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周瑜
二
諸葛亮も、冷静に孫権を観察している。
かれの思想の根底には曹操への復讐があるとはいえ、天下のありようを改革したいという志望がある。
(じぶんの領土さえ守ることができれば、満足という顔をしている)
諸葛亮は心中で孫権に、辛辣な評価をくだした。
そうなれば、相手を挑発すればよいだけである。諸葛亮は、春秋時代の縦横家のような気概ももちあわせている。
「海内はおおいに乱れ、孫将軍は兵をもって江東に割拠され、劉豫州はいま漢水の南において兵を集合させ、曹操と天下を争っています。
すでに曹操は河北を平定し、荊州をも降し、その威は四海を震わせています。
ゆえに劉豫州は英雄ではあるものの、武を用いるところなく遁走してここに至っているのです。
孫将軍はよくよく熟慮なさり、ご自身のお力を量って対処なさるべきです。
もしも呉越の兵をもって曹操と拮抗できるならば、すみやかに曹操と絶好すべきであり、もしも戦って勝てないというお考えならば……」
諸葛亮は本営をみわたして、声を強めていった。
「甲を束ねて降伏し、曹操に仕えるべきでしょう」
孫権は顔色を変えた。ざわざわと群臣がさわぎはじめた。これこそ、諸葛亮の相手を怒らせ決断を急がせる弁舌であった。
孫権は激情家であるものの、冷静さでそれをくるみ、人の意見をきく耳をもっている。
「諸葛軍師、卿のいうとおりであれば、なぜ劉豫州は今日まで曹操に仕えずにきたのかな」
諸葛亮は曹操に対抗できなければ降伏すべきだと説きながら、その主の劉備は曹操とまともに戦わず逃げまわっているだけではないか。その論理ならば、劉備こそ真っ先に曹操に降伏すべきであろう。
諸葛亮は、己の弁舌に孫権が乗ったことで、かすかな笑みをうかべつついった。
「斉の壮士であった田横ですら、義を守って降伏の辱めを受けませんでした。
ましてや劉豫州は、漢王室の中山靖王である劉勝の末裔。その英才は世に知られ、多くの士に敬慕されています。
それはあたかも川の水が海に帰するようなもので、もしも事が成らなければそれは天意によるものです。
どうして曹操などという賊に降れましょうか」
「よくもいったものだ」
「劉備に、英才などあるものか」
群臣たちがひそひそと笑った一方で、孫権は複雑な心境であった。
(こやつらは、曹操と戦ったこともなく、王朝の傘下に入れといっているのに……)
孫権の父、孫堅と兄の孫策は曹操率いる王朝の軍と戦ったことはない。
ゆえに「賊」とよばれたことはないのであるから、戦うまえに曹操に降れば恥をかかないですみ、呉の領土が荒廃することもない。
(しかし……)
孫権は、さらに諸葛亮に問うた。
「われは呉の全土から、十万の兵を徴することができる。曹操のしもべに、なるつもりはない。だが、劉豫州は曹操に敗れたばかり。
その劉豫州とどのように曹操と対抗すればよいのか聞かせてほしい」
劉備の力が当てにできない中で、どう戦うのか、と孫権は諸葛亮に訊いたのである。
諸葛亮の胸中で、そのような問いは想定内である。
「劉豫州は敗れたばかりとはいえ、軍営に帰還した兵と関羽の水軍をあわせれば一万人います。
それと同盟者である劉琦の兵一万をあわせれば、二万人は下らないでしょう。
これに反して曹操軍は百万を号しているものの、実数は十数万。しかも遠方から劉豫州を追って三百里もすすみ、疲れ果てています。
これは古来よりいうところの、強弩から放たれた矢も射程が長ければ魯の絹さえ射貫くことができない、という喩えに合致するものです。
