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「こんにちは! フィリルさま」
今日も明るい笑顔でシルヴィが教材を抱えてやってくる。
「こんにちは、シルヴィ」
「あら、カインはまだですか?」
「今朝、仔馬が生まれてね。カインは夜中からつきっきりだったそうだ。それで少し遅れているらしい」
「あは、カインらしい。どうしましょう、待ちますか?」
シルヴィが教材を机に置きながら首を傾げる。
「そうだな……」
シルヴィと二人だけで色々話をしてみたい、と思ったところでテラスに続く窓からカインが焦った様子で顔を覗かせた。
「申し訳ありません! あのっ、俺いま臭いんでっ! 洗ってから来ます!」
そう言ってカインは走っていった。僕たち二人は一瞬ぽかんとして同時に笑い出した。
「あははっ、カインったら。ふふっ。……わあ、フィリルさまがそんなふうに笑うの、初めて見ました」
「はは、そうかな?」
「はい!」
カインが来るまで話をしながら待っていようということになった。
とりとめもなく、だけど次から次へと話題が出てきて、今まで経験したことがない高揚するような胸がきゅっとなるような時間を過ごした。
永遠に続いてもいいと思えるほどの、宝物のような時間だ。
けれど、シルヴィの住む街の話をしている時に、申し訳なさそうに小さくなって現れたカインの謝罪の声で二人だけの時間は終わった。
今日はもう勉強はやめにして、カインから仔馬が生まれた時の話を聞くことにした。
珍しく興奮しながら話すカインに笑ったり呆れたり。
三人で楽しくて、なのに寂しくて。
不思議な感覚を覚えながら時間は過ぎていった。
*
冬から春は社交シーズンであるため両親と王都で過ごし、夏から秋にかけてはバークレー領に戻りカインとシルヴィと一緒に屋敷の裏の森にある湖で水遊びをしたり街の祭りに参加したりした。もちろん、勉強も。
そうやって幸せで穏やかな少年時代は駆け抜けるように過ぎていった。あとから、どれほど腕を伸ばそうとも、手を広げようとも届かない。
僕の人生にとって眩しいほど大切な思い出をたくさん詰め込んで、終わったのだった。
*
「カインは独学していたって言っていたけど、さすが飲み込みが早いね。軍人よりも文官が向いているんじゃないだろうか」
「そうかもしれません。でも上級文官になるにはスクールに通わないといけないですから」
話題はそれぞれの未来に移り変わっていく。
カインの父シード子爵は文官として頭角を表し、若くして国の直轄地の管理を任された。現在は公爵家当主である父の側近となるほど有能だし、領地を持たないとはいえ給金も相当ある。
今はこの屋敷内に住まいを与えているが、それまでは街に家を借りていたし、長男を王都に行かせカインの下にも妹がいるので、それほど生活に余裕はないのだろう。
スクールを卒業していれば上級文官になれるが学費は高い。カインの兄シモンは侯爵家令息の近侍として通学しているので侯爵家から学費は出ているが、それでも妹が今後結婚する場合、相手によってはかなりの持参金も必要なので蓄財もしなくてはならない。
家庭教師もつけられておらず、僕と少し勉強したぐらいのカインはスクールに通っても大変だろう。
軍人ならば実力次第で上に行ける。
カインはアンリの特訓にもよくついていき、剣の腕も上がってきている。僕もたまに訓練に参加するが、手合わせのたびに上達しているのがわかる。多分、心持ちが違うのだろう。
「シルヴィ、綴りが間違えているよ」
「あっ、ほんとだ。話せるのに書けないってどういうことでしょう? フィリルさま」
シルヴィは眉間に皺を寄せ、一生懸命ペンで何度も綴りを書いている。
「手紙が書けるようになると楽しいと思わない? 私がスクールに入学したら手紙を交換しよう」
「いいのですか?」
シルヴィが嬉しそうな顔を上げる。
「もちろん。添削してあげる」
「結局、勉強なんですね……」
シルヴィは僕のほんの少しの動揺も気づかないまま、頬を膨らませて再び紙にペンを走らせた。
僕はその横顔を眺める。
もうすぐ、僕はスクールへ通うようになる。勉学に励みながらも、公爵家の嫡男として王家の助けとなるべく人脈を広げなければならない。
こうして三人で遊んだり勉強したりする時間は持てなくなるのだ。
カインやシルヴィと、友人のように過ごすのは、許されなくなるのだ。
シルヴィ、君はそれがわかっているのかな……。
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