱暴な所作である。
その時、クラウディアはある種の覚悟を決めた──といっても、極々自然に腹が据わってしまったのだが。
「……私はロミリアお義母様やイザベラ様のために死ぬのは嫌。私は生きていたい。でも、どうしても死ななければならないのなら、リオン、私はあなたのために死にたい。……私をイザベラ様の所へ連れていって」
クラウディアのそんな言葉に、今度はリオンの覚悟が決まった。
クラウディアと同じように、極々自然に腹が据わったのだ。
「クラウ、君はいつかサルーム王国へ行ってみたいと言っていたね。僕も行ってみたいんだ。だから、行こう、一緒に。家族も、このホラズム王国も……全部捨ててくれ。僕のために」
クラウディアは目を見開き、そしてくすりと笑った。
それに狼狽えるのはリオンである。
何せ一世一代の賭けだったのだ。
だが、クラウディアが笑ってしまうのも当然だった。
「あなたのために命すら捨てると言ったのに、今更愛してくれない家族や国を捨てろと言われても」という気分だったからだ。
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その夜、一組の男女がホラズム王国から消えた。
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