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極めて自己中心的な気もしますが、
重子は足利義教の望みを叶える事となりその結果…
西暦1434年12月21日。
足利義教「重子、よくやった!余の子を…男児を産むとは…素晴らしい!」
重子に興味がなかった足利義教ではありましたが長男が産まれた事で…
足利義教「…千也茶丸…。」
今までは正親町三条尹子だけにしか興味がなく全くなかった足利義教の訪れが度々となったのでございます。
重子ではなく自身と重子の間に産まれた千也茶丸に逢いたくて通っているだけではありますが…
正親町三条尹子「殿、
私も殿の子を産みたいのです!」
しかし…
それからは不思議と義教の子は、
産まれなくなりました…。
否、産まれてすぐに命を落とし…
足利義教「どうして傘寿丸と露繁丸は幼くして死んだのだ?」
長男であり千也茶丸以外は成長せず、
次に産まれたのが八千代丸〈後の足利政知〉でございました。
産んだのは…
小菊「申し訳ありませぬ…」
日野重子に仕えていた侍女で小菊。
小菊はこれにより東御方として…
正式に足利義教の側室になりました。
そして…
西暦1436年に産まれたのが、
将菊丸〈=後の足利義政〉でした。
重子は2人の子を産みましたが、
正親町三条尹子は相変わらず寵愛は深いものの子は産まれませんでした。
西暦1439年、
正親町三条尹子にも
ようやく子が産まれました。
正親町三条尹子「殿の子だわ…」
その子の名前は、
歳槻丸
足利義教「そなたとの子が産まれるまで幾年もの年月が掛かったからなぁ。」
その子は後に足利義視となる男児ではありましたが…足利義教は出家させる事にしました。
正親町三条尹子「…出家とは如何な事でございましょうや?他の子らは還俗しておりますのにどうして歳槻のみが出家するのですか?」
くじ引き将軍と侮られぬよう、
万人を恐怖に陥れている足利義教は、
足利義教「御所を標的にされては皆が命を落とすが歳槻が離れた場所におれば7代将軍は健在ではないか?」
念の為に保険を作る事にして…
歳槻丸を出家させたのでした。
それから2年後、足利将軍家の命運は脅かされる事になりました。
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