忘却の代償

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母親がその音に気づき、玄関に現れた。 母親は、裸足の泉の姿を見た瞬間、足を止めた。口元がわずかに開き、声にならない言葉が喉の奥に詰まる。母親の目が大きく見開かれ、複雑な感情が入り混じったような表情を浮かべたが、一瞬の戸惑いを押し殺し、泉に近づいた。母親の手が震えながら泉の肩に触れた。 母親の手が泉の肩にかかると、泉は、その感触に驚いたように一瞬体を引き締めたが、すぐにまた力を抜いた。母親は驚いたように手を引っ込めた。 「泉……どうしたの? 体が冷え切ってるわよ」 絞り出すようなかすかな声だった。 母親は、泉を抱き寄せた。泉は抵抗せず、ただ母親の腕の中で立ち尽くしていた。 後ろから現れた父親は、泉の顔を見つめ、眉をひそめながら、言葉を探しているようだった。 結局何も言わずに手を泉の背中に置いた。泉の体が少しだけ揺れたが、その目には依然として何の感情も浮かんではいなかった。 父親は泉の顔を見つめたが、その視線が交わることはなかった。泉はただ父親を見ているようで、その目は彼を通り越し、どこか遠くの闇を見つめているようだった。 泉はゆっくりと唇を動かした。 「ただいま」
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