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「先輩ってば、そんなこと言ったら奥さんが可哀想ですよ。私、料理下手なんですから」
「いやいや、いつも美味いよ」
さっきから二人の会話に引っかかりを覚える。
朝食も夕食も家では食べていないから、仕事が忙しくて休憩中に食べているんだと思っていたけど、もしかしてこの女性に作ってもらっていたのだとしたら。
前に私が、食べる時間がないならお弁当にしようかと言ったとき、外で食べると言っていた。
次第に遠退く三人の会話。
気づけば夫と玄関まで見送りに行っていた。
「駅まで送っていくよ」
「悪いですよ」
「二人とも逆方向だし女性一人じゃ危ないだろ」
三人が出ていき扉が音を立て閉まる。
黒い何かが心を黒く染め上げていき、玄関から動けないままどのくらいそうしていたのか、リビングに戻り時計を見ると三十分も経っていた。
後片付けをしながら夫の帰りを待ち続けて一時間経つけど帰ってくる気配はない。
駅までは歩きでもこんなに時間はかからないはずなのに、一体どこで何をしているのか。
焦る気持ちを押さえられず夫に電話をする。
数コール鳴ってやっと出た夫に「帰りが遅いけど何かあった」と、冷静を装いながら尋ねれば「急に仕事入ったから」と言われた言葉の向こうで、つい先程まで聞いていた声がかすかに聞こえた。
通話が切れると足から崩れ落ちる。
微かに聞こえた「奥さんから?」と言う声は菜結という女性のもの。
同じ職場なんだから、二人とも残業になったのかもしれないと思い夫の職場に確認すると、残業などないことが判明した。
それも、今日だけじゃない今までも。
突きつけられた現実に、いろんな感情が混ざり合った涙が溢れだす。
夫が『ただいま』を言わなくなったのはいつからだったかかな。
いつからこの場所は、夫が帰る場所ではなくなってしまったのか。
痛み胸を掻き抱くようにして、ただ泣くことしかできなかった。
《完》
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