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「ただいま」  玄関の上がり口ではなく、いつも出入りしていた台所の勝手口から上がった。  合鍵は持っているので、声をかける前に開けて驚かせようと思った。  広いリビングの中央に大理石模様のテーブルがあり、壊れて買い足したチグハグな椅子が並ぶ。  懐かさにまた胸が熱くなった。  コンクリートブロックを重ねて作った靴置き場に、くたびれたニューバランスを(そろ)えて、後ろ向きに上がる。  床には(ほこり)が積もっていて、(かび)くさい臭気が鼻を突く。  立派な茶箪笥(ちゃだんす)には、見覚えのあるカップソーサーと、可愛らしいカップルが仲良く座っている陶器の置物がこじんまりと置かれていた。  ガラスには、子どものころ貼った花のシール。  奥の和室の居間へ入る。  畳は黒ずんで、少し朽ちているようだった。  本棚にぎっしりと、金の背表紙の百科事典があった。  ほとんど読まなかったけど、あるだけで、ちょっぴり利口になった様な気分になったものだ。  テーブルには灰皿が置いてある。  マイルドセブンの吸殻(すいがら)が大量にエル字に折り曲げて捨てられ、水をかけたのか灰が表面にこびりついている。  そういえば、一度吸殻が丸ごと黒焦げになったことがあったっけ。  燃え広がっていたら、今頃この家はない。  それどころか自分もいないかも知れない。  大きな液晶テレビの前に、熊の置物があった。  祖母がふらりとやって来て、北海道のおみやげだと言ってたやつだ。  ちょうど持っていた彫刻等の丸刀で、どんな感じで彫ったのか試し彫りをしてみた跡があるはずだ。  熊のゴワゴワした毛の質感を、凹凸だけで表現した見事なテクニックを真似したいと思ってやったのだった。  せっかくのお土産を傷つけて、怒られたっけ。  サイドボードの取っ手の穴に、ひらがなカードがねじ込んであった。  これも俺がやったのだ。  成長の痕跡を探していると、胸に開いた隙間が埋められていくかのように、暖かい気持ちになった。
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