2人が本棚に入れています
本棚に追加
8
玄関の方で人の気配がしたと思うと、チャイムが鳴った。
セールスか何かかと、身構えて勝手口から顔を出すと、
「あの、ギターの音がしたものですから、様子を見に来たのです」
と若い男が訪ねてきたのだった。
ちょうど、上京したころの歳と重なって、親近感があった。
「昨日、久しぶりに帰ってきて、掃除して生活できるようにしたところなんだ。
良かったらお茶でも」
などと自然に口を突いてでた。
都会では近所の人が訪ねてくることはなかった。
自治会にも入らないし、近頃はセールスもほとんどない。
人間の声を久しぶりに聞いたような気がして、家に招き入れると、顔に幼さが残る少年だった。
「音楽が好きなのかい」
昔、近所の人がピアノやギターをやっていて、音が聞こえたと両親が言ってました。
「10年前、ちょうど君くらいの歳に東京に出て、音楽活動をしたけど昨日帰って来たところさ」
自分と重ねて見てしまう少年は通道 樹と名乗った。
近所にそんな苗字の人がいたかと思ったが、
「5年前に引っ越してきました」
と聞いて納得した。
近所から音楽が聞こえた話は、引っ越す前の家出のことらしかった。
ギターを少年に貸してやり、基本のコードを教えて、好きなように弾いているのを聞いていると、必死で音を追いかけていた時期のフレッシュな気持ちが蘇ってくる。
東京へ夢を抱いて出て行ったとき、音楽が好きだという気持ちが溢れていた。
毎日楽器に触れ、音を紡いで過ごしていたが、いつの間にか成功を夢見るようになった。
そんなときだろう。
無力感を感じ始めたのは。
響は改めて自分の手を見た。
指先にタコができて、硬くなったところに年月を感じる。
壁にもたれてギターを一心不乱に鳴らす少年は、何もかも忘れて没頭しているようだった。
最初のコメントを投稿しよう!