清八郎奇談

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 飼い猫は、死して私の三味線の一部となった。  二年前に十三年連れ添った飼い猫のトキが死んだ。  元々は迷い猫を保護したもので、腎臓を長く患っての最期だった。  さして高齢というわけでもなかったが、十三年生きればそれなりに天寿を全うしたと言えるのではないか。  私は大学時代から和楽器を嗜み、社会人になった今でも、その筋のサークルに所属し、休日ごとに何処かしこへ出掛けては、箏や尺八と共に邦楽を奏じたり、また、太鼓や篠笛とともにお囃子を演奏したりしている。  トキの件では、付き合いの長い和楽器店の店主に無理を聞いてもらい、職人を紹介してもらった。  トキを三味線に利用する事について、妻は「かわいそう」と言ったし、仲間内では「気味が悪い」ともっぱらの評判だ。  だがしかし、どの道三味線には猫の皮が使われている。  何処の馬の骨(実際には猫の皮だが)とも分からないものが張られたものより、十三年可愛がった愛猫が張られた物の方がいいに決まっている。  かわいそうとは言え、既に死んでいるもののことなのだし、愛猫の何が気味悪いのか失礼にも程があるという訳だ。  トキは生前、とても頭の良い猫だった。  私と親しい人間と、そうでない人間をちゃんと区別できたし、妻が具合が悪くなると、片時も側を離れずにいてくれた。  そしてトキは、死して尚、私に『与えてくれる猫』であった。  どうして中々、東南アジアのそれ専門の猫などと比較にならぬほど、細かくよく響き、ブレず、美しい音を生み出してくれる。  私が帰宅した折に『ただいま』と言えば、 ─ (びん) ─ とトキは良い声で必ず返事をしてくれるのだ。
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