ナミの音、そこに

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「夏が終わるね」 と言おうとして、私はその言葉を飲み込んだ。 夏が終わる。 それは。私が、 私の世界に帰らなくてはいけないということ。 夏が終わる。 最後の抵抗の様に ナミを聴きにやって来た、今日もという日も、 明日になれば、 まるで砂浜につけた足跡のようにナミに洗われ、 崩れて溶けて消えていくのだろう。 あんなにはっきり陰影をつけて、 一歩一歩踏みしめて、 慎重に慎重につけた足跡なのに、 打ち寄せたナミが、 ザザーザザーと、 チャプンチャプンと グチャングチャンと。 そしてたまにザザザザーと 少し大きなナミがきて、 引き潮がシャーーーと小気味よく 笑って足跡を消していく。 「また、つけなよ」 と簡単に言うけど…… そんな簡単じゃないんだよ。 あなたと私とでは住んでいる場所が違う。 私は帰らなきゃ。分かってる? 「ちゃんと帰れそう?」 その一言に眩暈がする。 私が聞きたい。 私自身に。 どう?  ちゃんと帰れそう? ……わかんないよね。そんなこと。 それに、そんな心配、私になげると…… フゥとため息。 ……でもね。 やっぱり、住む世界が違うから。 見えてる物が違う、 感じてる物が違う、 時間が違う、 違う。 ……もう、帰らなきゃ。 私は、思い切って、口を開いて、 「帰るね」と言葉を発した。 だけど、乾き切った唇の隙間から もれた言葉は音にならず、 風に流れていった。 それでも、耳には届いたのだろう いつもと変わらぬナミの音を 無邪気に笑顔で返してくる。 この笑顔が全ての答えなんだろう。 何も始まってはいない、 だから終わりもない。 そんなのは分かっている。 だって世界が違うのだ。 私は立ち寄っただけ。 それでも、今。 今だけ。 このナミの音だけを聴いている刻は、 あなたとの世界が交わっている。 交差した世界はこの一点。 ただ一点。 ここから離れれば離れるほど、 どこに向かっていったとしても、 互いの世界は遠くなる。 絶え間なく聞こえるナミのおと。 容赦なく押し寄せるナミのおと。 砂浜をかき乱し、 チャプチャプと余計なものを泡だたせ、 そして、サーと静かに全てを持ちさってしまう。 何度も何度も、 規則的に、 不規則に。 これが浄化というのなら、 それもいいのだろうけど、 いったいこの心が、 この白い砂浜の様になるまでに どれほどの時間がかかるのか? せめて永遠とは言わねども、 もう少しこのままの時間が欲しいのに、 ……夏の終わりは待ってくれない。 「帰りたくないよ」 霧散しそうだ。 強がって冗談でも言えれば、 まだ自分を保てるだろうに。 無防備な言葉が、 こぼれてしまった。 全てを投げ捨て残るという選択肢は、 自分で選べるはずなのに、 同化するのが怖くて、 戻れなくなるのが怖くて、 選ぶことができなかった。 世界が違うことを、恨めしいと思う。 帰る場所がここならいいのに。 そうすれば、 「ただいま」といって飛び込めるだろう。 すべての恐れと、虚無感と、失望が、 溶けてナミに流されていくのだろう。 でも、それでも、やはり私は帰るのだ。 住む世界が違うから。 私は帰らなくてはならない。 車が走り出す。 ナミの音が小さくなる。 ナミの音が小さくなるのは、 あなたが遠ざかっていくのではなく、 私が日常に戻るから。 ナミの音の聞こえなくなった場所で。 「ただいま」と呟いてホッとする私。 悲しいくも。 私の世界はここなのだ。 ナミの音の聞こえない場所で、 引いては寄せるあこがれと、 引いては寄せる羨望と、 恐怖と、失望と、虚無感と ないまぜになって打ち寄せる。 いつかは、この場所ではなく。 あの場所で、 「ただいま」と言えるだろうか? ただ、ナミの音を聴きながら、 「ただいま」と無邪気に言える日は来るのだろうか? きっと、遠く離れたあの場所には、 ただ変わらないナミの音だけがある。 「ただいま」と飛び込める日は来るのだろうか? Fin
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