死山

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 藤の花が死んでいる。  山が死んでいるからだ。  藤の花が伸びて仰々しく咲き出すのは、誰も山に足を踏み入れて手入れをしないから。里山のように人が出入りすることもなく、獣が藤の花を食むわけでもない山は、死んでいるのもおんなじだ。  孝謙がそんな山に足を踏み入れたのは、獣一匹いない山ならば、修行をするのに申し分がないと思ったからだった。  シャンシャンと錫杖を鳴らしながら、お経を唱えて山に踏み入れる。人の足が届かぬ険しい山肌。草は生えているものの、ところどころひび割れている。 「この死んだ山だと、いつ崩れてもおかしくはないな」  里山でもないのだから、麓で山が崩れて困る人間もおるまい。そう思いながら孝謙が進んでいる中。  藤の花を千切っている気配を見つけた。  髪は伸ばしっぱなし、小柄な少女が、一生懸命藤の花を千切っては、それを囓っていたのだ。 「藤には毒がありますぞ」  そう声をかけると、少女が振り返った。  もっと痩せっぽっちかと思っていた少女だが、意外としっかりとした肉がついていた。 「毒があるんだったらなおさら食べるわ。お腹空いたんだもの」 「こんなところで藤なんか食べて。いけませんなあ」 「お坊様はどうしてこんな死んだ山に入ってきたの?」 「修行です。悟りを開くための」 「まあ、ご立派ですこと。今、飢饉の季節ですのに」 「そのようですなあ」  孝謙が俗世を捨ててしばらく経つが、その中でも世は移り変わっているらしい。  少女は続けた。 「ですが、あなたは痩せてはいませんな?」 「私、生け贄用に育てられていたから。孤児を集めて、有事の際に生け贄にするために育てられるの」 「生け贄にしたところで、雨が降る訳ないでしょう。死山には獣すらおりません。山が割れているのだから、いずれここも崩れます。修行の場にこそなれど、生け贄にはなりません」 「でも向こうに戻ったところで、また別にところに生け贄にされるだけだわ。洪水のときに友達が川に石をいっぱい服の中に入れられて鎮められたの」  少女は淡々と言う。 「山が火を噴いたときは、山に友達が置き去りにされたわ。私たちを生け贄にするために、村の貴重な食事が使われたんだもの。戻ったら殺されてしまう」 「それは、死にたくないからでは?」 「……そうね。生きたいとはちっとも思わないの。村の人たち、ちっとも楽しそうじゃないんだもの。でも、死にたいとも思わないのよ」 「そうですか」 「どうしたらいいと思う?」  孝謙はどう答えるべきかと迷った。  だが、心は決まっていた。 「修行の一環で、この山を越えてもうちょっと先に行こうと思います」 「山の向こう?」 「ええ。そちらに一緒に参りませんか? どうせ捨てられたのならば、どこに逃げても自由のはずです」  山を越える。修行を続けている孝謙だったらいざ知らず、この小さな少女ではどこまでできるかは未知数だった。  ただ、見て見ぬふりするよりもよっぽど胸がすくというだけの話。  だが、少女は頷いた。 「それは素敵ね」  腹と一緒に命を磨り減らすよりも、よっぽどましだというだけの話。 <了>
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