さらに北方の兵は水戦に不慣れ。すなわち孫将軍が水兵を率い、劉豫州が陸兵を率いてともに曹操にあたれば、数と質において決して劣るものではない、ということです。
曹操が敗れれば北に還るにちがいありませんので、孫将軍の呉と劉豫州の荊州はともに栄え、天下に三つの鼎が成立するでしょう。
ご決断は、今をおいてありませんぞ」
本営は、にわかにざわついた。
「曹操軍十数万と、わが軍十二万なら……」
「それよ。しかも水軍なら、われらに一日の長がある」
「戦えるのではないか」
諸葛亮は曹操軍の短所と孫権劉備軍の長所を、的確に比較したのである。
「諸葛軍師の考えは、よくわかった」
孫権は諸葛亮をさがらせ、ひとりになった。
(ここまで軍を率いてきたのは、曹操に降伏するためではない)
そう自覚しつつも、
(諸葛亮は、しょせん劉備の臣……信用はできぬ)
という思いも捨てきれない。
(曹操は荊州の劉琮を殺害せず、厚遇した)
その対応が、孫権陣営の配下を激震させたといってよい。
群臣は曹操に降れば、これまでどおり身分が保障される。そう考えたのである。
(配下は、それでよい。では、われはどうなる)
孫権も劉琮と同様、曹操に領土の一州を任され、安穏とした生活を送ることができるであろう。
(ならば、父と兄の業績はどうなる)
父の孫堅と兄の孫策が勝ち取った広い領土は、戦うことなく曹操に献上することになる。
(諸葛亮の弁には、われの思いと同調するところもあった……しかし)
いきなり動揺している配下に戦え、と命じても曹操には勝てない。
曹操と戦って勝つには、確固とした軍略が必要なのである。
(それを決めることができるのは、周瑜しかいない)
周瑜、字公瑾は、兄孫策と同年で戦略戦術を網羅した巨大な頭脳である。
周瑜は豫章に使いしているので、いまは留守であるが、復命したならば呉の指針を示してくれるにちがいない。
孫権は、周瑜を待ちながら軍議をひらいた。
ところが軍議がはじまる前に、曹操からの書簡がとどいたという。
「ちかごろ天子の詔を奉じ、罪ある者を討つべく南へ兵を向けたところ、劉琮は降伏しました。
そこで、水軍八十万の兵を整えて、まもなく孫将軍と呉の地で会猟したい」
孫権は、青ざめた。
諸将にも、曹操からの書簡を回覧させた。
「水軍八十万、会猟……」
軍議の場は静まり返った。
曹操は古典にくわしいので、春秋時代の古礼にのっとって、宣戦布告したのである。
会猟とは、ともに猟をする、すなわち会戦を示しているが、これは曹操の揶揄がふくまれている。
「降伏するならば、今であるぞ」
と曹操は通告してきたのである。
文官の長である張昭は、
「曹操は漢の丞相です。天子(後漢の献帝)を擁して四方を討伐して平定しました。
われらは、曹操に逆らうと賊になってしまいます。
戦況におきましては、われらの恃むところは長江ですが、曹操は荊州を占領してその地の利を得ました。
かつての劉表が所有していた、千をもってかぞえる戦艦を使い、曹操は攻め下ってくることでしょう。北軍が得意とする陸戦部隊の歩兵は陸路を下るでしょうし、勝ち目はありません。
兵の多寡は論ずるまでもないことから、ここは曹操と戦わず、迎えるのが大計というものでしょう」
と説いた。張昭は、曹操に降伏すべきだといっているのである。
大義名分として天子の軍に降伏するのであるから、不名誉ではないといっている。
孫権の父の孫堅は勤皇思想を固持していたので、古くからの家臣で張昭の降伏論に賛同する者が続出した。
「……更衣する」
孫権は席を立った。更衣とは厠で用を足すことである。
