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はじまり
東京丸の内に自社ビルを構える大手総合商社東堂商事の最上階にある秘書課。
エレベーターを降りればすぐ、フロア中央に秘書課のデスクがいくつもあり、秘書達が仕事をしている。その秘書デスクの島を囲うような配置で、社長、副社長、専務、常務の部屋のガラス窓と扉があった。
重役達は、出張や朝から立ち寄る場所が多かったり、夜遅くまで続く会食会議等も多く、基本この朝の時間帯にはこのフロアには秘書しかいない。
エレベータのついた音と共にその扉が開くと、秘書達がエレベータ―の方を一瞥する。広報課の期待の星である嵯峨が、今春の新商品の広告原稿を持って降りて来た。
広報課の嵯峨宗一郎は、ワックスで前髪を立ち上げたアップバングツーブロックの髪型に、爽やかな容姿とずば抜けたコミュ力、そして出世有望株ということで女性にとても人気があり、秘書課のデスク島に来るまでの距離を、堂々とにこやかに、颯爽と歩いて向かってくる。
嵯峨は、社長第二秘書の藤木綾子のデスクの前で歩みを止めた。
「綾子さん、これ、社長に最終確認とって校了でまわしてくれる?」
広告原稿を受け取る際、二人は原稿の下で指を絡め合う。はにかむ笑顔を必死に堪えて、互いに視線を合わせて合図を送り合った。
「承知いたしました」
そう。実は私達は内緒で付き合っている。
嵯峨は原稿を渡し終えると、他の秘書達にも柔かに会釈をして、またエレベーターに乗って帰って行った。
「嵯峨さんかっこよすぎる~。大人の色香で酔いつぶれそう~」
「綾子さん、嵯峨さんから資料渡されて羨ましいー!」
秘書達が色めき立ち、私は少し気分が良かった。本当だったらここで「実は付き合ってるんだ」と言いたいのだが、それは何とかぐっと堪えた。
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