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#1
病室の廊下。
担当医の近藤は妻の綾乃にそっと告げた。
「奥さん、しっかり聞いてください。ご主人は今夜が、山です。ご家族や親族を呼ぶことをおすすめします」
今村乙彦が大腸癌の宣告をされたのは、僅か半年前のことだった。
ずっとお腹の調子が悪く、腹痛もあったが、会社での新しいプロジェクトの中心的存在である乙彦は、無理矢理仕事を優先し、妻の綾乃にはその事実は隠していた。
言えば間違いなくすぐに入院して治療を始めてと言われるだろうし、言われたら行かない訳には行かない。
過去に胆石をやった時も、痛み止めでやり過ごそうとしたが、妻に話したらすぐに手術をしてと言われ、そのことで口論になったことが もあったからだ。
乙彦は体力には自信があった。50代として体脂肪も低く、ジムで鍛えた腹筋もある。風邪もほとんとひかないし、軽度の病は根性で乗り切って来た。自分は病などには負けないと自負していたのだ。
まさに、体育系そのものなのだ。
高校、大学を通して、乙彦はラグビー部だった。そのことで、無理をしてこそ勝利は手にできると教え込まれた。
入院したら負けだ。
乙彦は本気でそう思っていた。
医師からは、大腸癌の宣告と、すでにステージ4だと言い渡された時も、自分のこととは到底思えなかった。
何かの間違いではないか、と。
癌家系ではなかったし、まだ50歳になったばかりなのに、と。
入院するにしても引き継ぎはしっかりしないでは気が済まなかったから、痛みを堪えて仕事を続けた。
そうしている間にも癌は、着実に乙彦の体を蝕んでいった。
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