第一章 現場 ─ゲンジョウ─ 1 第1話

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第一章 現場 ─ゲンジョウ─ 1 第1話

 一羽の鳥が雄大な翼を広げて飛んでいた。鋭くも愛らしくもあるその目には、人間が知覚できる三原色以外にも、紫外線をとらえることができるといわれている。鳥は風に乗って徐々に高度を下げて行く。厚い雲を抜けると、そこには色彩豊かな光景が広がっていた。  青く萌える山並みが遥か彼方にまで広がっている。人界から隔絶された大気は、微かな冷気を帯びて驚くほど澄み渡っていた。鳥は更に高度を下げて高い声で物悲しく鳴いた。空気を震わせ、それは、山々の麓にまで達するであろう。  ここは長野県、律令制下では『信濃国(しなののくに)』と呼ばれ、『信州(しんしゅう)』とも呼び習わされてきた。古名では『科野(しなの)』とも表記され、周囲を美しい自然豊かな山々に囲われている山国である。  北西部には飛騨山脈が富山県、新潟県、岐阜県との境をなし、南東部には明石山脈が山梨県、静岡県との境界となっている。東部は関東山地が埼玉県とを分け、北東部には三国山地が群馬県境となっている。  平野部に乏しく、長野盆地、上田盆地、佐久盆地、松本盆地、諏訪盆地などの盆地と、木曾谷、伊那谷などの細い谷が飛び地のように、山や谷や河によって隔てられ、一国をなしていた。  日本の大動脈の一つ旧中仙道がうねりながら東西に走り、二十五の宿場が置かれた歴史の古い町並みが現在も残っており、訪れる人々の郷愁をかきたてている。  旧中仙道四十二番目の宿場町『妻籠宿(つまごじゅく)』から見晴かす山の稜線は、冬には白いもので覆われる。北から下りてくる寒気が「日本の屋根」にぶつかり、冷気は白い雪となって降り積もる。冬の間は人跡未踏の地となり、五月の大型連休頃から雪解けが始まり、七、八月の夏期には観光客で賑わいを見せる。今年十六歳になる少年も、その観光客の一人だった。  昨年は高校受験を控えていたこともあり、夏休みは夏期講習に通い、お盆の休みも勉学に勤しんでいた。少年の父方の実家は松本市にあり、毎年父にとっての帰省に同行していたのだが、そういう理由で昨年はついて行けなかった。  例年では大阪から名神高速道路に乗り、愛知県の小牧ジャンクションで中央自動車道に入り、岡谷ジャンクションから長野自動車道で北を目指す。松本インターチェンジで高速道路を降りて一般道を走るのが、最も効率的で無駄がないのだが、家族で話し合った結果、今年は中津川インターチェンジで降りて木曾路を行くことになった。  丁度昼頃だったので食事処を探すと、近くに『道の駅大桑』があったのでそこへ向かい、ようやく車から降りることができた。長時間座ったままでいたので少年は、大きく伸びをした。目に飛び込んできたのが、『中央アルプス』の山嶺だった。遠くから鳥の鳴声が聞こえてきた。長野県の県鳥「ライチョウ」かもしれない。  少年はスマートフォンを取り出して、美しい山並みを写真におさめた。その写真はすぐに誰かに向けて送信された。しばらく画面を見つめていたが、父に呼ばれたのでスマートフォンをしまい、家族の元へ向かった。
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