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登山が趣味の私は今まで百名山をはじめ、数々の名峰に登ってきた。
10年ほど前、日光白根山に登ったがその時、恐怖の体験をした。
フリーランスの私は6月の平日、前日に日光駅周辺のホテルに宿泊し翌朝、バスで湯元温泉まで向かった。幸い天気もよく、私はスキー場の草原を緩やかに登っていった。リフト終点からは樹林の道になる。
しばらく白根沢沿いに進むと、いきなり急斜面の道が現れた。思わず、膝が悲鳴を上げる。私は木の根や立木に掴まりながら、急登を一心不乱に登り続けた。
1時間半ほど登ると外山鞍部の分岐があり、やっと稜線に出ることができた。そこで私が目にしたのは予想外の残雪だった。6月半ばなのに雪が多く、ルートがわかりにくい。しかし傾斜も緩やかになり、ダケカンバやカラマツの混合林の中を歩いていくとやがて天狗平に出た。
そこで私は初めて登山客に出会った。彼らは私に尋ねた。
「これから、日光白根山ですか?」
「はい」
私がそう答えると、食事中の二人は「あんたなら大丈夫そうだ」と何やら、意味深長なことを言われた。彼らはこれから下山するだけらしく、食事だけでなくビールを飲んで陽気そうに見えた。
腕時計を見ると時刻はまだ、午前12時前だった。
ほどなく前白根山頂上に導かれたが天気が急に怪しくなった。雲が出てきため、白根山はおろか、五色沼すら見ることができなかった。
私はこの辺りから、残雪の量が尋常ではないことに気づいた。
アイゼンなどの装備は持っていないので、歩くたびに足が雪に埋もれ上手く進むことができない。五色沼への道を分けそのまま緩やかに登りに入った。私は正規のルートである五色沼避難小屋を目指し、尾根から右へ樹林の道を下った。ところが日陰のため積雪量が多く、雪の中に登山者が付けた足跡にそのまま足を踏み入れるようにして下るので、思わぬ難航を強いられた。
それでも、何とか避難小屋に辿り着いた。
私は避難小屋の中で昼食を取ろうと思って小屋の引き戸を開けたが、中は暗く人影すらなかった。やむなく外でおにぎりを頬張り、気合いを入れ直した。
ここからお花畑を抜け右側の樹林の中に入るが、白根山山頂まで過酷なまでの急登が続く。
その時だった。
突然、上から二人の登山客が顔面蒼白の表情で急斜面を一気に下ってきた。
夫婦連れと思われる男女は挨拶もそこそこに、逃げるように私の側を通り抜けていった。
登り始めたものの、私はあまりにきつい登りで足の付け根を攣ってしまった。足を攣るのならしばらく休めば回復するが、腿から上を攣るのは非常に辛い。私は一歩も動けなくなってしまった。
私は斜面で、しばらく休憩することにした。
私の登山は単独行が基本だが、今日は歩きだしてからロクに休憩を取っていないことに気が付いた。疲労は増す一方だが、ここで引き返すのは気が咎めた。
私は再度気合いを入れ直し、頂上を目指すことにした。
ザレた道をジグザクの登っていくと白根山の頂上が見えだした。
岩礫の道を緩く登ると祠のようなものが見えた。私の体は既に限界だった。私はその時、辺りが真っ白でまったく視界が利かないことに気付いた。
ガスが出てきたため自分の居場所すらわからない。
それは、夏の怪奇番組でよく見るあのシーンとまったく同じ世界だった。
それでも、私は神社の祠を目印にして、何とか頂上に辿り着いた。
しかし、山頂にもかかわらず、人っ子一人いなかった。
本来の計画では日光白根山に登頂した後、座禅山や弥陀ガ池を経由して五色山まで行くつもりだった。その後、国境平からササの生い茂る道を楽しみながら湯元温泉まで戻るつもりだったが、一寸先は闇という状況では前に進むことすらできなかった。
私はその時ふと、近くの岩の上に人がひとりで座っているのを見つけた。
女性と思われるその人は長い髪を垂らし白いウインドブレーカーを着ているが、足元を見るとどういう訳か、山靴ではなくサンダル履きだった。
