座敷わらし、上京する①

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座敷わらし、上京する①

 鬱蒼とした森のトンネルを抜け、故郷の山の景色が遠ざかっていく。「座敷わらし」がいなくなったあとの旅館の末路を思い胸が苦しくなったが。もしも最後の客が悦子でなければ、自分は今頃泡沫の如く消えていたのだ。これはきっと必然だったのだと自分自身にハルキは言い聞かせる。  山の中を走っていた車は、いつの間にか高速道路に乗って背の高いコンクリートの建物だらけの場所を走っていた。一度死んでしまった人生。せっかくなら、最後は思うように生きてみよう。そう思ったら、車の窓を通して目に映る風景すべてが宝石のように輝いて見えた。  華奢な手で車のハンドルを握り、上機嫌で鼻歌を奏でる悦子の横顔を盗み見る。じっと彼女を見ていると、ないはずの心臓が脈を打つような感覚がする。これはもしかして。  ————一目惚れってやつなのかなあ。  憧れていた男女の恋愛。その一歩を踏み出したような感覚に、ハルキは浮かれていた。  ————好きなものを共有して、笑い合って。一緒に暮らしてお互いのことを知るうち、「あなたが好き」だなんて言われちゃったりして。そして————。 「そういえば、今まで頑なに旅館に引きこもっていたのに、私の願いに付き合うために都会に出るだなんてどういう風の吹き回し? やりたいことでも見つかったわけ?」  ハンドル片手に前を向いたまま、悦子に突然そう問われたハルキは、一瞬固まる。さすが、鋭い。しかし今考えていることを正直に話してしまえば、警戒されて距離を取られてしまうかもしれない。 「うん、見つかったよ。まだぼんやりとしているから、心がきまったら悦子さんにも話してあげるね」 「何か悪巧みをしているわけではないでしょうね?」 「そ、そんなわけないじゃないか」 「……怪しいわね。まあ、いいけど」  悦子の質問攻撃を受けている間に、車は天に伸びるように聳え立つマンションの地下駐車場に入って行った。 「ねえ、ちょっと」 「どうしたの?」  彼女の場所らしきスペースに駐車をすると、彼女はシートベルトを外してハルキを睨んだ。 「どうもこうもないわよ。もうウチに着いたんだから、車から降りてどこへでも好きなところへ行きなさい。あ、明日の十時には私の部屋に来るのよ。今後の婚活作戦の打ち合わせをさせてもらいたいし」 「えっ、僕悦子さんの家に棲みつくつもりでいたんだけど」 「……はああ?」 「ついてっていいって、言ったよね。それに最適な結婚相手を見つけるには、まず悦子さんについて知らないと。それに悦子さんの家を拠点にした方が効率がいいでしょ。誰かいい人がいた時に報告するにも」 「そりゃまあ、そうだけど……」  旅館で話していた時から感じていたが、この人は相当短気な人らしい。「効率」と聞いて急に鉄壁の守りが崩れた様子を見て、ハルキはこっそりほくそ笑む。 「とりあえず、降りましょう」  車のエンジンを切り、悦子はハルキの目の前にある物入れを開こうとして、助手席に手をつき————気づいた。 「えっ。あれ?」 「ああっ、悦子さんったら、ずいぶんと積極的……」  座席についたはずのその手は、ちょっと言うのが憚られるハルキの体の部位に触れていた。女の子っぽく黄色い悲鳴のひとつでも上げるのかと思いきや。恥じらいよりも先に事実を確かめることに意識がいったらしい。彼女は大きな目をこれ以上ないくらい見開いたまま、ハルキの顔や肩にもペタペタ触っている。 「あなた、実体があるじゃない! なんで? どういうこと? 他の人にも今は見えるの?」  ————僕の冗談はスルーですか。  悦子にガシガシ触られて乱された着物を整えながら、ハルキは咳払いをしつつ疑問に答える。 「僕、幽霊じゃないもの。座敷わらしってあやかしだよ? 幽体になったり実体になったりできるに決まっているでしょ。もちろん実体になっている時は他の人にも見えるよ。