#7

1/1
前へ
/7ページ
次へ

#7

「あなた、あなた」  その声に、乙彦が目を開ける。  登山の格好に身を包んだ女性が自分を見下ろしていた。 「あなた・・・起きて」  妻だとわかった。綾乃が手を差し出す。 「こんなところで寝ていたらご来光は拝めないわよ。あともう少しだから、がんばろ」  乙彦は妻の手を握る。その手は氷のように冷たかった。 「手が・・・冷たい」 「グローブを片方、どこかに落としてしまったのよ。あなたの手で温めて」  乙彦は凍えるような妻の手を握り、立ち上がる。そして、もう片方の手で、綾乃の手を包み込んだ。 「あなたの手はいつも温かいわね。グローブしているよりよっほどいいわ」 「じゃあ、手を握って登ろう」  辺りは真っ暗だったが、空には満天の星が輝いていた。 「思い出すね」  綾乃の言葉に乙彦は、前を向いたまま、何を?と訊ねる。 「富士山。最初に声を交わした夜のこと、覚えてる?」 「もちろん。忘れられない夜だよ」 「あの時、円盤が見えただなんて嘘言って」  ふたりは手を繋いだまま、険しい岩山の登る。 「それね、嘘じゃないんだよ」  夫の言葉に、綾乃が立ち止まる。乙彦も立ち止まる。 「ほんとに見たんだよ」 「嘘でしょ」 「いや、ほんとに見た。でもね、君が怖がるといけないと思って、うやむやしたんだ。ほんとは、その円盤に捕まって連れ去られるはずだったんだよ。でも君が山小屋から出てきて、円盤は姿を消した。綾乃が僕を救ってくれたんだよ」  ふたりの視線が交錯する。 「綾乃、いつも本当にありがとう。俺はいつも君に救われて来た気がする」  妻は優しく微笑むと、言った。 「お互い様よ。あなたがいなければ、私もここまで来れなかったわ」  ふたりはかたく手を繋いだまま、自分たちの行く先を、じっと見つめた。          【了】
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加