そのようすをみていた魯粛が、おもむろに席を立ち、孫権の後を追った。うしろから履音をきいた孫権は立ち止まり、振り返るとそこに魯粛がいる。手をさしのべて魯粛の手をとった。
「卿は、なにかいいたいことがあるのではないのかな」
魯粛の面持ちは、おもいつめたようである。
「さきほどからの軍議をきいておりますと、すべて将軍を誤らせるものばかり。ともに大事を図ることができましょうや。
なぜなら私は曹操を歓迎できますが、将軍はそれができないからです。
たとえば私が曹操に降伏しましても、私を郷里に還して下曹従事より上の位に就けるでしょう。牛車に乗り、吏員を従えてやがて州か郡の長になれるにちがいありません。
一方の将軍はいかがでしょうか。
どこに将軍がお還りになる場所があるでしょう。都で曹操に飼われるよりも、どうか大計をお定めになり、諸将の意見をきいてはなりません」
孫権は、おおきくため息をついた。
「ああ、われは皆の議論に失望していたところだった。卿のいうことこそ、われの意に沿う意見であった」
魯粛は、胸を熱くした。そしてさらにつよくこういった。
「一刻もはやく周公瑾を召還なさいませ。彼こそが曹操との戦の陣頭に立って戦う勇者です」
魯粛と周瑜は、親友でもある。周瑜が曹操に降伏する気がないことくらいは、魯粛は知っていた。
孫権は厠から戻ると、軍議を閉会し、再度開催することを告げた。
諸葛亮は、軍議の外で待たされていた。
(これだけ長く待たせるということは、孫権は曹操と戦いたがっているな)
冷静にそう分析した。
孫権が降伏を決めたのならば、軍議はすぐ閉じられるはずだからである。
(魯粛がいうには、周瑜を待っているのだろう)
諸葛亮は、しぜんと笑みをうかべていた。
(周瑜の水軍が曹操に勝てば……荊州はわれらがいただく)
一方で樊口にいる劉備は、曹操の軍が攻めてくることに戦々兢々としていた。
「また眠れなかったのですか」
劉禅を抱いた甘夫人は、劉備を気遣って声をかけた。
「まあな……」
家族には戦のことをめったに話さない劉備の答えは、いつもそっけない。
すぐに関羽と張飛の待つ軍営に、姿を消した。
(諸葛亮どのが還ってこなければ、われら母子はまた棄てられる)
甘夫人は、暗澹たるきもちになった。
やがて、孫権が待っていた周瑜がもどってきた。
「軍議が開かれたらしいな」
「和議にかたむきかけている。が、将軍は戦いたがっておられるよ」
船着き場まで周瑜を出迎えた魯粛は、復命する周瑜と歩きながら現状を説明した。
「諸葛亮……劉備の軍師が使者できているのだな」
「劉備は、二万を下らない兵をもっている。
わが方十万と合わせると、曹操には勝てる」
周瑜は、わずかに首をかしげた。史書にも美しいと記されているその顔は、男の魯粛がみても惚れ惚れするときがある。
「戦っては逃げてばかりいる劉備が、よくそれほどの兵を保持できているものだ」
「そこは軍師になった諸葛亮の力量さ。関羽の水軍と劉琦の兵を、わが方と同盟するために用意していた」
周瑜は軍議に向かいながら、
「今までの劉備ではないということだな。
よくわかった」
と力強くいった。軍議がさっそく開催された。
「中原の兵が得意の馬を降り船に乗って、われら呉越の兵と戦うのです。
最初から曹操軍は不利で、われらは有利です。また今は冬であって馬に食べさせる草もなく、曹操軍の兵士は歩いて江湖の間を渉らせています。
そうしますと兵は疲れ、呉の風土に慣れないことから疫病に罹患するでありましょう。
これらのことはすべて兵法の禁忌であるのに、曹操は強行しようとしています。
