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帰郷と思い出との再会
手紙を手にしたまま、朱莉は立ち尽くしていた。
「ただいま」と言うために、この家に戻ってきた。しかし、その言葉を伝える相手はもういない。それでも、彼女は扉を開けることを決意した。
錆びついた鍵を回し、朱莉はゆっくりと扉を押し開けた。家の中には、かつての温かい生活の痕跡が残っていたが、今は静寂が広がっているだけだった。
リビングに足を踏み入れると、埃が積もった家具や、母が育てていた枯れた観葉植物が目に入った。
その瞬間、朱莉の胸に強い痛みが走った。家族と過ごした日々が鮮明に蘇る。食卓で笑い合った記憶、母の優しい声、父の温かな眼差し、妹との賑やかな会話。
すべてが過去のものとなり、もう二度と戻らない現実に押しつぶされそうになった。
彼女はソファに腰を下ろし、ポケットから母親からの手紙を取り出した。手紙の文字は滲み始めていたが、母親の願いははっきりと読めた。
朱莉はその手紙を胸に抱きしめ、深く息を吸い込んだ。
そして、目をゆっくりと開けて、優しく。
「ただいま。」
彼女は小さな声で呟いた。家の中にその言葉が静かに響き渡る。返事はない。
だけど、心の中で何かが解けたような感覚があった。閉じ込めていた感情が解放され、温かい一粒の涙が頬を伝った。
その時、不意に暖かな風が頬を撫でた。誰もいないはずの家の中で、まるで母親がそばにいるかのような感覚がした。朱莉はその感覚に浸りながら、母親の温もりを心に刻んだ。
「ありがとう、お母さん。」
涙ながらにその言葉を呟いた。一粒ですんだ涙が徐々に目から流れ出てくる。これまで伝えられなかった感謝の言葉が、ようやく彼女の口からこぼれた。
母親がどれだけ彼女を愛し、支えてくれていたかを、今になってようやく理解したのだ。
しばらくの間、朱莉はその場に座り続けた。自分の決断で生まれた過去の後悔と向き合い、家族との思い出を胸に抱きしめた。そして、ようやく立ち上がると、家の中をもう一度見渡した。
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