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母
エリカは笑い涙を拭いながら私に聞く。
「で、成果は出てたのかな?」
「……は……はあ、まあ……不安になるほど」
「うっそー!! さすが瑞貴! やっぱ学位取れんじゃない? 官能博士」
もう箸が進まない程に笑いが止まらなかった。
「じゃあ、瑞貴は昔から太ってて、彼女とかいなかったんですね」
私は、瑞貴は元々イケメンで、経験が豊富だと勝手に想像して妄想を広げて、過去に嫉妬したり不安に落ちていたが、そんな自分に馬鹿らしくなってしまった。
「え? 瑞貴は昔からイケメンで、中学高校はめちゃくちゃモテまくってたよ! 歴代の彼女は全員女子から瑞貴に告白して付き合い始めてた」
この子はジェットコースターのように私の心を急転直下させてくる。
「え゛!? でもだって、さっき童貞だったような発言が……」
「彼女がいなかったとは言ってない。でもね、歴代の彼女たちは皆美人だったけど、いざ告白して付き合えても、瑞貴は母親を優先するから、みんな瑞貴はマザコンって言って速攻幻滅して離れてったのよ。あんなに好き好き言って瑞貴を追いかけまわしてたのに、カエル化ってやつ」
「ん? 瑞貴はマザコンなんですか?」
嵯峨の件があったばかりなので、その言葉には今は敏感である。
私の質問にエリカの表情が曇り出し、箸を置いた。
「あとから皆知ったんだけどね、瑞貴が母親を優先する理由があったの。中学に上がるころには、おばさんはもうあと何年生きられるかって状態だったのよ。おじさんは東堂商事があって多忙だったから、瑞貴が自分の青春を犠牲にして、母親の最期の時間をずっと一緒に過ごして、大切にしてあげていたの」
本当に……エリカはジェットコースターだ。
大笑いした後に、こんなに胸を締め付けられるなんて……。
目頭が熱くなり、喉の奥までも熱くてしかたない……。
十代の多感な時期の男の子が、恋よりも、友達よりも、母親の最期を優先しなくてはいけなかった状況は、色々な感情で押し潰されそうだったに違いない。
母を想う気持ち、大切な人を明日失うかもしれない恐怖、楽しそうなクラスメイトへの羨望、自分を優先させたい気持ち……。
どんな葛藤があり、どんなに辛かっただろうか……。
私は、ふと瑞貴と行った夢の国を思い出した。
父親が多忙だったから母親と二人でよく来ていたと。母親との思い出の場所と言っていた。もしかしたら、中高生の頃には、母を喜ばせるために瑞貴が連れて行ってあげてたいたのか……弱っていくお母さんの頭に、あのカチューシャをつけてあげたのか……。
エリカは言葉を続けた。
「散々歴代の彼女達にマザコンと罵られてたから、おばさんが亡くなった後はかなり荒れて、マザコンで何が悪いって開き直っちゃって、むしろ人の気持ちに寄り添えないような顔だけの女なんてもう懲り懲りだって言って、誰とも付き合わなくなったの。で、そのまま渡米しちゃったのよね。寂しさや、ストレスや、あっちの高カロリーな食生活も相まってか、私がアメリカに会いに行った時はもう巨大化してたわ」
そうか……瑞貴はだから最初に会った時に美人は苦手だと言ってたのか。
「……美人じゃなくて良かった」
「何でそうなるの? 綾ちゃんは瑞貴好みの美人よ? 瑞貴ね、綾ちゃんの仕事を見て感動してたの。読みやすい資料を作る人で、見えない誰かにまで気遣いをする人って。綾ちゃんの何もかもが瑞貴の心を動かしてた」
エリカは真剣な眼差しを私に向けていた。
「それとね、私は綾ちゃんを見て確信したの。瑞貴は綾ちゃんに本能で惹かれずにはいられなかったんだなって。綾ちゃんって、瑞貴のお母さんの若い頃に、顔じゃないんだけど、なんていうか、雰囲気がとっても似てるの。瑞貴のお母さんって、綾ちゃんみたいに、温かくて柔らかい笑顔を見せるお母さんだったのよ」
エリカはカバンに手を伸ばし、手帳の中から古い写真を一枚出した。
それは幼稚園児の写真で、モデルのように整った顔立ちの女の子と男の子が並んで立っている写真だった。
「これは、もしかしてエリカと瑞貴?」
「そう。でも見て欲しいのはそこじゃなくて、ここ」
エリカは幼い瑞貴の斜め後ろに写り込んだ女性を指差した。
その女性は、胸が温かくなるほど、とても優しそうな笑顔で男の子を見つめている。
「これが瑞貴のお母さん」
「こんな素敵な人に似てるとか……凄く光栄すぎて、そう思うのが烏滸がましく思える」
「綾ちゃんはとっても素敵よ。東堂家の男性はこういう女性に遺伝子レベルで弱いのね。綾ちゃん、自信を持って。闇堕ちしてた瑞貴を、光のある場所に戻したのはあなた。彼はあなたの全てに惹かれて、もうあなたしか考えられないはず」
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