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 スーパーは、川の向こう側にあった。  国道の大きな橋を超えて行くのだが、原付でトラックと一緒になって走ると生きた心地がしないので、遠回りして農道を通る。  土手の緑の中に、黄色い花や蝶が暖かい陽を受けて輝いていた。  水の音と風に葉が擦れる音。  子どものころから親しんだ空気が、身体の奥に凝り固まっていたものを溶かしていく。  ここには、人間の手を離れて奏でられる音楽があった。  田畑にちりばめられた命と、川で泳ぐ魚たち。  空を行く雲と遠くの山並み。  自然に身体の中に曲が芽生えていく。  原付のスロットルを絞ってみても、景色が雄大だからスピードを感じない。  風が唸り、地面だけが凄い速さで後ろへ飛んでいく。  車庫にバイクを収め、買い物袋を下げて家に入ると、持ってきたギターで思いつくままに曲を奏でた。  久しぶりに故郷の土を踏んで、(たかぶ)る気持ちを素直に歌い、コードをつける。  それをスコアに落とし込み、弾きながら次の音を探っていく。  物置に合ったキーボードを持ちだして、電源を入れた。  色あせたり、汚れたりしてはいたが一応は使えた。  指を鍵盤(けんばん)に這わせるように動かしていく。  弾いていて気持ちのいいメロディを紡ぎ出し、スコアに書き込んでいく。  都会の機械的な音とは違う、生きた音が次々と産み出された。  指が楽譜を超えて、次々に曲を奏でていく。  流れに身を任せて、音の洪水がいつまでも続くのだった。  子どものころからピアノやギターには親しんでいた。  両親が音楽を趣味にしていたため、響にも英才教育を施したのだ。  クラシックピアノの練習曲は小学校低学年ですべて終えて、自分で作曲も擦るようになっていた。  だが東京に出てオーディションを受けるなどしていれば、一角(ひとかど)の者になれるのでは、などとは甘い考えだった。  多少秀でた部分があっても、肝心の中身がない。  表現するための、核になる物が。  10年も都会で過ごして、結局何も得られなかった。  そんな気分でさえ、今は曲にできそうだった。
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