将軍が曹操に勝ち、捕縛する機会はむしろ今しかない、といえましょう。
どうか私に、精兵三万をおさずけください。
将軍のために、曹操軍を撃破してごらんにいれましょう」
周瑜の主張には迷いがなく、なみなみならぬ覇気がある。降伏派の諸将は、みなうつむいてだまりこんだ。
「かねてより曹操は漢室を廃し、自立しようとしていたのは明白である。
それができなかったのは、袁紹や劉表、それにわれがいたからである。袁紹と劉表はすでに滅び、われだけが生き残っている。
漢室のためにも、どうして老賊とならび立てようか。周公瑾の考えは、われと同じである」
強い語気でそういうと、孫権は刀を抜き、目の前の机を真っ二つにたたき斬った。
「これから曹操に降りたいという者は、みなこの机と同じになるぞ」
孫権は諸将を兄の孫策から譲られているので、反戦論を主張した群臣を面罵することができない。
ゆえに周瑜の論に乗るかたちで、じぶんの意思表示をしたということである。
「曹操軍と決戦するのだと」
「なんでも周瑜は三万の兵で、八十万の曹操軍をやぶるといったそうな」
「あの若造に、そんな奇術のようなことができるのかよ」
曹操軍と戦うと知った諸将や、兵卒たちは耳を疑った。曹操は孫子の兵法書に注をつけるほど兵法に通じており、戦歴は若い孫権よりも華々しい。
(誰よりも曹操を恐れているのは、孫権だろうな)
周瑜は軍議のあった夜に、孫権を訪ねた。
「群臣は曹操の書に、水軍八十万と書いてあったのをみて萎縮しています。
ですが、その実態は中原の兵は十五万に過ぎず、遠路すすんでいるため疲弊しています。
荊州の水戦に慣れた兵は七万、しかも曹操には心服していません。
かならず兵たちの疲れから、曹操軍に疫病が流行します。どうか将軍にはご憂慮なさいますな」
孫権は、安心したようにおだやかな声で、
「公瑾(周瑜)よ、卿のことばはわれの心情と同じである。
子布(張昭)らは、妻子やわが身かわいさで降伏しようといっているので、たよりにはならぬ。
船、兵糧、武器はすでに用意してある。卿の下で戦う三万人もすでに選抜してある。
卿と子敬(魯粛)程公(程普)はすぐに先発してもらいたい。
われは引き続き兵を集め、卿たちを後援するであろう」
といって周瑜の背をなでた。
「それにしても……」
孫権は、複雑な表情で虚空をみつめている。
「どうかなさいましたか」
「うむ。卿のさきほど述べたことは、劉備の使者の諸葛亮がいったこととそっくりであったので、天意すら感じた」
「え……」
周瑜は、驚愕した。
(諸葛亮は、わが軍の内情を把握しているのか)
しかし、すぐ周瑜は諸葛亮の兄が、孫権に仕えている諸葛謹であることをおもいだした。
(なるほど……そういうことか。
子瑜どのも温厚なわりに、曹操と戦いたかったわけだ)
諸葛謹も徐州の出身であるから、曹操の大虐殺を憎んでいるひとりであろう。
諸葛亮と微に入り細に入り、孫権軍の事情を共有していたということだ。
(ならば、曹操軍の事情はどうやって手に入れた……)
周瑜は提督の地位にあるので、多数の諜報員を曹操軍に潜入させている。
軍としての組織をなしていない劉備の軍師である諸葛亮は、なぜ周瑜の諜報網と同様の秘匿情報を得ているのか。
(わからぬ男よ、諸葛亮……)
周瑜が知らないのには訳がある。あの徐庶が、曹操軍の参謀程昱に取り立てられており、精度の高い秘匿情報を、程昱近辺から劉備に流しているからだ。
その頃、諸葛亮の宿舎に、兄の諸葛謹と漁師に身をやつした徐庶が訪ねてきた。
「孔明、よろこべ。孫将軍は曹操と戦うことを軍議で決したぞ」
諸葛謹は面長な風貌で篤実な性格から、孫権に信用を置かれている。
