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グッド・イブニング、生霊の張本人。(視点:ユカ)
数秒後。もしもし、と彼が話し始めた。
「アキ、また来ているんだけど。うん、そう。出てる。女の子を連れて来たからだと思う。うん。いや、してない。え? スピーカー? 別にいいけど」
彼は私の傍らに腰を下ろし、床にスマホを置いた。もしもし、と女の人の声が響く。
「聞こえますか。ええと、ケンジ君、今日連れて来た方のお名前は何て言うの?」
「ユカさん」
「ありがとう。ごめんなさい、ユカさん。驚きましたよね。彼の部屋にいるの、私の生霊です」
はぁ? と間抜けな返事が漏れた。
「生霊? 貴女の? そもそもどなたなのですか?」
疑問が次々と口を突いて出る。ごめんなさい、と受話器の向こうの相手はもう一度謝罪を口にした。
「私、ニシキノ・アキと申します。ケンジ君と昔、交際していた者です」
「元カノ、さん」
「大分前ですけどね。そして、お恥ずかしい限りなのですが、彼に女性の気配があると部屋に私の生霊が出てしまうそうでして。自覚は無いし、むしろ私自身は吹っ切っているのですが、呪いなのか何なのか現れちゃうんです」
そんな他人事みたいな。そして、吹っ切っている、ですって?
「出て行け! 出て行け! ケンジ君は誰にも渡さない! 私とずっと一緒にいるんだ!」
生霊さん、尋常でなく執着していますけど。
「アキ、聞こえる? 自分の生霊の声」
ケンジ君が受話器に話し掛けた。聞こえるよぉ、とアキさんが力なく応じる。
「めっちゃ恥ずかしい。生霊じゃなくて昔の私の残留思念じゃない?」
「どっちでもいいけど早く消して」
「無理だよ、私が意図的に出現させているわけじゃないもの」
ちょっと、と二人のやり取りに割って入る。
「ケンジ君、家に元カノの生霊がいるとわかった上で私を連れて来たの?」
「そうだよ」
「ひどくない? って言うか引っ越しなよ。こんな不気味な家」
「金、無いし。それに多分、引っ越しても無駄だと思う。次の家にも出て来るんじゃないかな」
「何で半ば受け入れているのさ」
「正直、半分は賭けだった。もう出ないんじゃないかと思っていた。アキと別れて一年以上経つから、落ち着いたかと踏んだんだ」
生霊を見遣る。
「ケンジ君! 私がいるのよ! 早くこっちへ来て! ずっと一緒にいよう!」
それこそ生き恥だ、とアキさんがぼやく。
「ケンジ君、よくいけるかなって思えたね!? めっちゃ執着しているよ!」
「普段はいないんだ。女の人を連れて来ると出現する」
「どうやって察知しているの!? え、アキさん、この家に監視カメラでも仕掛けているんですか!?」
スマホに向かって叫ぶように問い掛ける。いやいや、とすぐに声が返って来た。
「私は知らないんだってば。預かり知らぬところで私の生霊が騒いでいるだけ」
「そもそも生霊を受け入れているあなた達はおかしいですからね!?」
「アキ本人にそっくりだし、だけど本人は全然別のところにいるわけだから、生霊って線しかないでしょ」
「冷静に分析をしろって言っているわけじゃないんだよ!」
淡々と語るケンジ君にツッコミを入れる。そりゃそうだ、とアキさんは呑気に相槌を打った。
「いやだから貴女の生霊なんですけど!?」
「そうは言ってもねぇ……勝手に出ているだけだし……どうしようもないかな……」
「無責任な! 何とかして下さいよ! そもそも貴女、今何処にいるんです!? 本当に本人じゃないんですか!?」
「自宅にいるよ。ビデオ通話にしようか? そうしたら私がそこにいるわけじゃないって証明になるでしょ。まあ、そもそもこの私とそっちにいる私が別々に喋っている時点で違う存在だって理解して欲しいけど」
「ええい、とにかくビデオ通話をしましょう! ケンジ君、お願い!」
ややこしい、とぼやきつつ彼は応じてくれた。スマホを手に取り私を写す。程なくして相手も画面に写り始めた。眼鏡を掛けた、黒髪の女性だ。髪の長さは本棚の上の奴と同じくらい。ただ、顔ははっきりとしている。こんばんは、と向こうが軽く会釈をした。
「改めまして、ニシキノ・アキです。ええと、ユカさん、ですよね。ケンジ君の新しい彼女さんですか」
こんな現実離れした状況にも関わらず、アキさんの発言に顔が熱くなる。
「ま、まだお付き合いはしていませんけど」
「ケンジ君はぁぁぁぁ、私と一生付き合うんだぁぁぁぁ!! お前が付き合えるわけなどないぃぃ!!」
生霊の叫びに、勘弁して、とアキさんは自分の額に拳を当てた。
「そんなこと無い。私とケンジ君はとっくに別れている。ユカさんとお付き合いをして下さいな」
「ふざけるなぁぁ!! 認めない!! 絶対に認めないぞぉぉ!!」
「うるさいな私の生霊! 彼の邪魔ばっかりするな! 諦めろ、見苦しい」
「私が彼女だぁぁ!!」
「違うわアホ!!」
本人と生霊の意見が食い違うって、どうなっているの。そして巻き込まれたこっちはどうすればいいの。
「ちなみにケンジ君、付き合ってもいないのに家へ連れ込むのはどうかと思うよ」
それ、今する話!?
