忘却の代償

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泉は、森の入り口に立っていた。記憶が消え去り、心の中には空白が広がっていた。自分がどこにいるのか、何をしていたのか、全てを忘れてしまっていた。 足元を見つめ、ふと、家のことをぼんやりと思い出した。何かが泉を一人暮らしのアパートではなく、同じ街にある実家へと呼び寄せていた。 ゆっくりと歩き出し、家への道を辿る彼女の頭の中には、いくつもの断片的な記憶が浮かんでは消えていった。そのどれもがバラバラのままで結びつくことはなかった。 実家の前に立つ泉の姿は、夜の冷たい空気の中でかすかに震えていた。門灯の光が彼女の顔を照らし出すが、その瞳は空虚で、ただ遠くを見つめているようだった。 何かに引き寄せられるように家のドアノブに手を伸ばし、ゆっくりと回した。重い扉が静かに開くと、中から漏れる温かな光が彼女を包んだ。
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