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【二】営業の田畑さん
「ほな、行ってきますぅ~。」
「行ってらっしゃ~い。気ぃ付けて。」
営業の田畑さんは、高校生と中学生の息子さんを持つ四十代。中学校から野球をやっていたらしく、ガタイはいいが、気の良いおっちゃんである。
田畑さんは、営業から帰ってくると、
「お邪魔しまんにゃわぁ~。」
と言って、事務所に入ってきた。
俺よりちょっと上の世代の人らはコケるふりをするが、正直俺にはそれが何のことかわからない。
(えっ。「ただいま」じゃなくて、「おじゃま、しまん、にゃわ。」って、ナニ。で、なんでみんなコケてんの。ナニ、コレ。何の儀式。)
戸惑う俺を見た経理の宮越さんが、
「あれな。新喜劇で竜じい*がやっててん。」
と教えてくれたけど、俺にはまず「竜じい」がわからない。俺は、関西出身ではないし、その『新喜劇』とやらいうものを観たことがないからだ。
ある時は、
「ごめんやして、遅れやして、ごめんやっしゃ~。**」
と言いながら、営業先から帰ってきた田畑さんが入ってきた。またみんな、コケるふりをする。
「もぅ~、田畑さん。調子狂うやんかぁ~。」
なんて言いながら、みんな楽しそうだ。
でも、俺は知らないから、またボーッと見てしまった。
俺のそんな様子を見た田畑さんは、笑いながら
「そうか、自分、『新喜劇』観たことないんか。いっぺんNGKに連れてったろか。」
と俺に言った。
「あ、はい。いつか。お願いします。」
と返したら、
「よっしゃ。いっぺん休みの日に行こ。」
と、田畑さんがにこやかに言ってくれたけど、正直、どっちでも良かった。
でも、それは叶わなかった。
田畑さんは、その二か月後、営業先からの帰りに倒れて救急車で運ばれて入院し、そのまま会社に戻ってくることはなかったからだ。
こんなことなら、すぐに新喜劇観に連れてもらえるようにお願いすれば良かった。
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竜じい*:吉本新喜劇の井上竜夫(故人)。主なギャグは「おじゃましまんにゃわ~」。
ごめんやして、おくれやして、ごめんやっしゃ~。**:吉本新喜劇の末成映薫(由美)の有名なギャグの一つ。他にも色んなギャグを持つ。
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