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木下の警察葬はしめやかに行われた。御霊に黙祷を捧げた後、刑事課時代の上司である警部が追悼の辞を述べた後、同署の仲間達が順番に霊前へと白い花を添えて行った。滞りなく進む中、殺害された木下を最初に発見したチッチの気持ちを考え泡沢は胸が締め付けられた。 刑事ドラマじゃないから仲間が殺された現場に遭遇する事自体、稀だ。 なのに刑事課に配属されて間もない新人のチッチが、それに遭遇してしまった。警部や三田さんくらいのベテランなら気持ちの整理も上手く出来るのかも知れないが、チッチはまだまだ刑事としてはヒヨッコの部類だ。 幾ら交通課にいた時に事件を解決した事があるからと言っても、そこで同期や先輩の死を目の当たりにした事はないのだ。人間の死体さえ数える程しか見た事がないのではないだろうか。 そんな若い女性が首を刺され血が溢れかえる先輩の最後を看取らざる終えなかったのだ。毎夜、その夢にうなされたって不思議じゃない。 あの時は明らかに木下の勇み足が原因だったが、あのような殺され方をした同僚を目の当たりにしたら、俺なら自分を許せ無いだろう。 泡沢は葬儀の最中、自身が取り逃した桜井真緒子の事が頭から離れなかった。田町京太郎殺害事件の時に吉祥寺で遭遇したあの日に、自分がしっかり捕らえていれば木下が死ぬ事はなかったのだ。 悔やんでも仕方がないが、悔やまずにいられなかった。 だが、そんな泡沢をチッチは責める事もせず、気丈に、いつもと同じチッチに徹し続けた。 そんな事は、中々出来る事ではない。 気絶して病院に担ぎ込まれ6時間も意識を失っていた泡沢が目覚めるまで、わざわざ目覚めた時に泡沢が喜ぶだろうと婦人警官の制服まで持ち出し、寄り添ってくれていたのだ。 そして目が覚めた泡沢を励ますかのように、チッチはチンポを握り2回も射精へと導いた。 あの時のチッチは殺害された木下を発見した直後だったというのに……その事も知らず泡沢は呑気にチッチにチンポを委ねていたのだ。 最低と言われても仕方のない行為だった。 あの時、チッチがどんな気持ちで泡沢のチンポを触っていたのか、わかりようもない。木下の死を知った後では、チッチの行動は到底理解出来なかったし、その理由を尋ねる事も出来なかった。 今思えば、チッチは自分の自我を保つ為に普段のように振る舞ったのかも知れない。 そう思う事も、自身を擁護するようで虫唾が走るが、時を戻す事は誰にも出来やしない。この経験は自身が抱えて生きて行かなければならない、汚点であるように泡沢には感じられた。 全署員が献花を終えると、所々から啜り泣く声が聞こえて来た。泡沢もついもらい泣きしそうになるのを堪え、微笑む木下の遺影から目を逸らした。 殉職した刑事は、役職が2階級特進などする事があるが残念な事に木下にその特進は与えられなかった。 その要因は、恐らくあの日の木下の勇み足のせいだろう。木下は単独で先走り、ホシと間違え、泡沢を殴った上に気絶させ、犯人を取り逃してしまったのだ。 勿論、泡沢にもその責任の一旦はある。だが最悪な事は、木下が桜井真緒子に殺害されてしまった事だった。逃しただけなら、再び逮捕するチャンスと巡り合う事が可能かも知れない。だが死んでしまったら、元も子もない。そのせいなのか署の刑事の中には木下の死は自業自得だと陰口を叩く刑事も少なからずいるようだった。 自ら、最低で最悪な結果を引き込んだ木下だったが泡沢にとっては、唯一、現場を共にした同期だった。その分、悲しみもひとしおだった。 生きていれば刑事課から特殊詐欺などの捜査を行う2課に移動が決まっていた木下だったが、この先、呆れる程の馬鹿で正直者が刑事課にいないのはやはり寂しいものになるに違いない。泡沢は再び顔を上げ木下の遺影を遠くから眺めながらそう思った。 献花が終わると再び黙祷が捧げられた。翌日、親族による一般葬がある為、警察関係者は出棺を見送る事なく、順次会場を後にし始めた。その最中、泡沢は無意識にチッチの姿を目で追っていた。数メートル先にその姿を認めだが、ハンカチで顔を押さえ他部署の女性刑事に肩を抱かれ慰められている姿を見てしまうと、とても声などかけられる筈がなかった。 だがそれも今日限りだ。泡沢は敢えて厳しく自分に言い聞かせた。絶望する程の悲しみの渦中にあっても、仮にも俺達は刑事で、人の死と向き合うのが仕事であり、その死が例え人としての尊厳を損なわれていようと刑事は、死者と向き合わなければならない。 泡沢は警部や三田に先に失礼する詫びを入れ、パーキングに止めてある署の専用車の下へと急いだ。
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