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剣山。
徳島県三好市東祖谷、美馬市屋平、那賀郡那賀町木沢の間に位置する標高1955mの山である。
徳島県の最高峰であり、県のシンボルとされている。
俺は今、その剣山を登っている。
剣山はリフトを使えば標高1750mまで一気に上ることができ、初心者向けの遊歩道コースを行けば山頂まで1時間少々でいける。
だが、俺はそのルートを使わず、最難関と言われる行場コースを進んでいる。
わざわざこの難しいコースを上っている理由は25年前の親友との約束を果たすためだった。
25年前。
俺、南條賢治と、親友の河原惣一はこの剣山に登った。
そして、この行場コースから数百メートルほど離れた林の中にタイムカプセルを埋めたのだ。
「はぁ、はぁ、終わったなー」
俺はタイムカプセルを埋めた地面にスコップを突き立て、息を切らしながらそう言った。
「ああ、長年の夢が叶った」
地面に腰を下ろし、息を切らしながら惣一が満面の笑顔で応えた。
「おいおい、確かに、夢は叶ったかもしれないが、25年後に掘り返すまでがセットだぞ」
俺がそうたしなめると、惣一が地面に大の字に寝っ転がった。
「ああ、そうだったな……25年かー……長いなー……」
「ああ、長いなー……」
俺も同じように地面に寝っ転がった。
林の木々の隙間から、青い空が目に飛び込んでくる。
その日の空は、雲一つなく、澄み渡っていた。
俺と惣一は、二十代前半の頃に、とある病院の待合で知り合った。
同じ先生の外来に通院しており、何度も待合で一緒になるので、お互い顔を覚えており、あるとき俺の方から話しかけた。
偶然にも同い年で、さらに驚いたことに、同じ病気を抱えていた。
俺達の病気の有病率は0.2%と言われており、同じ外来に通っているとはいえ、そうそう出くわすものじゃない。
しかも、俺達の主治医に言わせると、俺達はその病気の中でもさらに特殊で珍しいタイプだったらしい。
男同士ですこし気持ち悪い話だが、俺達は互いに運命めいたものを感じ、やがて親友になった。
互いの生い立ち、家族、学生生活、今の仕事、全てを話した。
そして、お互いの夢も……
俺達は長い間、同じ夢を抱いていたのだ。
二人が出会ったのは運命だと確信した俺達は、夢を現実にしようと誓い、夢に向かって動き出した。
そして、夢は叶った。
俺達はその成果をタイムカプセルとして剣山に埋め、25年後に掘り返そうと約束したのだった。
だが、惣一はタイムカプセルを埋めた10年後に死んだ。
死因は自殺だった。
俺達の病気は極めて難治性なのだが、惣一は治療のかいあって、改善していっていた。
なのに死んだ……
いや……
だからこそ死んだと言うべきか……
アイツは俺に何も言わずに死んだが、きっとあのニュースがショックだったのだろう。
正直、俺もどうしようかと悩んだが、俺は生きることにした。
少なくとも、当初の予定通り、25年後にあのタイムカプセルを掘り返して、それから決めようと思ったのだ。
そして、それが今日だ。
俺は、登山道から離れた林の中を歩いている。
25年も経っているのに、どこに埋めたか鮮明に覚えていた。
その場の土の色は、埋めた痕跡などわからないくらい周囲に溶け込んでいるのに、そこに埋めたとはっきりと分かった。
俺はあの日と同じようにスコップを地面に突き立て、地面を掘り返した。
あの日と違い、惣一はもういない……
全て、一人でやらなければならない……
だが、不思議と疲れなかった……
惣一がこの場にいて、俺に力を与えてくれている……
馬鹿馬鹿しい話だが、なんとなく俺はそう感じたのだった。
一時間ほどして、目的のものが土の奥から現れた。
白い人間の頭蓋骨が……
その頭蓋骨を見て、俺はあの日と同じように満面の笑みを浮かべた。
俺と惣一の夢……
それは人を殺すこと……
俺達二人の病名は反社会性パーソナリティ障害だった。
それもただの反社会性パーソナリティ障害ではない。
俺達はその中でも、高いIQと強い殺人衝動を持ち合わせた特殊型だった。
俺達は互いに殺人を夢見ていることを知り、殺人を実行に移すことにした。
相手は誰でも良かった。
ただ、安全かつ確実に殺せればそれで良かった。
俺達は、失踪しても誰も不思議に思わないし、探しもしないような独り身のチンピラに狙いを定めた。
その男に近づき親しくなった。
その男が、一生に一度は故郷の最高峰、剣山に登ってみたいというので、剣山におびき出して殺すことにした。
目撃を避けるため、登山者が少ない最難関の行場コースを選び、「地元の者しか知らない裏道がある」と言って、この林に誘い出し、スコップで撲殺した。
俺も、惣一も最高の気分だった。
子どもの頃からの夢が叶ったのだ。
人生最高の瞬間だった。
だが、俺達の計画は殺してそれで終わりではなかった。
法の裁きをかいくぐる完全犯罪。
殺した死体を山中に埋め、25年後の時効を待つ。
時効が過ぎた日に、もう一度この山に登り、埋めた死体を掘り返して、あの日の美酒にもう一度浸る。
そこまで含めて俺達の計画だったのだ。
つまり、25年越しのタイムカプセルだったというわけだ。
25年の月日は長かったが、死体は見つかることなくつつがなく過ぎていった。
あの日が来るまでは……
死体を埋めてから10年後。
平成22年4月27日。
『刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律』(平成22年法律第26号)成立。
この法改正で、殺人罪の公訴時効が廃止されたのだ。
俺は衝撃を受けた。
25年の時効を待つはずが、時効自体が消滅してしまったのだ。
これから何十年待とうとも、俺達は無罪にならない。
俺は、慌てて惣一に連絡を取ろうとした。
だが、惣一はこの法律が成立することを俺より早く知っていたらしく、俺が連絡を取ろうとしたときにはもう惣一は自殺していた。
あとから聞いた話だが、惣一の治療は順調に進んでいたらしい。
罪の意識が人並に芽生えてしまっていた惣一は、この法改正でもう逃げられないと自らの命を絶ったのだろう。
時効がなくなり、惣一も死に、俺も惣一と同じように自殺を考えた。
だが、俺は惣一との約束通り、時効が成立するはずだった日に死体を掘り返すことにした。
そんなことをしても何の意味もないが、とりあえずそこまでやってからそれからどうするか決めることにしたのだ。
それからさらに15年。
今日が時効が成立するはずだった日だ。
俺は白骨死体の全体を掘り出して並べ、惣一との思い出にひとしきり浸ったあと、またもう一度埋めた。
もう掘り返すことはないだろう。
結局、俺は生きることにした。
惣一の分も人生を楽しもうと決心したのだ。
死体を埋め終わり、俺は登山道に戻った。
山頂に用はないので、来た道を降りていこうとしたところ、30歳前後くらいの女性が息をきらして座り込んでいた。
俺は女性に近づき話しかけた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です……登山には少し自信があったんですけど、このコースは私には少しキツかったみたいで……」
「この先に、地元の人しか知らない裏道があります。その道を通れば、もっと楽なコースに出られますよ」
「それは……ありがたいです……」
俺にもう怖いものはない……
「では、一緒に行きましょう」
「ご親切にありがとうございます……」
俺は惣一の分まで人生を楽しむんだ……
「いえいえ、当然ですよ。なにせ……」
俺はにっこりと笑って、こう言った。
「山は恐ろしいところですから……」
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