約束の線香花火

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約束の線香花火

 私たちは高校卒業を機に別々の道を歩いていった。  高校三年の夏休み、模擬試験や夏期講習の合間を縫ってささやかな花火会をしたのを今も覚えている。 「火に近づけすぎんでよ。ああまた消えた」 「ねえねえ次何やるう?」 「線香花火競争しようよ」  線香花火に同時に火をつけて一番最後まで残っていた人が勝ち。そんなルールで三人輪になってしゃがみ、じっと線香花火を見つめていたのを今も覚えている。  小さなオレンジ色がぱちぱちと花開くのに夢中だったのはちいちゃん、最初に脱落して悔しがっていたのはエッちゃん。私は、こうして毎年遊ぶのはこれが最後かもしれないと思って涙ぐんでしまい、煙が目にしみたと嘘をついた。 「またやろうねぇ」  なんでもない事のようにちいちゃんが言う。これからも、とか来年も、なんて嘘になりそうな前置きはなく、いつかなんて不確かさもない。  気楽で確かな誓いを、私たちはずっと覚えていた。 ・悦子さんが入室しました ・笑梨依(えりー)さんが入室しました ・キヨさんが入室しました ・清星(きよら)さんが入室しました 「地味」  再開の約束を果たしたというのにエッちゃんは開口一番容赦なかった。私は昔から引っ込み思案な質でおしゃれなんて縁がなかったけれど人並みに興味があったのだ。ぐずぐず思い悩む私も子どもだったし、そんな私を毒舌でやりこめるエッちゃんも子どもだった。彼女の一言で一気に時間が巻き戻ったような気もしたけど生憎今の私は年金暮らしのババアだ。ぐずぐず泣き言を言うほどかわいくはない。 「ありのままの自分が一番しっくりくるのよ。若作りすると虚しくなるじゃない」  見せつけるようにその場でくるりと回る――ように念じる。  数十年ぶりの女子会は仮想空間で行われた。うちの孫が脳波を読み取って文章に変換する形の最新コミュニティのテスターに選ばれたらしい。それなら若者が楽しめばいいだろうと思うが、手足や頭の機能が衰えた状態でも不都合なくコミュニケーションを図れるかデータがほしいと先方が希望したらしい。  生身の私は自宅のソファに座っている。ヘッドセットが私の脳波を読み取り、指一本動かさないままアバターが動き、話している。  私のアバターは肩までの白髪に空色のインナーカラーを入れた老女型で、朝顔柄の浴衣姿。エッちゃんも浴衣姿だけれどこちらはランダムに色を変えるパステルカラーだし顔も孫のアバターと同年代に見える。会話アイコンがなければどちらがエッちゃんでどちらが付き添いの孫だか分からないところだ。 「お、言うようになったな」  美少女顔のエッちゃんが小首を傾げてにっこり微笑み、滑らかな額に怒りマークが浮かんで消える。私は汗の飛沫マークを表示させつつその場にしゃがみこんだ。 「助けてー不良娘が善良な老婆をいじめるー」 「おばあちゃん不良だったの? 古文の授業で見た『スケボー』ってやつ?」  エッちゃんの孫が後ずさった。 「それいうなら『スケバン』だと思います」 「ババアの寝言を真に受けんじゃない」  私の孫が苦笑し、エッちゃんが肩を落として孫二人に指を突きつけた。 「いいかい、スケバンはウチらが生まれる前の不良だしあたしは不良じゃなくて品行方正な文学少女。不良なのはむしろそっちのババアだ、体育以外全部ダメな遅刻常習犯」 「えっ」  今度は私の孫が後ずさる。さりげなくひとの黒歴史を暴露しやがってこのババア。エッちゃんは確かに品行方正な文学少女で通ってたけど、嘘ではないけど、推しCPの二次創作を書きまくっていたのを私は知っている。別々の大学に進学してからは原稿の手伝いだの作業通話だのに付き合ってあげたというのに。確か当時のペンネームは『焔樹(えんじぇ)りい』―― 「やかましいわ」  思考が漏れていたらしい。エッちゃんが私を蹴り倒した。痛みなんてないけれど急に視界が回って画面酔いを起こす。皆に断ってからいったんゴーグルを外して深呼吸。 「大丈夫ですか」  対面のソファに座る医師が腰を上げかけた。年を取れば不調なんて日常茶飯事で、それに比べれば大したことない。大丈夫と言いかけて思い直した。  今の私はテスターなのだ。気づいた事があれば何でも言わないと迷惑だろう。  「ちょっと画面酔いしたみたい。アバターが蹴り倒されたの」 「画面がリアルなのも考えものですね。ご意見ありがとうございます」  若い医師はぺこりと頭を下げてタブレットに何か入力し始めた。  もう一度ヘッドセットを装着すると仮想空間の中で孫とエッちゃんが高速トークを繰り広げていた。