遠距離生活

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「じゃあ行ってくるね」 「お気をつけて」  いつものように笑顔で見送ることはできただろうか――、と心配になりながらも、私は荷物を抱えた彼の背中を見えなくなるまで見つめていた。  医師として働く彼が初めて海外での研究をしないかと教授に誘われたと知り、私も一緒に渡航したかった――。  彼の傍で支え続けたかった――。だけどそれを断念したのは私自身にも仕事があったから。  そしてその決断をしたのも――私自身。  彼は少し寂しそうだったけれど、私の気持ちも察していたようで快く受け止めてくれた。 「研究が順調にいけば1年くらいで帰れるから」  そう――、1年なんてあっという間よ。  なんて、あの時の私は楽観的だった――。  ❖*❖*❖ 「先輩~、一緒に行かなくて良かったんですか?後悔してませんか?」 「してないわ」 「むぅ……。院内でも有名なカップルが離れ離れなんて寂しいじゃないですかぁ」 「そんなことを心配してる暇があるなら、頼みたいことがあるんだけど?」 「うぇっ……。そう言えば担当患者さんの点滴更新があったんでした~」  慌てて立ち上がり、処置室へと足早に向かう後輩の背を見ながら私は今日何度目かの溜め息を吐いた。勿論、回りには気付かれないように……。  彼と私はいわば職場恋愛――。  初めて会った時、彼は研修医として私が勤める救急センターに来ていた。  鳴りやまない受け入れ要請の電話(ホットライン)に対応しつつ、駆け込み(ウォークイン)で来られる患者さんの対応をしたりと、忙しい中でも一生懸命上の先生と相談しながら命と関わっていた……。と言っても、私自身そこまで覚えておらず、後輩が楽しそうに話していたことだけは覚えている。 「あの先生、きっと先輩のこと好きですよ!」 「やっぱりそう思う?私もそんな気がしてたんだ」 「……思い違いじゃないの?私、先生とまともに話したことないけど」 「んもう!これだからまともな恋愛ができないんですよ!」 「……恋愛ねぇ」 「まさかだと思うけど、疑似恋愛で満足してないでしょうね」 「それも恋愛の1つなのでは?」 「あぁ……こりゃだめだ」  救急の現場には波があり、繁忙期にはひっきりなしに患者さんが訪れ、閑散期には静かになるのが特徴的だ。何事もなく流れる時間の中で、他愛無い会話をすることも関係性を築く上で必要なこと――。という名目で、後輩看護師はよく研修医と飲みに行くことが多く、そこで得た情報を私たちにも教えてくれていた。無論、私たちのことも言われているに違いない。  年度末を迎えたある日、私は救急の現場からもともと希望をしていた集中治療室(ICU)へ異動することになった。  救急センター最後の日――。その日は朝から忙しく、医師も看護師も忙しなく働いていた。あっという間に終業時間を迎え、私が荷物をまとめていたときだった。師長に呼ばれセンターへ向かうと、出勤スタッフ全員で円陣を組み私を迎え入れてくれた。その円陣の中心には、大きな花束を持った研修医、沖野賢人(おきのけんと)さんの姿があった。 「救急センターでの勤務、お疲れ様でした」  師長の掛け声の後、周りから盛大な拍手を受けた私はその足で円陣の中へと入って行った。 「皆さん、ありがとうございます」  ペコペコとお辞儀をしながら賢人さんの方へと近づき、向き合う形で彼から花束を渡されるのを待っていた。  拍手が一旦鳴り止み、静かになったところで緊張しながら彼は――。 「救急センターでの勤務お疲れ様でした」 「ありがとうございます」 「僕は研修医という立場でまだまだ頼りないかもしれませんが、日生梨美香(ひなせりみか)さんと人生を共に歩みたいと思っております」 「……っ!?」 「ひゅ~公開プロポーズじゃん!」 「僕と!結婚してください!」  そう、私たち夫婦は言わば交際ゼロ日婚――。  