時、動き出す

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やはり、二人きりで登りたかったのだろうか。ご機嫌斜めだ。それでも、俺と沙耶ちゃんが座ると、彩香もベンチに腰を下ろした。沙耶ちゃんは、風に揺れる木々の音を楽しむように目を閉じていた。 俺が水筒を手渡すと、彩香は受け取りながら、口に含む。だが、ふと俺が沙耶の方を向くと、彩香の視線はそちらを避けるように空を見上げていた。俺は特に気に留めず、沙耶と彩香の顔を交互に見やりながら、静かな時間を過ごしていた。 「もうすぐ、頂上ですね。この山に登るのが夢だったんです」 「そんなんだ」 沙耶の言葉に相槌をうつと、彩香は、どこかよそよそしい感じで、自分の足元の土を眺めていた。 やがて、俺たちはまた歩き出した。 登山道は次第に開け、頂上が見えてきた。眼下に広がる街並みが遠く霞んで見える。 沙耶は頂上に立って満面の笑顔を見せた。 「ありがとう、お兄さん。私、バレないように偽名を使っていたけど、本当の名前は渡辺陽奈」 俺は本人の顔を見たのは初めてだったが、その名前を忘れるわけがなかった。 「渡辺陽奈って言えば、凛と一緒に事故で死んだ女子高生じゃないか」
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