「まことですか……兄上と元直(徐庶)の情報が活きた、ということですな」
孔明も思わず立ち上がって、諸葛謹と徐庶の手を握った。
「曹操は、急ぎすぎました。荊州の統治に数年をかけて、満を持して水戦を挑まれたら、孫権には勝ち目がなかったでしょう」
徐庶は、冷静に酒を口にはこんでいる。
「劉備にとっては、天慶です。曹操が敗れて北に還れば、荊州を拠点に益州を取れる」
「かねてからいっていた孔明の天下三分が、ここにきて機は熟した……というところかな」
徐庶が、愉快そうにいった。
「周瑜は水戦で右に出るものはいないが、陸戦は凡将だ……劉将軍の関羽や張飛にはかなわぬよ」
諸葛謹が諸葛亮にいうと、
「関羽と張飛ですが……私が劉備のそばにきてからも、まだ距離は近すぎるようにかんじます。
ふたりがいると、今後新たに劉備に仕えたい人材のじゃまになるということです」
と嘆息した。
劉備に仕えたい人材がいても、劉備の側に関羽と張飛がいれば、出仕を遠慮するというのだ。
「それは、われも感じる。信用されるまで関羽と張飛が劉備のそばを離れぬ」
かつて劉備に仕えていた徐庶も、相づちをうった。
「領土をひろくもてば、関羽と張飛を引き離すことはできる。三人の離間を謀ることもな」
諸葛謹は、諸葛亮の肩に手をおいていった。
「劉備にはやがて、王、皇帝になってもらいたいのです。いつまでも屈強な用心棒は必要ない、ということですな」
諸葛亮は、関羽と張飛の武勇と知略は買っている。劉備と義兄弟のような間柄から、武将としての独り立ちをさせてやりたい。
「それはいい……だが、まずは曹操を北に追い返さねば。
元直、もう一働きしてもらえるか」
「むろん」
そういって徐庶は、長剣をもって一礼し、風のように立ち去った。
もともと撃剣の名手で、所作には隙がない。
「あとは周瑜のお手並み拝見、といったところですね」
諸葛亮は、遠ざかる徐庶の後ろ姿をみおくりながら、諸葛謹にいった。
周瑜率いる呉の船団が、劉備のいる樊口にやってきた。
「船が近づいてきたと……形はどちらのものか」
劉備は、虎口にいるにもかかわらず、いつもあわてない。
「呉の船です」
「ということは、提督の周瑜かな……使者を遣わそう」
劉備は、じぶんの船に周瑜を招待すべく使者を出した。
周瑜は、劉備の使者が来たことを告げられると、にわかに表情を曇らせた。
(劉備は好かぬ)
周瑜は最初から、劉備との同盟に懐疑的であった。
それは、劉備の過去の履歴からもわかる。
黄巾の乱で挙兵以来、学兄の公孫讃に拾われたのにかれを見限り、陶謙に徐州を譲られたのに呂布からその座を奪われた。
曹操のもとに逃げ込んで厚遇されたのにもかかわらず、それを裏切り、袁紹のもとへ走った。袁紹が滅びると荊州の劉表を頼り、劉表が死ぬまでほとんど働いていない……。
(呉との同盟でも、なんの役にもたたぬにきまっている)
そう断じた周瑜は、劉備の使者に、
「軍務のため、船を離れるわけにはいきません。こちらに来てくださるならば、お会いしましょう」
といった。周瑜の視野は、魯粛と比べて狭窄であるといわざるをえない。
いまや反曹操の象徴として輿望をあつめている劉備の価値を、現実におけるうわべの行動でしか評価できなかった。
「不遜な男よ、周瑜は主を呼びつけるとは」
関羽と張飛は激怒した。劉備は、
「雲長、益徳よ」
とふたりをなだめ、
「われは周瑜の船にゆくぞ。ふたりはここで待っていなさい」
といった。感情を表に出し自尊心をあらわにすることで得るものはない、と流浪の生涯で劉備は知っている。
