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君のアドバイスに従ったのだ。(視点:ケンジ)
ユカさんは帰った。もう会うことは無いだろう。リビングへ戻るとアキの生霊は消えていた。ごめん、と受話器の向こうから謝罪が届く。
「これで三人目だよ。いい加減、何とかしてくれないか」
「私にはどうにも出来ないよ……お祓いとか頼んだら?」
「家や俺を祓うだけじゃなくて、アキも一緒に来ないと無駄だと思う」
「うー、やっぱりそうかなぁ……今度、行く?」
ダイニングチェアに腰を下ろす。テーブルを挟んで向かいにもう一脚。アキが使っていた物。彼女と別れて以来、誰も座っていない。生霊に追い出されてしまうから。宅飲みするような友達もいないし。
「アキさぁ」
「ん?」
「本当に自覚、無いの?」
「ケンジ君にまだ未練があるんじゃないかって? 自分で言う? それ」
からかうように返された。生霊を出している今の君にはそんな指摘をされたくないな。
「俺だって恥ずかしい。俺のことをまだ好きなのかって意味だから」
「あはは、そりゃそうだ。そして変なところは正直に話すところは相変わらずだね」
思えば今日、アキはずっと俺の理解者のように振舞っていた。ユカさんに気持ち悪いと評されるのも当然か。……いや、理解者面ではない。本当にわかってくれているのだ。大学の頃から四年も付き合い、同棲までしたのだから他の人より俺を理解しているのは当たり前だ。別れた理由は、俺が彼女を好きだと思えなくなったから。正直にそう伝えるとアキはしばらく黙っていた。だけど、わかった、別れよう、と静かに受け入れてくれた。
彼女は長かった髪をバッサリと切った。失恋したら切りたくなるって本当だね、と明るく笑ってくれたっけ。綺麗に施していたネイルもやめた。ケンジが好きだから続けていたんだよ、と最後に教えてくれたのだった。そして彼女は出て行った。いい出会いがあるといいね、と言い残して。
「吹っ切っているのは本当だよ。ただ、生霊が出ちゃうとさ。もしかして、心の奥底ではまだ君のことが気になっているのかな、って頭を過る」
画面の向こうから、短い髪のアキが俺を見詰めている。少し顔を赤くして。
「無自覚に、好きってこと?」
「自分の気持ちだって、わからないものはわからないよ。君が私を好きじゃなくなったから私達は別れた。しばらくは私も引き摺った。髪まで切ったのになかなか切り替えられなかった。でもある時、気持ちが変わった。くるっとね。そう、変わったはずだったんだ。相手こそ、まだいないけどさ」
そう言って彼女が笑顔を浮かべる。だけどさ、と少しだけ目を伏せてアキは話を続けた。
「好きって感情はとても大きくて重いから、もしかしたら。どこかでまだ、ケンジ君を想っているのかも知れない」
生霊が現れるのだから、その可能性は十分ある。だけど、ごめん、とアキは口元を押さえた。その手にネイルは施されていない。
「今更こんなことを言われても困るよね。それに、私がまだ自覚すらないくせに君を好きでいるせいで生霊が現れるのだとしたら、本当に迷惑極まりない話だ! うん、やっぱりお祓いに行こう。私、親戚に神社で働いている人がいるから頼んでみるよ! 今度の週末とか、空いている?」
捲し立てるアキに、あのさ、と微笑み掛ける。
「アキ、相手、いないんだよね」
「え、何急に。いないけど」
「もし、君が良ければさ。もう一度、やり直せないかな」
途端に、はぁ? と素っ頓狂な声を上げた。そりゃそうか。
「ちょ、え、えぇ!? どういう展開!?」
目を丸くする彼女とは対照的に此方の心は穏やかだ。
「結局、アキが一番俺をわかってくれているんだよなぁってわかった」
「あのねぇ。付き合った期間が長いから、他の人より理解しているのは当然でしょ。その上で君の気持ちが冷めたから別れようって話になったんじゃん」
「恋人としての好きじゃなくて、家族として見始めたのかも」
げ、と二つ年上の元カノは顔を顰めた。
「何を言い出しているわけ!? 第一、私と別れてから三人も家に連れ込んだんじゃん!」
「だけどその人達は君の生霊を見てすぐに俺から離れていった。一緒に何とかしよう、とは誰も言い出さなかった。所詮、その程度の気持ちなんだ」
まあ、とアキは頭を掻いた。顔はまだ赤いまま。
「そうかも知れないけど……」
「俺はアキの生霊が俺に執着するのを目の当たりにして、君の気持ちを確認したくなった。つまり、俺はやり直したいと思っているのだろう」
「他人事みたいに喋らないの。まあ自分の気持ちがよくわからないって私も言ったばっかりだけどさ」
「アキはどう? やり直すの、嫌?」
「ハッキリ訊くなぁ……」
「君が言葉にして伝えろって注意してくれたから」
そう、アキのアドバイスを生かしてちゃんと口に出しているんだよ。画面から顔を逸らしたアキだけど、ふっとカメラを見詰めた。此方の鼓動が高鳴る。
「……私も、ケンジ君と、やり直したい」
胸を撫で下ろす。大きく息を吐くと、意外と緊張していた? と訊かれた。
「そりゃあね」
「実は私も」
「気が合うじゃん」
「むしろ緊張しない方がおかしいよ!」
違いない、と笑い合う。ねえ、とアキが画面に寄って来た。
「週末、泊まりに行ってもいい? 久々に宅飲みしながら映画でも観ようよ」
「勿論構わない。そこで、やっぱりやり直せないって思ったら遠慮なく言って」
「後ろ向きなスタートはやめて! 折角の復縁なんだし、明るく仲良くいきましょう!」
いいね、と肩の力が抜ける。ユカさんをはじめとした家に連れて来た人達には悪いけど。結局俺は、アキと一緒がいいらしい。遅まきながら自覚した。我ながらひどい男だ。
三日後の土曜日。呼び鈴が鳴った。玄関へ向かい扉を開く。ただいま、とはにかんだアキが口にした。お帰り、と彼女を招き入れる。一緒にリビングへ向かう途中、出るかな、とアキは呟いた。
「まさか。だって君自身だよ」
「でも私の生霊と私、言い合いになったし」
「自分に嫉妬って嫌だな」
そんな会話を交わしながら部屋へ入る。
当たり前だが、アキの生霊は現れなかった。な、と顔を覗き込む。すぐに唇を合わせられた。えっと、と流石に戸惑う。
「ただいまのキス」
「……そうですか」
「照れているね」
「ま、ね」
そうして俺とアキは向かい合ったダイニングチェアに腰を下ろした。久々に使う人が現れたな。
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