竜と花嫁

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「ラグノリアの民に、幸多からんことを」  男の声と共に、シェイラは強く抱き寄せられた。驚きに小さく悲鳴をあげたものの、次の瞬間には青い竜の背中に乗っていた。 「掴まっていろ」  竜が、ちらりとシェイラを振り返ってそう言う。その声は先程まで目の前にいた男のものと同じで、この竜が彼であることを教えてくれる。  恐る恐るたてがみを掴んだシェイラを確認して、竜はすぅっと浮かんだ。まるで別れを告げろとでも言うように広場を一周したあと、空高く飛び上がって地上がみるみるうちに遠くなる。 「お姉様……!」  微かにマリエルの声が聞こえたような気がして、シェイラは思わず身を乗り出した。 「落ちるぞ」  短く注意されて、シェイラは慌てて身体を引っ込める。遥か下の方に見える青い光は、マリエルの持った杖だろうか。もう会うことのない妹の幸せを祈って、シェイラはそっと胸に手を当てた。  竜はすごい速さでどんどん空高く飛んでいく。振り落とされないように両手でたてがみを掴んでいるものの、乗り心地は案外悪くない。顔に当たる風は冷たく凍えそうなほどだけど、マントに包まれた身体はほっこりと暖かい。 「雲を抜けるから、少し目を閉じていろ」  ちらりと振り返った金の眼が、シェイラを確認するように見つめる。人の姿をしていた時も今も、獲物を狙うかのような冷たい光をしているのに、何故か怖くない。言われた通り目を閉じると、目蓋の裏に二つの月のような金色が残った。  ぶわりといっそう強い風が顔に当たるのを感じて、シェイラは更に強く目を閉じる。だけどそれも一瞬のことで、風が止んだと思ったら、明らかに空気が変わったことに気づく。頬を撫でる空気は柔らかく、先程までの冷たさが嘘のようだ。 「もう、いいぞ」  その声に恐る恐る目を開けたシェイラは、目の前に広がる光景に思わず息をのんだ。  見渡す限りの青空の中、宙に浮かぶ巨大な都市。木々に囲まれた都市の中心部にはいくつもの立派な建物が見えて、そこから時折竜が空に向かって飛び立っていくのが見える。生まれ育ったラグノリア王国よりも遥かに大きなその空中都市に、シェイラは見惚れる。 「すごい……、綺麗」  ため息のような声を漏らすと、竜が微かに笑ったような気がした。 「我が竜族の国、ドレージアへようこそ」  その声は優しくて、まるで歓迎されているかのように思ってしまいそうだ。ふいにこみ上げた涙を吹きつける風のせいにして、シェイラは何度か瞬きを繰り返す。  泣きそうになったことに気づいたのか、竜はシェイラを振り返ると微かに眼を細めた。 「そういえば、名前を聞いてなかったな。俺は、イーヴだ」 「イーヴさん」  思わず復唱するように名前を呼ぶと、竜は鼻息ではふっと小さく笑った。 「イーヴでいい。それで、俺は何と呼べばいい」 「あ、私は……シェイラ、です」 「シェイラか。いい名前だ」  竜が――イーヴが優しい声でそう言う。  名前を褒めてもらったのなんて生まれて初めてで、胸が苦しいほどに嬉しくなる。ほとんど誰にも呼ばれることのなかった名前が、急に大切なものになったような気がした。  今までシェイラの世界は自室の中がほとんど全てで、こんなにも遠くまで広がる景色を見たことがない。  喰われる前にいいものを見せてもらえたなと、シェイラは美しい光景を目に焼きつけるように見つめた。 
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