現実空間に戻っていたのはほんの少しのはずなのにどうしてそうなったのか。仮想空間の時間の流れは現実と違うのか。戸惑う私にエッちゃんの孫が会話ログを出してくれる。 「マジで本物の焔樹りい先生⁉ こないだSNSでご本見ましたすっごいエモで原作もアーカイブで一気見したんです!」 「あらやだ、きよちゃんのお孫さんに見られるなんてねえ」  なるほど推し活。孫の推しが友達なんてちょっと複雑。 ・Tiffany さんが入室しました ・姫冠(てぃあら)さんが入室しました   「お邪魔します」  ちいちゃんの孫がぺこりと頭を下げた。孫はウサ耳をつけた中性的な美形で執事の格好。ちいちゃんは――私の記憶そっくりの姿。高校三年のちいちゃんが母校の夏服姿で、孫の後ろでぼうっと立ち尽くしている。 「ひさしぶりねぇ」  エッちゃんが話しかけても返事がない。孫が肩を叩いても同様だ。誇張もデフォルメもないからその無言は奇妙で、嫌な違和感がじわじわと胸ににじんでくる。  最後に連絡を取りあったのはいつだろう。  生身の彼女たちに会ったのはもう何十年も前。私たちはどこか不調を抱えているのが当たり前で、ベッドじゃなく棺桶で眠るようになる日もそう遠くない。だから何となく相手の体調に言及しないでおいたけれど――ひょっとしてちいちゃんはもう、脳波を読みとれないくらい駄目なんだろうか。 「ちょっと調整お願いしてみます」  ウサ耳執事がそう言ったきり動きを止めた。さっきの私と同じように機械を外して誰かに相談していたのだろう。数分するとちいちゃんもその孫も動き出した。  うちの高校で一番可愛いと評判だったちいちゃん。名前の通り冠が似合うお姫様。小さい頃は舌足らずで、自分の名前をうまく発音できなかったから私たちは「ちいちゃん」と呼んでいた、甘えん坊の皮を被ったしっかり者の姫冠(てぃあら)ちゃん。 「おはよぉ」  間延びした喋り方はまぎれもなくちいちゃんだった。 「ごめんねぇ? あたしすぐ寝ちゃうかもぉ。そんでねえ、きっと」  小首を傾げた愛らしい笑顔で、私たちのお姫様は、 「もうおしまい。今は人工呼吸器でどうにかしてるけどねぇ」  気楽に確かに、どうしようもない現実を告げた。 「だからどうしてもエッちゃんときよちゃんに会いたかったんだぁ。線香花火、約束だもん」  愛らしい女子高生のアバターは、かつて高校生だった頃の私たちでは浮かべようのない――自分の命の終わりを悟った清々しい笑みを浮かべていた。  私はエッちゃんと視線を交わした。エッちゃんが私の脛を軽く蹴り、私のアカウントだけに向けて「さっきみたいなヘマすんなよ」とメッセージを送ってくる。  私は設定ウインドウを開き、脳波読み取りの設定バーを『小』に寄せた。心のうちをなんでもかんでもさらけ出していたらきっと、線香花火どころではなくなってしまう。  私たちは笑って、ちいちゃんに頷きを返した。 「それじゃ、あとはごゆっくり」  私の孫が手元にウインドウを浮かび上がらせると、私たちの前に木の引き戸が現れた。 「おばあちゃん達用のチャットルーム。簡単なゲームとかバーチャル線香花火もあるって」 「ありがと。じゃあ若いもの同士もごゆっくり」  そうして私たちは引き戸の向こうに足を進めた。  昭和めいた木造校舎の廊下が続く。いくらなんでも私らをババア扱いしすぎじゃないかと思うが、エッちゃんいわく今の若者にはこういうのが受けるらしい。 「時代についていけない……」 「同意」 「あたしも孫の名前聞いた時びっくりしたわぁ」   ババアらしくうなだれる私こと清星(きよら)、孫の名前はきよ。  腕組みするエッちゃんこと笑梨依(えりー)、孫の名前は悦子。  けらけら笑うちいちゃんこと姫冠(てぃあら)、孫の名前はTiffany 。  法律が変わり、名前に使える文字にアルファベットが加わったのが今から30年前。多様性の尊重だとか言われているいっぽうそれぞれの国の良さを大事にしようといって自分の国内に目を向ける動きもあり。私たちみたいなキラキラネームがからかわれていたのが嘘みたいで、英語の名前と昭和かそれより前の時代の名前が混在する時代だ。  これから世界はどうなっていくんだろうなんて心配は確かにある。  けれど私たちは小娘のように声をあげて笑い、最後の扉を開け放った。  バーチャル線香花火の舞台は蛍飛び交う夜の水辺。  最高のロケーションで最後の思い出を作るなら、最高の気分でいたい。 「――じゃあ、競争しよっか」
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