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三枝荘の座敷わらし②
「あった! あれだわ!」
三枝荘、と書かれた真新しい看板を発見すると、悦子はウインカーを左方向に出し、駐車場に車をとめた。車外に出たところで、スーツに濃紺の半纏を着た初老の男性が悦子の荷物を受け取ってくれる。男性について行けば、赤い暖簾のかかった立派な旅館の門扉が現れた。奥には女将らしき着物の女性が控えていて、悦子が入るなり三つ指をついて丁寧なお辞儀をする。
「皐月の間にご宿泊予定の横小路様でございますね。お待ちしておりました、三枝荘の女将でございます。本日は大変でございましたね。ご体調はいかがですか」
「この通り問題ないわ。車はまあ、大丈夫ではないけど」
「お車の件は災難でございましたね。それでもお体の方がご無事で何よりでした。お荷物はこちらでお運びします。気分転換に館内をご覧になられてはいかがでしょう? 当館自慢のお菓子もご用意しておりますので、そのあとはお茶でも……」
「とりあえず部屋に案内してくださる? ちょっと疲れたの」
取り付く島もない悦子の物言いに、残念そうな顔がちらりと見えたが。
「それでは横小路様、お部屋の方にご案内いたします」
「ええ、頼むわ」
気を取り直したように穏やかな笑顔を返した女将は、旅館の奥へと悦子を案内する。檜の薫る真新しいロビーを抜け、渡り廊下を進む。廊下の右手には小さな和風庭園が広がっていた。風流な庭園に目を奪われているうち、離れのような小さな建物に到着する。女将いわく、こちらが元々の三枝荘の建物なのだという。
新館とは異なり、年季の入った木の扉の向こうはどこか寂しげで。古い杉の香りが立ち込めていた。
「ここはリフォームをしていないのね」
「はい。座敷わらしの好む環境が、人間である私たちには分かりませんので。できる限り初めて目撃されたとされる当時の建物をそのまま保存しております」
「なるほどねえ」
女将は梅の花が描かれた杉戸の前で立ち止まり、優雅な所作で戸を開く。
「こちらが皐月の間でございます。ごゆっくりお過ごしください。またお食事の頃に伺います」
女将が部屋を出ていったあと、悦子はふうと息を吐いた。テレビや雑誌などでもてはやされるようになって、「あわよくば自分のところの宣伝もしてもらおう」という輩には山ほど出会ってきた。きっとあの女将もそのクチだろう。
「よほど気に入れば話は別だけど。宣伝には正当な対価が必要って、どうして理解できないのかしら」
ため息をつきつつ、悦子は部屋の中を見渡す。
「なんだか、気味の悪い部屋ねえ……」
照明はついているものの、どことなく薄暗い。部屋の上手に鎮座している二十体ほどの座敷わらしの人形が部屋の不気味さを増している。綺麗に掃除されてはいるが、ところどころ壁紙にはシミがあった。悦子は顔を引き攣らせながら、キョロキョロと部屋の隅々を探してみるも、それらしい姿は人形以外見当たらない。今回の旅は座敷わらしに会うことが最重要ミッションだったので、明日の朝まで観光の予定などは入れていなかった。つまり、出てこなければずっとこの気味の悪い部屋で缶詰ということ。
「ちょっとぉ、さっさと出てきなさいよ座敷わらし! 早く出てこないと、この旅館買い取るわよ!」
「そんな横暴な」
悦子は思わず飛び上がった。背後からいるはずのない男の声が聞こえたのだ。しかし、恐怖と同時に疑問も湧き上がる。聞こえてきた声は成人男性のもの。座敷わらしなら子どもの声のはずだ。
もし不審者ならぶん殴ってやろうと、手にはブランド物の皮の鞄を握りしめ、聞こえるはずのない男の声の方へ、怯えながらも顔を向ける。
「わっ、ちょっと!」
「ぎゃあああああああ」
その辺にあったものを手当たり次第に投げつける悦子に向けて、宥めるように「その男」は声をかけた。
「あの、ほら。僕、今幽体だから。モノ、投げられてもあまり効果ないっていうか……君が疲れるだけだと思うんだけど」
「はあっ……はあっ……あなた、何者? 人間……ではなさそうね……」
悦子は、まじまじと目の前の男を見つめた。
背中まで伸びた白髪。
丈の合わない粗末な着物に、毛羽だった赤いちゃんちゃんこ。
服装だけ見れば、かろうじて座敷わらしに見えなくもない。
ひどい身なりとは対照的に、美青年という言葉がしっくりくるような色白の整った顔をしていて、それがまた人外の存在であるという空気感を増していた。歳の頃は、おそらく二十歳そこそこ。
「もう『わらし』と言える見た目ではなくなってしまったんだけどね。僕が噂の座敷わらしです」
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