恋とは堕ちるもの

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 ***  フィリルさま、お元気ですか?  珍しい王都のお菓子を送っていただき、ありがとうございました。  甘いものが苦手なカインも美味しいと言っていました。「お礼の手紙を書こう」と言ったのですが、逃げられたので、私が二人分書きますね。  ***  フィリルさま、お元気ですか?  先日、仕事で失敗してしまいました。薪の発注を一桁多くしてしまい、倉庫がぱんぱんになりました。父からものすごく怒られたのですが、少ないよりはいいじゃない、と必死で売り切りました。  もう同じ失敗はしたくないです。  ***  シルヴィとは約束通り手紙のやり取りをしている。  長期休暇、領に戻り領都を周った時に顔を合わせたりするが、二人もそれぞれ忙しくしていることもあり、昔のように一緒に過ごすことはなくなった。  寂しいが、成長するにつれてそれぞれの立場がはっきりしてきたように思う。    手紙の往復を重ねると、シルヴィの成長がよく感じられた。  文字はだんだんと美しくなり、内容は気に入ったお菓子から面白かった本の内容や仕事などに移り変わっていった。 「会いたいな……」  シルヴィの文字を指でなぞりながら、ぽつりと呟く。    僕はまだ社交界には出ていないが、王宮や貴族家で行われるお茶会に招待されることはある。そこでは美しい令嬢たちに囲まれることも多い。洗練されたマナーにそつのない受け答え。  けれど、シルヴィより美しいとは思わない。    あの草原の中の明るい笑顔より綺麗な笑顔を、僕は知らない。  *  十六才になり、僕にも婚約者が決められた。お茶会などで相手をなかなか決めない僕に両親が業を煮やしたらしい。  特に政略結婚の必要もないのでのらりくらりとかわしていたが、僕はバディスト公爵家唯一の嫡男であるため無理もない。    相手はデヴォン侯爵家令嬢。まだ十四才ながら、マリアベル・ジョゼ・ドゥ・デヴォンは控えめで楚々とした美しい令嬢で、拒否する理由はない。  どこかのお茶会で会ったことはあると思うが、初めて名前と顔が一致した。  会うたび真っ赤になって俯くので、ちゃんと会話をしたことがないが、これから仲良くなればいいのだろうと思う。   「マリアベル、これからベルと呼んでもいいだろうか?」 「あっ、はい。……ありがとうございます」 「ふふっ、なぜお礼? じゃあ私のことはフィリルと」 「はい。……ありがとうございます」  また礼を言って、さらに赤くなって俯いてしまった。  *  長期休暇に入り久しぶりに領地に帰った。 「えっ、カインとシルヴィが婚約……?」  シード子爵が嬉しそうに報告をしてくれた。  カインは次男で継ぐ爵位もない。ロバン商会はシルヴィの弟が継ぐことが決まっており、公爵家使用人のカインと平民のシルヴィが結婚することになんの問題もない。   「はい。フィリルさまもご婚約されたとか。おめでとうございます」 「う……うん。ありがとう」  なぜだか目の前が真っ暗になり、子爵がまだなにか話していたが耳に入らなかった。  なんとなく、僕たち三人の関係性は変わらないものだと思っていた。  三日後、正装を纏った二人が領主である僕の父と母に挨拶に来た。将来、カインの主となる僕もそこに同席した。  十六才になったシルヴィは輝くばかりに可愛らしく幸せそうで、隊服を着用したカインは顔つきも精悍になり背も伸びて逞しくなっていた。  シルヴィはカインの瞳の色である深い青のドレスにミルクティー色の髪の毛が波打っていて大人びて見えた。  心の底で、あの青が僕の青であったなら、と思ってしまう。    両親への挨拶の後、僕たちは三人で庭でお茶を飲むことにした。 「実は一年間王宮に行くことになりまして」 「王宮に?」 「はい。公爵さまの口添えで色々な経験をした方が良いだろうと、王宮警備に推薦していただきました。なので先にシルヴィと婚約しておこうとなったんです」 「手紙に書けなくて申し訳ありませんでした、フィリルさま。ちょっと驚かせようと思いまして」 「俺は書いた方がいいと言ったんですが」  二人はくすくす笑いながら顔を見合わせる。   「……そう。そうか。うん、びっくりしたよ。おめでとう」  幸せそうに微笑み合う二人を前に、何を口に出しているのかもよくわからない。うまく笑顔を作ることはできただろうか。 「フィリルさまの婚約者の方も美しい方とお聞きしました。いつかこちらにおいでになることはあるのでしょうか?」  シルヴィが無邪気な笑顔で聞いてくる。 「シルヴィ、だめだよ」 「あ、そうか。私たちとは身分が違うものね。フィリルさまがあまりにもお優しすぎて忘れていたわ」  僕たちの間には『身分差』という壁がある。  ……どんなに僕がシルヴィを想っても住む世界が交わることはないのだ。  ……想っても? ああ、そうか。僕は……。  目の前の二人が黒いもやでかすみ、見えなくなってしまいそうなほどの衝撃が僕を襲った。僕にも婚約者がいるのに。こんな気持ちは辛いだけなのに。  そうして、僕は心の奥底に蓋をした。
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