私もあの時なぜ返事をOKにしたのか覚えていないけれど、流れに流されまくったからかもしれない。でも、彼は私には勿体ないくらい良い人だった。両親も私たちの結婚を喜んでくれた。まぁ、私にいつまでもそんな色恋沙汰がなかった分、心配していたみたい……。安心してあの世に逝けるわ、と言いながら笑っていた。  私と彼とでは歳が8つも違うけど、そんなことは気にしていない彼が好き。  一生懸命何事にも挑戦する彼が好き。  私の推し活に付き合ってくれる彼が好き。  私の働く環境が変わり、疲れているときに優しく肩を揉んでくれる彼が好き。  美味しいごはんを作ってくれる彼が好き。  日に日に私は彼のことが大好きになっていった。  いつか子どもができるといいね、なんて話をして早2年――。  自然妊娠はできず、不妊治療を始めることにしたのだけれど……。これが思いの外、私の身体に負担がかかっていた。仕事をしながら妊活をすることが身体的にも、精神的にもしんどくなった私を見ていた彼が、「一旦休もう」と言ってくれた。その言葉が救いとなり、私はより一層仕事に専念できるようになった。  そうしてまた更に年月が過ぎ――。  彼は研究のため、アメリカへと渡った。  彼と離れる生活が始まった頃、気になるニュースが飛び込んできた。  『新型コロナウイルス』の世界的な感染拡大――。  日本に入ってくるのも時間の問題と言われる中、医療物資が枯渇する事態に陥った。それは他の病院でも同じように起こり、マスク、ガウン、手袋……、患者さんと接する上で必要不可欠な物品が無くなり始めた。これは日本に限った話ではなく、海外でも猛威を振るう感染症は世界各国に広がりをみせた。 「アメリカでも大変みたい……梨美香の病院は大丈夫?」 「今のところは大丈夫だよ。けど、この病院もコロナの患者さんを受け入れる準備が始まってるし、入院されるのも時間の問題かな……」 「まだ治療法がわからないからね……。気を付けて」 「ありがとう。賢人さんも気を付けてね」 「うん」  時差の関係や研究の邪魔とならない時間を見計らって私たちは電話で話をし、近況報告をしていた。始めのうちはそれで満足していた私だったけど、日を追うごとに電話をする時間もなく、ただただ忙しい毎日を過ごしていた。集中治療室(ICU)に運び込まれる患者さんの半数以上はコロナウイルスに命を奪われ、ウイルスが体内に残っていることで家族の方にも感染(うつ)る可能性があることから最期の別れもできずに火葬場へと送られていた。そんな現場で働くうちに、私自身も看護師を辞めたいと何度も思うことがあった。でも、彼も遠い地で頑張っていると思うと、不思議と私も頑張れる気がしていた。  色々な事を乗り越え――気づけば3年の月日が流れていた。  国際線到着口――。  もうすぐ彼に会える。高鳴る鼓動を抑えることはできず、今か今かと私は待っていた。 「あっ!」  最愛の彼を見つけるのに時間はかからなかった。 「賢人~」  大きな声で叫びながら手を振る私を見つけて満面の笑みを見せたかと思うと、近づいて来るうちにだんだんと目を見開き、驚いたような表情をしていた。それもそっか――。 「賢人、おかえり」 「……う、うん。……ただいま」 「ほぅら。ご挨拶は?」 「せーの。おとうしゃん、おかえりなしゃい」  私の両隣には双子の娘たち。 「梨美香……その子たち」 「私たちの子よ。積もる話は家に帰ってからにしましょ」 「……そうだね」  何から話そうかな。  貴方がアメリカに行ってすぐに妊娠していることがわかったことでしょ、それから妊婦でコロナに感染してまったことでしょ、産まれるまで性別がわからなかったことでしょ、難産だったことでしょ……。    貴方に話すことがいっぱいあるわ。これからたっぷり時間をかけて離れていた時間(とき)のことを話そうね。
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