「せっかく孔明が、孫権との同盟にこぎつけてくれたのだ。それを無碍にすることはあるまいよ」
劉備は、呉の船団における旗艦に乗り込んだ。周瑜をはじめて見た劉備は、
(このような美しい男がいるのか)
と素直に感心した。一方の周瑜は劉備を見て、
(奇相だな……)
とおもった。劉備は長身で、両手が膝にとどくほど長い。また耳が大きく、目を動かしただけでみずからの耳が見えたという。
「周提督は、曹操軍に勝つ策をおもちと聞く。いかほどの兵で戦われるのですか」
周瑜の冷眼にも、劉備はひるまない。
「三万人で充分です」
劉備は、驚いた。
「少なすぎはしませんか」
「これでよいのです。劉豫州は、私が曹操軍を破るのを、観ておられるだけでよろしい」
周瑜の自信ととれないでもないが、年長の劉備に対して無礼な返答でもある。
「……」
さすがの劉備も内心むっとしたが、それを表情に出すほどの浅慮はしない。
周瑜がじぶんを嫌っていることは、わかった。ならばじぶんを活かしてくれるのは、周瑜ではなく魯粛である。
「魯子敬どのを呼んで、ともに話したいのだが」
(にぶい男よ)
周瑜は、劉備に対曹操戦へは参加させないと婉曲に伝えたのに、なおもしがみついてくる。
「魯子敬は軍務があるため、持ち場を離れることができません」
取りつく島がない、とはこのことである。
「ならば、孔明に会いたいのだが……」
なおも、劉備はあきらめない。
「いま、ここにはおられません。まもなく到着するはずですが」
「そうですか……」
劉備はがっかりしたようすで、自船にもどっていった。
「劉備とは、つかみどころのない人であるな……」
周瑜は世間から梟雄とよばれている劉備が、いたって温厚で、こちらの挑発にも乗る気さえみせないのに拍子抜けした。
「かつて平原県をおさめていたとききましたが、あれでは県令でもたよりない」
「そうよな……」
周瑜は、それでも関羽や張飛、趙雲ら天下の逸材が続々と劉備のもとにあつまっていることを思い返した。
(まさか、県令ではつとまらずとも、天下の器、ということではあるまいな)
ふっ、とじぶんを嗤った周瑜は、思念を振り払って軍務にもどった。
「周瑜に嫌われたぞ」
笑顔で、自船に還ってきた劉備に、案の定関羽と張飛は激怒した。
「好かぬ男よ、周公瑾」
「われらをあしらいおって」
そこへ、諸葛亮が帰ってきた。
周瑜は諸葛亮が劉備のもとにもどる船を用意せず、魯粛が手配してくれたという。
「孔明、周瑜はたいそうな自信をもっているようだが、たった三万で曹操に勝てると思っているのかな」
劉備は、諸葛亮に気さくな態度で声をかけた。
「周瑜はわれら主従を嫌っているようですので、勝とうが負けようが、われらは呉を恃むほかありません。
呉も、けっして一枚岩ではありません。周瑜を見返すときもやがてくるでしょう」
諸葛亮も涼しい声で、劉備に答えている。
「わが軍二万は、曹操と孫権の戦にかかわらないので、無傷のまま動けます。おわかりですか」
(そうか……)
最年長で戦場を多くふんでいる趙雲だけは、諸葛亮のなぞかけに反応した。
(さすがは諸葛亮。たよりになる)
曹操が負けても孫権が負けても、かれらの領土に空白地帯が生じる。
そこを劉備の本拠にすればよい、といっているのである。無傷で疲弊していない劉備軍ならば、それは突飛な空想ではない。
諸葛亮の方も、趙雲だけをみている。
劉備を天子の階にのぼらせることができうるのは、関羽と張飛ではなく、諸葛亮と趙雲である、といいたげであった。
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