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九官鳥
私が小さい頃、我が家は洋品店を営んでいたので、猫を飼う事はかなわなかった。昭和の半ばでまだ、猫は外で買うものと決まっていた頃の事。
猫は商品の上を飛び回ってしまうと毛がつくので。という理由で我が家で飼っていたのは犬。
そして、祖母が好きだったのでセキセイインコ。後は九官鳥。
今思えば、セキセイインコは日影の狭い廊下のような場所にかごを沢山重ねて、酷い飼い方をしていた気がする。
でも、祖母は良くめんどうを見ていて、卵を孵さない親がいると夏でもお盆過ぎには寒くなるような地域だったので常に出されているこたつの隅でたまごを孵していた。
私が幼稚園の頃はセキセイインコは増やして売っていたのだと思う。
趣味という感じではなく、手乗りにさせたりするのは家用にしているインコだけ。他のインコは触らせてもらったこともなかった。
鳥にはそんなわけでごく小さい頃から馴染んでいたので、結構な勢いでかみつかれることも知っていたし(何度も血を流した)、そうかと思うと肩に乗ってふんわりと頬に顔を摺り寄せたりもする。可愛いものだという認識だ。
ただ、糞のお世話などは結構大変だし、寒いとすぐに死んでしまうし、寒い地方で買うには不向きな鳥だったのではないかと今になって思う。
さて、もう一種類の鳥。九官鳥だが、これも祖母が好きで、何代にもわたって飼っていた。
ご存じの通り九官鳥は良くしゃべる。人の話していることを勝手に覚えて、何を言っているのかはわからないのだが、
「あぁ、これ、誰誰さんの話し方だわ。」
と、わかる位特徴を捉えて覚えているのだ。
勿論はっきりとした言葉も覚える。
我が家の九官鳥の名前はみんな「きゅうちゃん」だった。
私が幼稚園の頃のきゅうちゃんはある日突然、私が幼稚園から帰ると
「ヒロコネェチャンハ~?」
と、私の声の高さと抑揚ではっきりと喋った。
昨日までは「ひろこ」の「ひ」の字も喋っていなかったのに。不思議な鳥である。突然何かの回路がつながるのだろうか。
お店にいた母や店員さん達はその声を聴いて
「おかえり~。」
と、店の入り口に向かって言っている。
どうやら、その頃の私は小学校に行ってしまった姉が恋しくて、
「ただいま。」
の代わりに
「ひろこねえちゃんは~?」
と、長く預かってくれる幼稚園の私よりも早く帰宅している小1の姉を呼びながら帰宅していたようだ。
皆が、きゅうちゃんのこえで集まってきたので、私は驚いて。
「ただいま。」
と普通に挨拶をした。
私の様子がおかしかったのか、
「ひろこねえちゃんは二階にいるよ。」
と、店員さんが姉の名前を出した時にきゅうちゃんが再び
「ヒロコネェチャンハ~?」
と、叫んだので、ようやく、先程の
「ひろこねえちゃんは~?」
も、私ではなく、きゅうちゃんだったと、皆が気づいた。
すると、よく笑う店員さんが、
「あ~っはは、まねされただかい。」
と、私に言った時、その店員さんの声で
「ア~ッハッハ」
ときゅうちゃんが笑ったのでその場は笑いの渦になった。
よく、しゃべる鳥は飼うものじゃない。なんて言葉も聞くようになったが、普段さりげなく話していることを教えてもいないのに、いつの間にか習得している九官鳥は本当に不思議な鳥である。
もちろん、自分の名前である「きゅうちゃん」はいつも一番最初に教える。
でも、おばあちゃんの「きゅーうーちゃん?」というイントネーションごと覚えるので、日がな一日、調子はずれの「キュ~ウ~チャンッ」を聞かされることにもなる。
後は私が大学生で拾った、レッドアイの黄色いセキセイインコは、私が勤めるようになって面倒がみれないので実家の母に預けていたら、それから20年ほど生きて、お店のお客さんの真似をしたり、母の真似をしたりして、父が亡くなった後の一人暮らしの母の良い話し相手になっていたようだ。
名前は「ぴーちゃん」だっただろうか。
セキセイインコも喋ることは知っていたが、小さい頃飼っていたセキセイインコたちはそんなに密に接していなかったから、せいぜい手乗りにしているくらいだった。
ぴーちゃんがあまりしゃべるので、こんなにしゃべる鳥だったんだと驚いてはいた。大学で飼っている時もそんなに構ってあげる時間がなくて、あまりはなしかけたりはしていなかったし、極力外で飼ってほしいと合宿所のみんなにも言われていたので、冬の夜以外は殆ど外に出していたので、人間との関りの薄い鳥だった。
母とはとても深い関係を築けていたんだと思うと、ぴーちゃんとの出会いも案外無駄ではなかったのだと思える。
動物は死ぬから飼いたくない。という母は、結局父が買ってきた犬の面倒を一番見て、躾をして、何代も何代も悲しい思いをしていた。
ぴーちゃんがさすがに老齢で亡くなってしまった時には何かがぽっかりと抜けたような呆けた顔をして、
「こんなに長く一緒にいた動物は初めてだったから、まだそこにいる気配がする。」
と、私にぽつりと言ったことがある。
結局ぴーちゃんは母が最後に飼った動物になった。
我が家では沢山の犬を飼ったが、その犬たちはきっと父や母と一緒に虹の橋を渡ってしまったことだろう。今の所私を待ってくれているのは二匹の猫のはずだ。
その前に買っていた鳥たちは祖母と一緒に虹の橋を渡っていっただろう。
今、我が家には最後の猫が一匹いるけれど、これまでに亡くなってしまった二匹の猫の魂がいつでも
「ただいま」
と帰ってきてくれても良い様にに写真と、最後にしていた首輪はいつも近くに置いてあるのだ。
【了】
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