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愛らしさを形作るもの
まっすぐな折り目のついたプリーツスカート、風になびく白いリボン。少女らしいといえばこの上なく少女らしい姿を受け継ぐのだと、そう疑いもしなかった。
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「ごめんねえ。今回ばかりはどうしようもないわあ」
隣のおばあちゃんが頬に手を当て、ため息をついてみせた。『ごめんね』と言いつつもその声はどこか嬉しそうに弾む。
遠くでウグイスの下手くそな鳴き声がした。うちの玄関でママと立ち話するおばあちゃんはフリースの上着を羽織っているけれど、家庭菜園の隅をタンポポが控えめに彩っている。
「本当にあっという間ねえ。ちょっと前までランドセル背負ってた鷹音ちゃんがもう中学生。うちの深月が女子高生だもの」
「春休み、宿題がないからって手伝いもせずダラダラしてるんですよ」
おばあちゃんとママがけらけら笑う。隣のおばあちゃんや深月お姉ちゃんの事は好きだけど、私をネタにした世間話を聞くのは何となく居心地が悪い。私はおばあちゃんにちょっとだけ頭を下げて、二階の自分の部屋に引っ込んだ。
開けっ放しのクローゼットには制服と通学カバンが掛かっている。重くて頑丈なランドセルに慣れていたから、リュックサックに教科書やノートを入れて持ち運ぶというのがいまだに信じられない。
それより何より新品の制服だ。
私が四月から通う中学校は今年度から制服のデザインを一新した。学ランとセーラー服からブレザーへ。しかも女子はスカートとパンツ両方選べる。私の周りの女子は両方揃えるというから私も、スカートとパンツ一着ずつを注目してもらった。
私がパンツを履くのか。
深月お姉ちゃんのお下がりじゃないものを私が着るのか。
クローゼットに仕舞われた透け素材のカーディガンもパステルカラーの肩あきフリルシャツも、私が着ていたものはだいたい女の子らしいデザインで、深月ちゃんのお下がりなのに。
家がお隣で親同士も仲がいいから、それこそ私が赤ん坊の頃からおもちゃや服は深月ちゃんのお下がりだった。深月ちゃんは女の子らしいものがよく似合う可愛い子だし、ママが趣味で作るハンドメイドアクセサリーが深月ちゃんやその家族に好評だから特に何も問題はないと思う。
私が着ても深月ちゃんほど可愛く思えないという一点を除けば。
もっと小さい頃は深月ちゃんくらい大きくなればきっと似合うと信じていた。私と深月ちゃんを隔てる三年という差が埋まる事はないのだと気づいた頃には『深月ちゃんみたいに可愛い系』という枠を自分で壊すのも今さら面倒、という惰性で服を選ぶようになっていた。
ため息をつく私の視界に赤いものがよぎる。
まっすぐ私めがけて飛んでくる、矢。
先端の吸盤がガラス窓にへばりつく。
突然の狙撃ももはやルーチンワークで、私はベランダに出てプラスチック製の矢を回収した。二メートルくらいの距離を隔てた向こうで長い黒髪の美少女がおもちゃの弓を構えて笑う。
「鷹音ちゃん、制服届いた?」
「昨日。深月ちゃんは?」
「明日だってさ」
スマホを持つのはまだ早いと言われているから、深月ちゃんと話すのはいつだって対面だ。遊びに行くのが面倒なときのコミュニケーションツールだといって深月ちゃんがおもちゃの弓矢をもってきたのは私が小学三年生の頃。最初こそうまく飛ばなくて矢を何度も落としたけれど、今やお互い百発百中の腕前だ。
昔のマンガみたいなやりとりを大真面目にするのは冷静に考えるとばかみたいだ。でも清楚系アイドルみたいな深月ちゃんが真剣な眼差しで弓を構えるのが好きだから、こんなやりとりが今でも続いている。
「うちもあと一年遅く生まれてたらなー。着たかったなー」
「深月ちゃんの高校もブレザーでしょ。一緒じゃない」
「スカート一択だし」
深月ちゃんが出窓に頬杖をつく。
「見たい。鷹音ちゃんの制服姿。パンツのほう」
「ええー……」
「お願いします!」
両手を合わせて拝むはずみで黒髪がさらりと流れた。白く細い指。つやつやの爪。そういったものに目を奪われるうちについ頷いてしまう。
カーテンを閉めて制服を取り出す。ブラウスに着替えるのは面倒だと思ったけれど弓を射る深月ちゃんの視線を思い出すと自然と手がブラウスに伸びた。
パパの背広やワイシャツにちょっと似ている硬い手触り。
中休みとか昼休みに友達と遊ぶには向かない格好。
『小学生の私』という殻を破るようだ。
そんな違和感もパンツに脚を通すとちょっと和らぐ。スカートの脚がすうすうする感触が苦手な私はいつもショートパンツやレギンスを重ねていたから。
リボンとネクタイ、迷ったうえでネクタイ(もう結んであるものを引っ掛けるだけ。よかった)を選んだ。着替えで乱れた髪を結び直し姿見で全身をチェックすると恐る恐るカーテンを開く。
「どう、かな」
「可愛い! 可愛い!」
二回言われた。
紺色のブレザーやパンツに男装といった感じはない。体の線を目立たせないけれど男子が着たらなんか違和感があるというか。深月ちゃんみたいなスタイルとは絶対違うのに、これはこれで可愛いというのがちょっと意外だった。
「明日はうちの制服届くんだよ。こっち着て、ちょっと取り替えっこしてみない」
「どんだけ着たいの」
「着たいよ。だってさ」
私にとって可愛いという言葉は深月ちゃんの存在とイコールだった。
「制服の鷹音ちゃんが可愛いから、パンツスタイルもやってみたくなったんだ」
その深月ちゃんが頬杖をついて、うっとりした眼差しを私に向ける。
赤い矢はベッドの上にほったらかし。なのに私の心臓は何かに撃ち抜かれたみたいに飛び上がる。
私はクラスの中では背が高いほうだし深月ちゃんは小柄なほう。つまり私たちの背格好はほぼ変わらない。どきどきする胸やぐらぐらする頭では、断る言い訳なんて思いつくはずもなかった。
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