2人が本棚に入れています
本棚に追加
4
ビルの屋上にいると、時空が歪むと言われている。
特に夜は。
大手生命保険会社のビルの最上階から、屋上へ続く階段を上る。
今日は晴れているので、月が正面で迎えてくれた。
ぼんやりと浮かび上がる手すりと窓の形。
誰もいない空間に、靴音と、呼吸音がやけに大きく聞こえた。
屋上庭園には、天然の芝生が銀色に輝いている。
東屋にLED照明が煌々とついていて、吸い寄せられるように歩いて行った。
小道のレンガタイルを踏みしめて、一歩一歩ゆっくりと。
夜の冷えた空気を肺に吸い込むと、段々と息苦しくなってくる。
幾千幾万の星は、都会の空気に霞んで見えず、自分が目指したところも手の届かない彼方にあって、目に映らなかった。
東屋のベンチに腰かけると、背もたれに身を預けた。
街の灯りが下からほのかに明るく照らし、空はうっすら青い。
夢を追って都会に出てきた田舎者には、星は見えないらしい。
こうしてぼんやりしていると、世間に取り残されて、自分だけ歳を取らずに無駄な人生を生きているように感じられる。
深くゆっくりと息を吸い、重い身体を起こして立ち上がった響は、何かに取り憑かれたように縁へと歩を進めた。
フェンス越しに、地図のような街の夜景を見下ろして、ゆっくりと息を吐いた。
ビルの窓の明かりは、人の営みの数だけ灯される。
耳を澄ませば、遠く車のエンジン音が聞こえる。
「あれが、東京の灯だ。
俺が居ようと居まいと、関係なしに時は流れていく。
何かを成しても、この灯が一つ、増えるだけだ」
都会の景色に背を向け、東屋へと戻って行く。
柔らかい起毛のジャケットを羽織り、またベンチに身体を預けた。
故郷へ帰りたいとは思わない。
だが、威勢よく飛び出してきても、結局何も変わらなかった。
虚しい。
明日も生きなくてはならないから働く。
そして疲れ切って帰ってくる。
そんな毎日が恐ろしかった。
いつしか、瞼を閉じていた。
最初のコメントを投稿しよう!