座敷わらし、上京する②

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座敷わらし、上京する②

「ところでハルキ。実体の時ってご飯は食べるの?」  こちらの気持ちなど構いもせず、彼女は次々と話題を変える。 「え、食事? 食べなくても存在してはいられるんだけど、食べようと思えば食べられるし、美味しいものは好きだよ。まあ、食事は娯楽みたいな感覚かなあ。でもここ五十年はほとんど食事ってしてない、そういえば」 「そう、じゃあ晩酌に付き合いなさい」 「え」  晩酌、とくるとは思わず、ハルキは目をパチクリさせた。 「お酒、飲めないの?」 「え、わからない。座敷わらしになってからの年数を数えると、とっくに成人年齢は超えているけど。お酒を飲もうとしたことはなかったからなあ」  悦子が悪い顔をしている。これは飲ませようとしている顔だ。 「とりあえず、今、実体なのよね? まずはお風呂に入ってきなさいよ。着替えも用意しておいてあげるから」  なんだか本当に、同棲中の恋人みたいでちょっとドキドキしてしまう。ハルキは人間としてこういう経験はしたことはなかったが。三枝荘で、カップルや夫婦が仲睦まじい様子で過ごしているところを見ることはあった。自分もいつかそんな経験ができたらいいのに、と羨ましく思ったこともあったが。皐月の間に女の子が泊まりにきても、彼女たちは現実の男たちとの恋の成就のために来ているわけで。どんなにハルキが容姿端麗だろうと、座敷わらしが恋愛対象になることなかった。 「お風呂の使い方もわからないでしょう。教えてあげるからさっさとついてきなさい」 「悦子さんが一緒に入ってくれれば手間も省けると思うけど」 「子どもならともかく、大人みたいな見た目のハルキと一緒に入れるわけがないでしょ!」  プリプリと怒りつつも、悦子が簡潔に使い方を教えてくれたおかげで、無事お風呂に入ることができた。彼女は女性としては背が大きい方だが、ハルキよりは小さい。貸してもらえるサイズの服があるのか不安に思ったが、用意されていたのは、少し余裕があるくらいの男性ものの服だった。 「出てきたわね。食事用意しておいたから。私もさっとシャワーだけ浴びてくるわ」  湯上がりでほくほくとしたハルキを見てそう言うと、悦子は応答も待たずに風呂へと直行していった。やはり彼女はせっかちである。 「わあ、すごいや」  テーブルの上に用意されていたのは、旅館で見るような綺麗に盛り付けられた食事。サーモンを薄く切って野菜とマリネしたカルパッチョ、燻製肉、チーズの盛り合わせなどが、真っ白な皿にのっている。  ————ずいぶんと豪華なおつまみだなあ。普段からこんなもの食べてるのかな? 「待たせたわね」 「えっ、早っ」 「人を待たせて長湯もできないでしょ。さあ、飲むわよ!」  すっぴんの悦子は、化粧をしているときに比べてちょっぴり幼く見えて。とても可愛らしい。  ————ただなあ。堂々とすっぴんを披露するところを見ると、僕はたぶん、恋愛対象的な意味での男としては見られていないんだろうなあ。ちょっと複雑。 「ねえ、悦子さん。今日は何かお祝いなの? 旅館みたいな食事だよ」  なんとか会話を弾ませようと、席につきつつハルキは話題を探る。 「ああ、今日は私の誕生日なのよ。豪華って言っても、あなたがお風呂に入っている間に下のスーパーで買ってきた見切り品の寄せ集めだけどね」 「ええ! そうだったのか、誕生日おめでとう。あれ、でも家族で誕生日パーティーとかやらないの?」  素朴な疑問の言葉に、悦子は顔を曇らせた。 「……いいのよ。今日はハルキが晩酌に付き合ってくれれば十分。元々すんなり願いが叶えてもらえていたら、三枝荘でひとり祝いするつもりだったわけだし」  ————あれ、僕何か変なこと言った? たとえもう立派な大人で、ひとりで暮らしていたって、家族で祝ったりするよね?  しかし彼女の表情を見る限り、誕生日の話題はあまり深く掘り下げない方がいいようだ。悦子は話題を遮るように、華奢なデザインのグラスをハルキに差し出した。初めて渡されたおしゃれな物体に戸惑いつつも、ハルキはそれを受け取る。緑色のボトルが傾けられ、黄金色の液体が泡と共にグラスに注がれていく。花の香りみたいな甘い匂いが鼻を突いた。 「とにかく。まずは乾杯しましょう。さあ、飲んでみなさい」 「何これ」 「シャンパンよ。私の場合はまずこれが定番なの」  おずおずとグラスを受け取り、見様見真似で乾杯のポーズを取る。戸惑いながらも一口含めば、口の中に未知の刺激が広がり、喉が焼けるような感覚に顔を顰めた。 「うえ、なんか、甘くない炭酸入りの葡萄ジュースって感じ」 「ふん、歳はおっさんのくせにお子様ね。味覚は子どものままなのかしら。ああ、無理しないでいいわ。もしダメそうなら私が飲むから」  お子様扱いされたことに、ハルキはちょっぴりカチンときた。優しさから言ってくれた言葉なのかもしれないが、こういう言われ方をすると男としてのプライドが傷つく。 「まだ慣れないだけだよ。うん、二口目はなかなか美味しい。これならどんどんいけそう」 「……本当かしら」  注がれた分を一気に煽っておかわりを要求すれば、疑わしい目つきでこちらをみつつも、悦子はもう一度グラスにお酒を注いでくれる。 「ねえ、悦子さん。そういえば、この服って、誰の服? ずいぶん大きいけど」 「ああ、それは元彼のよ。泊まりに来てた時に貸していたのよね」  ガラスのハートにピシリ、とヒビが入るのを感じる。胡乱な目を悦子に向けると、ハルキは口をへの字に曲げた。 「元彼? 前の恋人ってこと?」 「……何よ、その目は」  こんなに綺麗な人なのだから、一度も恋人がいなかったなんていうことはあり得ない。しかし実際の物として過去の男の影が現れたことで、想像以上に動揺してしまっている自分がいた。 「ひどいや。僕の気持ちも知らないで」  おかしい。なんだかうまく感情のコントロールができない。ちょっとした感情のささくれだったはずなのに、どんどん悲しくなってくる。 「え、何よ、泣いてるの? 困った人ね。いったい今の会話のどこにスイッチがあったのよ……」  悦子のことを気に入って、ここまでついてきたのに。自分のことを全然意識してくれない。そりゃまだ出会って数時間なわけだが。悦子のことが気になってしょうがないのに、一ミリも男として見られていない事実がハルキは悲しかった。  どうやらこの日。ハルキはこのまま意識を手放したらしい。一応あやかしなので、夜眠ったりすることはないはずなのだが。部屋の隅っこで丸まって、ずっとメソメソ泣いていたそうだ。翌日正気に戻ったハルキに向かって悦子は、「めちゃくちゃ悪霊っぽくて気味が悪かった」と、ゲンナリした顔で言った。  淡い期待から始まった悦子との同居生活だったが。好感度に関しては、どうやらマイナススタートを切ってしまったようだった。
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