「付き合っていない人を連れて行ったら出るのかなって興味もあった」
「あ、ひどい。ユカさん、可哀想。そういう中途半端な気持ちで家に上げるなんて最低」
「でもそういう関係になってもいいか、とは思っている」
「コラコラ、告白するならちゃんと言葉にして伝えな。体を重ねて引くに引けなくなってから、なんて卑怯じゃん」
「私と寝ろぉぉぉぉ!!」
「うるさい私!」
「結果的に行き着く先は同じだから良くない?」
「良くない! ケンジ君のそういうところ、何度も注意したでしょ。ちゃんと筋道を通すこと。そして、君は言葉が足りないからきちんと気持ちを口にすること! じゃないと誤解や擦れ違いが生まれるし、無駄に相手が傷付くよ? ね、ユカさん」
「さっさと出て行けぇぇぇぇ!!」
「そっちの私は無視していいから」
ああもう、と床を叩く。
「頭がおかしくなりそう! 何なの!? 私の方がズレているの!?」
落ち着いて、とアキさんが穏やかな声を掛けて来る。それすらも私の神経を逆撫でした。
「そもそも貴女に原因があるんですよ!? 落ち着けなんてよく言えますね!?」
「う、それはそうだけど」
「貴女の生霊のせいでこんなわけわかんない状態になっているんですよ!? 私だって今日、期待しながら此処へ来ましたよ! 家に呼ばれるって、つまりそういう意味だよなぁって思いましたよ! 子供じゃないんだから! まだ告白されていないけど流れでいけるところまでいっちゃえって! なのに家には元カノの生霊がいて出て行けって繰り返されるし! ケンジ君はその異常な状況を受け入れているし! その元カノは電話越しに自分の生霊と喧嘩した上で何故かケンジ君を諭しているし! 何なの!? 意味わかんない! 気持ち悪い! 帰る!」
立ち上がった私に、まあまあ、とアキさんがまだ話し掛けて来た。
「ほら、家が無理ならホテルへ行ったら? そっちなら私の生霊も出ないんじゃないかな」
「こんな体験をした後で気持ちが盛り上がるわけないでしょ!」
複雑な心霊体験をした後にベッドインなんて出来るか!
「そ、そっか。そうだよね」
「そもそもホテルに行ったとしても、アキの生霊は出るんじゃないか?」
「ちょっと! 元カレの情事を覗き見するような趣味は無いんですけど!?」
「俺の家には出て来るじゃん。アキ、生霊の視界って見えているの?」
「見えないよ! 無自覚の出現だって何回言わせるのさ」
「よく俺が女性を連れて来た時だけ出現させられるね」
「話を聞いてよ! 私が任意で送り込んでいるわけじゃないんだってば」
「タイミングが良すぎる」
「知らないよ!」
もういい、と絶叫する。流石に二人が口を噤んだ。
「帰れぇぇぇぇ!! 帰れぇぇぇぇ!!」
生霊だけはブレなかった。
「気持ち悪い。君達、凄く気持ち悪いよ。私には無理。ついて行けない。ごめん、ケンジ君。私、君とは付き合えない。もし、元カノの生霊なんていう異常な存在がいなかったとしてもさ。こういう状況を平然と受け入れるような性格の君とはきっと上手くいかなくなると思う。だから、もう会うの、やめよう。悪いけど連絡先も消させて貰う。二度と関わり合いになりたくない。じゃあ、帰るね。バイバイ」
わかった、と彼が変わらない調子で呟く。私はリビングから廊下に出た。わき目も振らず玄関を目指す。
「コラ、ケンジ君! それでいいの!? ユカさんを好きなんでしょ!?」
「一緒にいると楽しい」
「だってさ! ほら、ユカさん! 彼もそう言っているから何とか許して貰えないかな!?」
靴を履いた私は振り返った。ケンジ君が手に持ったスマホには、元カノのアキさんが写っている。そして彼の奥に見える本棚の上にはアキさんと同じ姿の生霊が見えた。
「気持ち悪いから、嫌です」
そうして、私は彼の家を後にした。二度と近寄らない、と固く決意をして。
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