幽体の場合は、完全に気配を消すこともできるし、宿で見てもらったみたいに、透けた状態で人の前に姿を現すこともできるよ」  そう答えると、悦子は鬼気迫る表情でハルキに食ってかかった。 「そんなあやかし界の常識持ってこられても知らないわよ! だいたい、見えたら困るのよ。私が若い男をお持ち帰りしたみたいに見えるじゃない!」 「お持ち帰りしたのは事実でしょ? その若い男が『座敷わらし』ってだけで」  ハルキの言葉を聞いて彼女は絶句した。他人からも見える以上、そして彼女がハルキを家に招き入れることを承諾した以上、側から見たらそれは事実だった。 「で、でもっ」 「いいじゃない。普通連れて帰れないよ? 座敷わらし。座敷わらしっていうのは、気に入った場所と人にしか居付かないんだよ。だからどんなに頼まれたとしても、お引越しすることなんて滅多にないんだ」  悦子は眉間を顰めつつ、自分の顔に手を置いてため息をついた。 「……もう、あなたと言い合いするのに疲れたわ。とりあえず一旦幽体に戻って! 実体で出歩くつもりなら、着るものは早急に見繕うようにするから」 「はあい」  これ以上彼女の反感を買えば、前言撤回されて追い出されてしまうかもしれない。屁理屈をこねるのはやめて、ハルキは大人しく幽体へとスイッチを切り替えた。  悦子の住むマンションは、東京の晴海という場所に建っていた。死んで座敷わらしになってからはずっと旅館の中に引きこもっていたので、ハルキは外の世界のことをあまりよく知らない。旅館にやってくる客の会話や、テレビで見た情報くらいが現代社会に関する知識のすべて。人間として生きていた間は体が弱く、海を見ることなく死んでしまった。臨海部に聳えるマンション高層階から望む風景はハルキにとっては竜宮城に来たくらいのインパクトがあった。 「すごいねえ、悦子さん! 僕、こんな景色初めて見たよ! この世のものとは思えない!」 「すでにあなたがこの世のものではないけど」 「さすが悦子さん、ツッコミも辛辣だね」  ハルキの切り返しを聞いているのかいないのか、悦子は荷物を片付けていた。旅行カバンの中身を元の場所に戻すらしい。 「ねえあなた、名前はあるの? ここにしばらく住むなら、ずっと『あなた』って呼ぶのもなんだか変だわ」 「あ、そっか。名乗ってなかったっけ。昔の新婚夫婦みたいで、『あなた』っていうのも僕は好きだけど」 「ふざけないで」  ふふ、とハルキが笑うと、悦子は苛立ちを眉間にためていた。これは早めに答えないと怒られそうだ。 「僕の名前はハルキだよ。どんな漢字か学ぶ前に死んじゃったから、漢字は覚えてない。苗字はサエグサ」 「三枝荘の三枝は苗字から取っているのね。じゃあ、あなたのことは今日から、『ハルキ』って呼ぶわ」  ハルキ。そう呼ばれて、肌があわだった。  誰かに名前を呼ばれるのはいつぶりだろうか。大好きだった両親がつけてくれた、大切な自分の名前。彼女に名前を呼ばれた刹那、吹けば消えてしまいそうだった命の灯火が、途端に火力を増したような感覚があった。曖昧になっていた世界との境界線が、くっきりしていく気がする。  ————誰かのためばかりに命を燃やすうち、僕は自分の名前さえ不確かになっていたんだな。 「『座敷わらしさん』、じゃなくて、名前で呼んでもらうっていいものだねえ」 「……何よ。ずいぶん嬉しそうじゃない。名前で呼んでもらえるのがそんなに嬉しいわけ?」 「そりゃあねぇ」 「ちなみにハルキっていくつなの。見た目だけなら大学生くらいに見えるけど」 「んー、没後五十年は経っているから、生きていた時も合わせたら五十代中盤から後半くらいじゃない?」 「あなた、その見た目で……私の二倍以上の年齢なわけ⁈ おっさんじゃない!」 「お、おっさん……⁈」  せっかく名前を呼ばれて上機嫌だったのに。ハルキはひっそりと傷ついた。
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