それでも私は自分以外に山頂に人がいたことに安堵した。
元気を出して、その人に「こんにちは」と声を掛けた。
しかし、その人からは何も返答がなかった。
私はその時、ここはかなり危険な場所だと察知した。
私は「ここは地獄だ。こんな場所に長居していてはロクなことがない」と直感で思い、勘だけを頼りに来た道を引き返すことにした。
急斜面を這うように下り、命からがら五色沼避難小屋に到着した。避難小屋は行きと同じで誰もいなく、ひっそりして一層、不気味に感じられた。
私はこの時、2つの選択を考えていた。
体力的には既に限界に達しているので今日、避難小屋で一泊して明日、午前中に下山をする。しかしザックの中身を調べても日帰り予定で来たので、懐中電灯もおろかロクに食糧すら持っていなかった。
もう一つは来た道を通って下山をするというものだ。
しかし、私はどうしても避難小屋に泊まる決断はできなかった。
私はこの時、もう一つ恐怖を感じていた。
(もし、あの白いウインドブレーカーの女が、ここまで追ってきたら絶対に逃げられない)
登りで二人連れが恐怖に顔を引き攣らせて下山してきたことも、今ならよくわかるような気がした。
おそらく、あの二人もあの白いウインドブレーカーの女に遭ったのだ。
この避難小屋でひとり、夜を明かす勇気はなかった。一刻も早く逃げなければならない。私は覚悟を決めて再度、足形の付いた雪穴に足を入れて稜線に向けて登り始めた。
今、思い出してもこの時がもっとも辛かった。
這うようにして稜線に出たのはよいが、今度は雪が多くて下山ルートがよくわからなかった。登りの時には気が付かなかったが、出会った二人が言った言葉が今になってようやく現実味を帯びてきた。
「行きはよいけど、下山は注意が必要だよ」という意味だったのだ。
私は雪で曖昧になった登山道を何度となく引き返したりしながら歩き続けた。本来なら野生のシャクナゲが群生している場所すら目に入らなかった。
悪戦苦闘しながらやっと外山鞍部の分岐に着くことができた。そこからは急斜面だが雪はなく、ひたすら下っていけばよい。
時計を見ると午後3時を過ぎていた。
私は最後の気力を振り絞り、樹林の道を下った。
やっと視界が開けスキー場のゲレンデに出た時、私はうっかり尻餅をついてしまった。安心して腰を抜かしてしまったのだ。
その場で腰を伸ばし放心していると、前方にシカの群れが横切っていくのが見えた。
私はその時、今日初めて下界に戻ってきたことを実感した。
疲労した体に鞭を打ってスキー場を抜けて、三十分程歩いて湯元温泉に到着した。日光湯元は小学校の頃、修学旅行で来たことがあった。
私はその時泊まった旅館を憶えていたので、日帰り温泉に入ることにした。
子供の頃なので確かな記憶はないが、温泉は卵が腐ったような硫黄臭がした。不思議とこの硫黄臭だけはよく覚えていた。
身はボロボロ、心はオロオロの状態で温泉に入ると体も癒された。無事帰ってこれたことも嬉しかったが、山を侮ると怖いことも教わった。
下界は6月でも、山はまだ、冬であることを実感した。
「山には、天国もあれば地獄もある」ことを身をもって知った。
しかし、あの白いウインドブレーカーの女の正体はいったい何だったのだろう。あれは、私にはどうしてもこの世のものと思えなかった。
温泉から出ると高原を吹き抜ける初夏の風が心地よかった。私は酒屋の前の自販機で缶ビールを購入すると一気飲み干した。
私はすぐ先に見えるバスの発着所までゆっくりと向かった。
前方を見ると、何か白い人影のようなモノが見えた。
それがだんだん近づくにつれ、はっきり見えてきた。
発着所の長イスに、白いウインドブレーカーの女が後ろ向きに座っていた。
足にはサンダルを履いて。
私は恐怖で固まり、その場から一歩も動けなかった。
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